校舎裏で差し伸べる手と、告げられた衝撃の真実
俺は帰る前にタバコが吸いたくて、喫煙所である校舎裏ーーと言っても、俺らが勝手にそうゆうことにしただけなんだがーーに行くと、そこに「なにか」があった。
「うおっ!?」
俺は突然現れたそれにびっくりして、つい手に持っていたタバコをどこかへ放り投げてしまう。
くそ、もったいねぇ……と思いながらその「なにか」をよく見れば、それは「なにか」ではなく「だれか」だった。
「お、おい……大丈夫かよ、そんなところで」
こんなところで顔を思いっきり地べたに突っ伏すような姿勢で倒れている小さな少年に、俺は手を差し出した。
別に善意や良心が働いたわけじゃなく、ただ単に大丈夫なのかこいつは、と心配だったからである。
「え……あ、ありがとうございます。助かります」
そう言いながら顔を起こし、俺の手に掴まったそいつは、なぜか笑いながら泣いていた。
…………あー、なんか、メンドクサそうな奴に関わっちまったかなー……
「なにしてたんだ、お前? こんなところで」
「へ……? あ、ちょっと、斬新部の部活を見学してて……」
「斬新部? なんだそりゃ、聞いたことねえな……で、こんな時間にもうここにいるってことはそこに入るのは辞めたのか?」
「いえ、元々入るつもりはなかったんで……ただ覗いてただけで」
「はぁ? なんで入るつもりもねえ部活の見学にわざわざ行くんだよ。そこの部の奴らになんか言われなかったのか?」
「あ、向こうは僕のことなんて、認識すらしてないと思いますので……」
「いや、どういう状況だよそれ。なんで見学に来た生徒の存在を認識できねえんだ」
「あ、いえ、ただ僕が勝手に窓の外から覗いてただけなんで、それは仕方がないかと……」
「なおさら理解し難いわ」
え、なんだこいつ、見学って、窓の外から? なんで? 意味分かんねえだろ、普通に見学しろよ。っていうかそれ、ただの覗きじゃねえのか?
脳内で次々と疑問が浮かび上がるが、初対面の、恐らく一年生であろう人間の前で動揺する姿を見せられないので、冷静を装い会話を続ける。
「お前よぉ……しょっちゅうそんなことやってんのか?」
「はい、半年ほど……」
「半年!?」
もう驚きを隠すこともできずに、素でびっくりした声を出してしまった。
半年もそんなことを続けていることにももちろん驚愕だが、それよりもまず、二年生である自分に対して敬語で話す目の前のこのひ弱そうなチビ学生が、タメ以上であるという事実に驚いた。
「あ、すいません……き、気持ち悪いですよね……半年もこんなこと続けてるなんて……」
「いや、別に気持ち悪いとは思わねえけどよ……なんでそんなことしてんだ? その部の中に、好きなやつでもいんのか?」
「い、いえっ……! そんなんじゃないですよ! 確かに女の人達は美人ですけど、そういのじゃないですから……!」
「ふぅん……? 本当かぁ……? しかし美人ばっかりの部活か、良い部活じゃねえかよ。どんなのがいんだ?」
「あ、はい……えっと、芭生さんっていう、とにかくぶっ飛んだ感じの奇抜な方と……宇和島さんっていう、お金持ちな時とど貧乏な時があって、その時の家庭内経済状況によって温和だったりクールだったりする方です……」
「……どんな奴らだよ、そいつら……。女子って、そんだけなのか?」
「はい、そうですね……あ、あと一応、双子崎さんっていう方がいますが……」
「双子崎? D組の双子崎か? あー、確かに可愛いよな、あいつは」
「彼は男です」
「なに!??」
ここで俺の高校生活をも脅かしかねない衝撃の真実が告げられた。
おいおい、嘘だろ……俺、密かにちょっと狙ってたのに……。
「正確に言うとオカマです」
「どっちでも変わんねえよそんなもん!!」
まあ、いくら見た目が可愛い女の子であるとはいえ、中身が男なのとオカマだとではだいぶ違ってくるとは思うが……
しまった、つい声を荒げてしまった。
はっと我に返って目の前のチビを見ると、やはり俺に対して、いやーな視線を向けてやがる。
「な、なんだよ」
「いえ、なんだかすごい必死というか、傷ついてる感じだったので、大丈夫かなと……」
「あぁ? てめえごときが俺を心配してんじゃねえよ」
「急に凄んでこないでくださいよ……その、もしかしてですけど、ひょっとして、あれですか?」
「あん? あんだよ、あれって」
「好きだったんですか? 双子崎さん、あ、双子崎くんのこと」
「は……!?」
出会ってからずっと消極的な態度で接してきていたこいつが、恐る恐るといった感じではあるものの、いきなりぶっ込んでくる。
なんなんだよ、こいつは。さっきから俺の調子が崩されてばっかりだ。
「別に、そんなんじゃねえよ。……ま、確かにこの学校じゃ一番だろうなとは思ってたから、さすがにちょっとはショックだけどな。……ていうか、あからさまに男であることを強調してんじゃねえ」
さっきは「さん」づけだったのに、これ見よがしに「くん」づけに変えやがって。
「はぁ、そうですか……別に男であることを強調したつもりはないんですけどね。そもそも強調もなにも、事実なわけですし」
「俺はあいつが男とか女とか、そんなんどっちだっていいんだよ」
「え、それはつまり、性別は関係ないと……双子崎さんだろうと双子崎くんであろうと、双子崎水月であることに意味があると、そういうことですか……?いや、別に否定をするつもりはありませんが……愛の形は人それぞれですもんね……」
「違ぇよ!! なに勝手に妄想膨らましてんだおめえは!!……だから俺は、あいつの話なんざどうでもいいっつってんだよ」
こいつ、俺のことをちょっと引いたような目で見てきやがった……!常習犯の覗き魔のくせしやがって……!
「大体、おかしいだろ。あいつが本当に男だったとして、なんであいつは普段なに食わぬ顔して女子の制服を着てんだよ」
そう。それが不思議だった。目の前のこいつがわざわざこんなくだらねえ嘘をつくような奴だとは思えないが、だったらなんで、あいつは男でありながら、女子の制服を着て学校に登校しているんだ。
その言葉に対するこいつの答えは、ひどく単純なものであった。
「さあ、似合ってるからじゃないですか?」
……もしかしたらこいつは本当に、俺をおちょくって面白がってるだけなのかもしれない。
「いや、それはそうかもしんねえけどよ……」
「あ、やっぱり似合ってるって思ってるんですね」
「お前俺に喧嘩売ってんだろ」
「ひっ……ご、ごめんなさい、そんなつもりはありません……」
「しかし、いくら似合ってるっつったって、なんで許されんだよ? 普通に考えておかしいだろ」
「それが許されるのが"彼ら"なんです。……彼らは、普通じゃありませんから」
はっきりと言うこいつの顔は、とても悲しげな表情だった。
俺はそんな顔に見覚えがあった。
ーーいつも、鏡で見る自分の顔だ。
「彼らは、僕なんかとは違って、特別なんです。特殊な人間なんです。……だってほら、現に『馴染んで』るじゃないですか。彼らが周りに合わせるのではなくーー周りが、彼らに合わせるようになっているじゃないですか」
「…………」
そう語るこいつに俺は、何も言うことができずにいた。
そして頭に浮かぶのは頭や幹部のような、俺なんかとは違う次元に生きる、圧倒的な存在。
周りに合わせて生きるのではなく、周りを変えていくような人間。
それは、俺がずっと憧れていた姿。
そうなりたいと、思い描いていた姿だった。
「あの、一つ質問してもいいですか」
「……なんだ」
ずっと黙っていた俺に、こいつはーー『俺みたいな』こいつは、こんな言葉を投げ掛けてきた。
「あなたは、この世界に、人生に、物語に……満足できてますか?」
それは、俺がずっと、誰かに問い掛けたい言葉だった。