混乱する二人の男女 in放課後の二年B組
「ここ、二年A組だぞ」
「!!?」
目の前の男の、呆れたような、馬鹿にしたような、そんな言葉を受け、しかし私は怒ることもできずに、ただただ絶句する。
え、どういうこと……? 確かに私は、トイレに行ったあと、自分の教室に戻ってきてーー
そう思い、「自分の席であるはずの席」を確認するが、そこには置いていたはずの私の鞄がなかった。さらによくよく周りを見渡してみると、基本的な造りは同じではあるものの、ポスターの張ってある位置や傷など、細部が自分の教室とは違っていることに気付く。
「え、じゃあ、この教室はあんたの教室で……」
「うん」
「この机はあんたの席で……」
「うんうん」
「この体操服は……あんたの、って、こと……?」
「だからさっきからそう言ってるだろ」
「…………うわああぁぁぁ!!」
私はダッシュした。とりあえずこの場から、この現実から逃げ出したくて、一目散に走り出した。
そして、さっきまでのやり取り、私のしようとしていたこと、しかもその対象が知らない男子の物であったこと、とてつもなく馬鹿みたいな盛大な勘違いに気づかなかったこと、次々と浮かび上がってくる残酷な事実が私の脳を支配し、足を前へ前へと突き動かす。身体全体が火照っているように感じるのはきっと、走っているからだけではないだろう。
この浦澤だとかいう男子が私を呼び止めるような声が聞こえるが、そんなもので足を止めれるはずもなく、私は叫びながらただ闇雲に校内を駆け巡った。
それは三分後、職員室の前で教師に見つかり、事情聴取と説教を受けるまで続いた。
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「はぁー……つーかーれーたー」
終始全力疾走の一人校内マラソンを終え、説教を食らった教師の言い付けを守り歩いて自分の教室へと戻って来た私は、紅くなった顔を机に突っ伏して呟く。
「おつかれ」
「どーもー」
……………………ん?
「なんであんたがここにいんのよ!」
「どうやら、今度は教室を間違えなかったようだな」
なぜか私の隣の机に腰をかけ、へらへらと馬鹿にするようなことを言ってくる浦澤。
私は恥ずかしさと悔しさで頭がいっぱいになり、仕返しをしてやることにした。
「こ、ここはB組よ! なんでA組のあんたがここにいるの!?」
「あんなテンパった奴ほっといて帰れるわけないだろ……様子を見に来たんだよ。別に間違って入って来たわけじゃない」
「わ、分かってて別のクラスに入るなんて、こ、この……へ、変態!!」
「それだと学校中のほとんどの生徒が変態になっちまう」
「へーんたい! へーんたい!」
「手をパンパン叩きながら煽ってくるな。小学生かよお前は」
「へーんたい!! へーんたい!! へーんたい!!」
「いいか? 俺はお前を心配してやってるんだ。たしかに、思春期に色々あるのはわかる。けどな、世の中には倫理ってもんが……」
「へーんたい!!! へーんたい!!! へーんたい!!!」
「しつけえよ! うざうるさいからやめろそれ!」
怒られた。確かに私もムキになってやり過ぎてしまったと思ったので、素直に止める。
そんな私の態度を受け、浦澤は真剣な顔で私に問いかける。
「で? なんで、とか、なにを、とか、そんな野暮なことを聞くつもりはないけどよ。その、神……」
「神楽坂くん」
「そうそう。その神楽坂くんは、お前にとって、特別な人間なんだろ? 好きなのか?」
「はっ……! な、なんであんたにそんなこと……」
「答えろよ。こっちは持ち物漁られてんだ。それくらい聞く権利はある」
なんで見ず知らずの私のことをそんなに問い詰めるのかはわからないが、彼の真っ直ぐな眼差しに負け、つい本心で答えてしまう。
「別に、好きなわけじゃないわよ。……特別な人間、ではあるけど」
つい、誰にも出したことない、本音をぶつけてしまう。
「でも、それは私だけの特別じゃなくて、みんなの特別。そして、彼にとっての特別は、天王寺さんとか……そういう、また他の、誰からも特別な人間だけ。……私たちは、ただのその他の学生で……」
あれ、なんだろう、この気持ち。今までずっと一人で溜め込んでいたものが溢れ出してきて、止まらない。胸の奥にしまいこんで、口から出る前に喉に引っ掛けていた想いが初めて、言葉として、形にならない声となって現れる。
ーーそして、それを聞いているのは、さっき初めて会ったばかりの冴えない男子学生だけであった。
彼は真剣な顔で、私の目を見て、私の声を聞いてくれている。
そして彼の私を見る目はどこか、自分自身を見るような優しさが込もっていて。
私は、出会ったばかりの彼に、親近感のようなものを覚えていた。
「そんな特別な人間が羨ましくて、憧れで……言い訳になっちゃうかもしれないけど、思春期とか、そういうのじゃなくて……特別な人の物にあやかれば、こんな普通の私にも、きっと何か起こるんじゃないかって、思って……」
一つ一つ、噛み締めるように言葉を紡ぐ私の頬を、一筋の雫が濡らし、床に落ちる。
続けて、ポタポタと流れ出るそれを涙だと認識するのに、私は数秒の時間を要した。
あれ、なんで泣いてるんだろう、私。
これじゃまるで、変なやつじゃんかーー
「そうか。お前の気持ちは、良く分かった」
しかしもう浦澤は、私のことを笑ったり、馬鹿にするようなことはしなかった。
「……へ?」
「……その、なんだ、俺も、お前と似たような感じだからさ……」
涙目で見上げる私から顔を背けながら、照れたように頬を掻きながら、少し顔を赤らめて彼は私に、言った。
「俺と、友達にならないか?」
その言葉に、私は何故か無性に嬉しさが込み上げ、そしてとても可笑しくなって、泣きながら吹き出した。
「おい、なに笑ってんだよ」
そんな風に照れ隠しで聞いてくる彼に向けて、私は人差し指で目尻に残る涙を拭いながら、告げる。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
こうして、ロマンチックでもなんでもない、馬鹿みたいな出会いを経て、凡庸な彼と普通な私は友達になった。
そうしてこの日からもまた、大して変わりのない日常が続いていく。