38 結界の洞窟・再び
結界の洞窟の中は、初めて来た時とは全然違って、壁全体はほんのり青く光を放っていて、石畳もきれいになっていた。もちろん、モンスターなんていた形跡も全くなし。きっと、アステルが頑張ったんだろうな。でもアルの姿はどこにもなかった。アステルなら、何か知っているんだろうか?
祭壇もすっかりきれいになっていて、前来た時は気づかなかったけれど、あのボトルの素材にも使った、シュテルン・ブルーメの花束を抱いた女神像が正面で微笑みを浮かべてたたずんでいた。どことなくアステルに似てるような気がする。
「アステル! いたら出てきてくれないか!」
俺は女神像に向かって叫ぶように問いかけてみた。
「アステル、お願い! 出てきて!」
シャルミィも俺と同じように問いかけた。
でも、何も出てくる気配はない。俺たちの声が神殿に響くだけ。
どうしよう……。
途方にくれそうになった時、シャルミィが何かに気づいた。
「ね、リベラル。この石版、読んでみて」
シャルミィがそう言って指差したのは、女神像の前。祭壇の中央にあるクリスタルでできた供物台の上だった。俺は覗き込んでみたけれど、流れるような曲線ばかりでできた、見た事もない文字が刻まれていた。
「ご、ごめん。この文字見た事ないから、俺には読めないや」
俺は少し気恥ずかしく思いながら照れ笑いした。知らないから、仕方ないよな。
シャルミィは、あっ、というような顔になり、顔を赤くして俺に手を合わせた。
「ごっ、ごめんなさい! この文字はうちの村の古文書と同じようにたまたま読めたから……。他ではあまり見なかった文字だから、リベラルは知らなくて当然なの……!」
「なあんだ。そういう事。よかった。そうならいいんだ。んで、なんて書いてあるの?」
ほっとした俺は、気を取り直して石版にもいちど目を向けた。
「えっと……女神に祈りし者よ。清らからな花の露をその手により、聖なる水盤に捧げよ……と書いてあるわ」
シャルミィがゆっくりと石版に指を滑らしながら文字を読み上げた。
「花……って、やっぱアレだよな?」
俺は神殿の両脇で、たくさん花を咲かせているシュテルン・ブルーメを指差した。
「そして水盤っていうのは、供物台の前にある、からっぽの水盤……よね」
シャルミィは視線をそっちの方へ向けた。
「要するに、花についている露を集めて水盤に入れろっつー事だよな。よっし、ちゃっちゃとやってしまおうぜ」
この前の時みたいに、露を集めるビンなんて持ってなかったから、俺が手で受けて、シャルミィが花をつついて露を落とした。
でもほんの少ししかない花の露を集めるのはめっちゃ大変な作業。それに手からこぼれないように指の間をぎゅっと閉じていなくちゃならないんで、手の筋が何度もつりそうになった。
そうしてやっとの思いで手にためた露を水盤に入れると、少ししか入れていないのに綺麗な水が次から次へと湧いてきて、あっという間にあふれ出ると真下に敷いてある色とりどりの砂利の中に吸い込まれていった。
俺とシャルミィがその光景にみとれていると、目の前にピンクの濃い靄がふわっと広がった。
「アステルさん……ですよね?」
シャルミィが靄に向かって話しかけると、中から俺たちの前にふわりとひとりの女性が現れた。
「お久しぶりです。リベラルさん、シャルミィさん」
やっぱりアステルだ! でも表情は雲っていてこの間会った時のような可愛い無邪気さはなかった。
「アステル、アルはここにいるのか?」
俺はアステルに詰め寄った。
「アルジェントはここにいますが……あなたたちにはもう会えないかもしれません」
アステルは憂いをたたえたまま、うつむき加減で呟くように言った。
俺はアステルの思いもよらない言葉に愕然とした。シャルミィも青ざめている。
「それって、どういう事だ! もう会えないなんて……! しかも『ここにいる』って、どこにも姿見えないじゃないか! アルがいなかったら、俺たちは何のためにここに来たのか分かんなくなっちまうんだよっ!」
俺は思わず声を荒げてしまった。
アステルはふっと目を伏せると、うっすらと寂しげな笑み浮かべた。
「あなたたちにこんなに想ってもらえて……アルジェントは本当に幸せね。とても思いやりのある仲間に心配されて」
その言葉を聞いてシャルミィは大きく頷くと、アステルにそっと寄り添った。
「だって、一緒にいる時間はあなたと比べ物にならないほど短いけど、もうすでに私たちのかけがえのない仲間なの。 私にとっては、リベラルと同じ、初めてできた冒険仲間だから絶対失う訳にはいかないの……。そしてアステルさん、あなたもそうよ」
シャルミィのあたたかい言葉を聞いて、アステルの瞳がうるんできていた。
「ありがとう……シャルミィさん。リベラルさんもアルジェントの事を本当に大切に思っていただいて、とても嬉しいです」
その時、俺にはそっと涙を拭ったアステルの表情が、こころなしかさっきよりも晴れやか……というか、何か強い決意を秘めているように見えた。
「あなたたちの誰にも負けない想いがあれば……アルジェントに会えるかもしれません」
それを聞いて、俺とシャルミィは顔を見合わせた。ほんの少しの希望が見えて、お互い同じような笑顔のはずだ。
「でも……それには命がけの試練を受けていただかなくてはならないのですが……あなたたちにはその覚悟はありますか?」
凛としたアステルの声が洞窟に響く。
でも俺の気持ちはとっくに固まっている。
「アルに会うためならどんな事でも絶対乗り越えてやるっ!って決めてたんだ。だから平気さ。な、シャルミィ」
そうきっぱり言って、シャルミィの方を見ると微かに笑顔を浮かべて、でも力強く頷いていた。俺と一緒の事を考えていたんだな。
「わかりました。あなたたちを……信じてますね」
アステルは、女神像の前に立つと、深呼吸をひとつして手に持っていたロッドをかざした。
ロッドから柔らかな光が出て女神像を包むと、音もなく横にスライドして、びっしりと不思議な植物の絵のレリーフが施された重厚な白い石でできた一枚の扉が現れた。
「この扉の向うにアルがいます。でも……開けたらあなたたちがアルを連れて帰ってくるまで閉ざされてしまいます。つまり、後戻りはできないという事ですが……それでもいいですね?」
アステルが念押しするように聞いてくる。
「俺たちは必ずアルを連れて帰ってくる。だからそんな心配は要らないぜ」
俺の言葉に、シャルミィも言葉を添えた。
「私たち、絶対アルと一緒に戻ってくるわ。もう魔法も使えるんだし、なんとかなると思うの」
俺たちの気持ちが固いのを感じてか、アステルはようやく笑顔になった。
「その言葉を聞いて安心しました……。アルを……お願いします」
「じゃ、いってくる」
俺は扉に両手を当てて渾身の力を込めて扉を開けた。すると冷たい風がさあっと俺たちの間を駆け抜け、仄暗かった室内が一気に明るくなった。
そして俺たちが中に入った途端扉は音もなく閉まった。
その時目の前に開けたあり得ない光景に、俺は息を飲んだ……。