蚊の数だけ拍手と米がもらえたら
マウスポインタが蚊に見えて、危うくパソコン画面を叩きそうになった。
この秋口は、異様に蚊が多い。洗濯物を出し入れする時ぐらいしか網戸を開けないのに、気がつくと顔の周りをプンプン飛んでいる。見つけ次第叩くのだけれど、ふらふらしているようでけっこう素早く、たいていは手のひらが合う直前ですり抜けていってしまう。
まったくもう、と虫よけジェルを手に取る。手首と足首、スパッツをまくり上げて太ももにも、髪を上げて首の後ろにも塗った。
息をついてパソコンに向き直る。すると、またしても耳のそばでプ〜ンと音がした。
「もうイヤ!」
頭を振り、両手で顔をめちゃくちゃに叩いた。
「出てきなさい、決着つけてやる!」
すると、蚊が姿をあらわした。白と黒のしましまで、びっくりするほど大きかった。アメンボか、ガガンボか、いや、やっぱり蚊だ。この時期に多い、ヒトスジシマカの大きいやつだ。
「何かご用ですか?」
蚊が目の前に浮かんで言った。ロボットのような小人のような、耳にキンと響く声だ。尖った口の先端を震わせるようにして喋っている。
「な、何よあんた。さっさとどっか行ってよ」
「そう言われましても、もうここに住んじゃってますので」
弱そうな口調だが、譲る様子はない。体と同じしまもようをした長い足で、マウスの上にとまる。手を振り上げると、待ってください、と言った。
「ハルカさんは人間でしょう。寝床も食べ物も私たちとは違うし、住み分けできると思うんですけど」
「残念ながらダメなのよ。あんたたちの食べ物が人間の生き血ときちゃあ、黙ってるわけにはいかないの」
「じゃあこうしましょう。叩かないでくれたら、ハルカさんにとってプラスになる機能も搭載します」
搭載だと? なんだこいつ、コンピューターか?
私は少し考え、手を引っ込めた。蚊はマウスから離れ、キーボードのシフトキーに飛び移る。見ているだけで体がかゆくなってくる。
「プラスになる機能って? CO2削減とか、景気向上とか?」
「そんな大したことはできません」
言い切っちゃったよ。だめじゃん。やっぱりただの蚊じゃん。
私がもう一度手を出すと、待って待って、と羽を震わせた。
「ハルカさん、これってあなたのサイトですよね?」
蚊は口先で画面を示して言った。そこには、拍手数、コメント数、アクセス数、と見出しのついた表が載っている。
「そうよ。正確にはサイトそのものじゃなくて、解析画面だけど」
「解析って、人気度を表すものですよね」
「そ、そうよ」
私はアニメや漫画の二次創作サイトを運営している。絵を描くのも文章を書くのも好きだけれど、自分でイチから考えるより、既成のキャラや世界観を借りて、そこから想像を膨らませるのが楽しいのだ。元ネタが好きな人ならきっと喜んで見てくれるし、そういう人同士で集まって感想も言い合える、と最初は思った。
でも悲しいかな、私の作品はそれほど多くの人を惹きつけないようで、アクセス数は横ばい、拍手欄もコメント欄も毎日真っ白、雪原のようなのだ。
元ネタ自体があまりメジャーじゃないとか、BLや萌え要素がないとか、原因はいろいろ考えられるけれど、とにかく人気度が低いことに変わりはない。
「この空白、私たちが埋め尽くしてあげましょう」
「え、そんなことできるの?」
「生かしておいてくれるなら、です。あなたが叩かなかった蚊の数だけ、ここに拍手とコメントが増えます」
うーん。なかなか人の心をとらえている、というか、足下を見ている。要するに、蚊をパチする代わりにサイトにパチがもらえるってわけ。そんなこと言われたら、運営者としては心がぐらついてしまう。
とりあえず、その夜は蚊取りをつけずに寝ることにした。明かりを消してしばらくすると、案の定、ビブラートをきかせた羽音がいくつもまとわりついてきた。住み分けできるなんて、向こうの勝手な言い分だ。こんなの住み分けじゃない。一方的な寄生だ、居候だ。
ぐっと目をつぶり、眠りにつくまでだいぶ時間がかかってしまった。
次の朝、寝不足の目をこすってパソコンを立ち上げた。ブラウザを開き、サイトの解析画面を見ると、まさかのまさか、奇跡が起こっていた。
拍手数のグラフが、すごいことになっている。昨日の夜からひっきりなしに伸びていて、多い時間帯では三桁を越えている。パジャマの上から、胸をぎゅっとつかんだ。
ゆっくりと画面をスクロールさせる。コメントも来ていた。
* * *
こんにちは。「ラムネリア」のファンで、いろいろなサイトを訪問してきましたが、こんなに素敵なイラストと小説を書かれる方に出会ったのは初めてです。
特にネリ姫の絵が可愛くて、持って帰ってしまいたいほど……!
目の描き方や巻き髪の質感も、本家に匹敵するほどお上手で綺麗ですね。
ぜひまた拝見させてください。これからも応援しております。
PS ブクマ登録させていただきました! 毎日通わせていただきますね。
from Boom01
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はじめまして! 小説読ませていただきました。
何気なく一話目を開いたら、面白くて夢中で読んでしまって、今、最新作まで読み終わったところです。
ネリとルミカのキャラクターがとても活き活きしていて、本家のような可愛らしさに加え、ハルカさん独自の皮肉やスパイスが効いていて、とてもお洒落だなと思いました。
二人の冒険が思わぬ方向に展開して、サル山に登ることになってしまって、とてもびっくりしています。
でもなんだか、ハルカさんの文章は、おかしな展開でもリアルに感じられるから不思議です。
続きが楽しみで楽しみで、過去作を読み返しながらお待ちしております。
連載だけでなく、短編や他ジャンルのほうもぜひ読ませていただきますね!
from Boom02
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こんにちは。前々から覗かせていただいていました。
ハルカさんのイラストと小説、神だと思います!
ラムネリアへの愛、キャラクターへの愛が伝わってきて、なんだか私まで再燃してしまいました……!
なんですかこの可愛い生き物たちは!! 天使ですねわかります。
ネリがスノーボードで新幹線に突っ込む漫画とかもう、可愛すぎて面白すぎて見ていてニヤけてきます。こんな素敵な作品を描いてくださって本当にありがとうございます! ああ幸せ!
これからも楽しみに見させていただきます!
from Boom03
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画面を見つめ、一字一字噛みしめながら読んだ。やばい。涙が出る。コメントなんて何年ぶりだろう。サイト開設当初、友達が何人か書き込んでくれたけれど、それきりだったかもしれない。
こんなに丁寧で、具体的で、温かい感想をもらったのは初めてだ。蚊だとわかっていても涙が止まらない。サイトをやっていて良かった。何年もずっと、壁打ちのような作品づくりを続けてきたけれど、やめないで本当に良かった。
震える手で、コメント欄をさらにスクロールさせた。
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こんにちは。読ませていただきました。面白かったです!
from Boom04
はじめまして! 読みました!
from Boom05
こんにちは〜っ!
from Boom06
ああああ
from Boom07
てst
from Boom08
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ちょっと待て。早くもいい加減になってるぞ。
さらにスクロールさせると、意味をなさない記号や文字の羅列が続いた後、空コメントばかりが延々と繰り返されていた。名前の後の数字だけが、Boom20、Boom21、Boom22、と増えていく。思わず後ろを振り返った。これ、全員、別個体の蚊なんだよね? そして全員、この家に住んでるんだよね?
さらにさらに、スクロールさせていくと、Boom○○の署名がやっと終わった。それでもコメントは終わらない。
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ぽちゃ……ぽちゃ……
from boufura01
ああ、生まれる! 生まれる!!
from boufura02
血がほしいよう
from boufura03
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ボウフラ04、05、06……。
私はマウスを投げ出し、立ち上がった。どこだ。どこにこんなに沸いているのだ。キッチンか、お風呂場か。水回りはいつも綺麗にしているのに。
ベランダの排水溝に目がとまる。そういえばここはほとんど掃除をしたことがない。ボウフラは銅に弱く、十円玉を投げ込むと死滅するらしいが、それはもったいないので、後で液剤を買ってこよう。
「やっぱりだめですか?」
昨日と同じ声がして、大きな蚊がぬらっと現れた。いることはわかっていたけれど、急に見るとぎょっとする。
「みんな家族なんですけど……一緒に暮らすのは無理でしょうか」
「あ、あのねえ。こんなにたくさんのボウフラが一気に飛び立ってみなさいよ。私の血、最後の一滴まで吸い尽くされちゃうわ」
蚊はしょんぼりとうつむいた。私は慌てて付け加える。
「でも、コメントは嬉しかったよ。特に最初の三つなんて、私より文才あるんじゃないかと思う。蚊にこんなこと言うのも変だけどね」
「あの三つは、私が書きました」
蚊は照れくさそうに前足をこすり合わせて言った。
「一応、ほかの奴らにもちゃんと書くように言ったんですけど……人間と同じで、得意不得意があるんですよね。そもそも感想を書くってことをいまいち理解してない奴が多くて」
なるほど。
私が黙って聞いていると、蚊は元気を取り戻してぺらぺら話した。
「ハルカさんのサイトから、リンクをたどっていろいろ見てみたんですけど、今は個人サイトって全体的に下火なんじゃないですか? それよりは、コミュニティとかSNSみたいなところに入って、仲間を探したほうがいいんじゃないですかね。あと、こう言っちゃ何ですけど、二次創作って限界があると思うんですよ。特にハルカさんのって、いろんなジャンルが混ざってたりして、なかなか全部わかる人がいないと思います。いっそキャラ名変えて一次として出したほうがウケるんじゃないかと」
ばし、と勢いよく両手を叩き合わせた。
蚊は縮み上がったように飛び、口を閉ざした。上空からこちらの様子をうかがっている。
私は黙って部屋を出ていった。
その日のうちに、液剤を買ってきた。ベランダの排水溝と、アパートの前の水たまりにも散布した。蚊取りをつけ、虫よけジェルを全身に塗り、それでも寄ってくる奴は容赦なく叩いた。
これでいい。これで安らかに眠れる。ここは私の家なんだから。
目を閉じると、あの拍手とコメントの数々が浮かんできた。何度も何度も、蚊のようにまとわりついてきた。
そして今日も、私の部屋には、巨大ヒトスジシマカのパチオがいる。
「名前なんて照れますねえ」
パソコン画面の前を行ったり来たりしながら、パチオは気の抜けた声で言う。
「一緒に暮らしてるんだし、ないと不便でしょ」
「じゃあ表札も作りますか」
「それはイヤ」
家族を根こそぎ殺されたパチオは、さぞ私を恨んでいるかと思ったら、案外けろりとしていた。そしてちゃっかりと、この家に住みついてしまった。
オスだから血は吸わないと言うし、変な病気を媒介される心配もない。毎日ほんの少しずつ、リンゴや梨の汁を分けてあげればいいだけなので、別に困らない。本当言うと、見た目がもう少し可愛ければ嬉しかったけれど。
私はあれから、二次創作はそこそこにして、パチオとのやりとりをツイッターに載せることにした。会話文だったり、漫画だったり、デフォルメしたイラストだったり、その日の気分で適当にやっている。フォロワーも少しずつ増え、時々リツイートやお気に入り登録をしてもらえることもある。
「ハルカさん見て。コメントが来てますよ」
「え、どれどれ」
私はパチオを横に追いやり、ツイッターの画面を見た。
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パチオくんの画像上げてください!
きっとイケメンですよね。わくわく……!
私のお婿さんになってくれないかしら。
なんだか私、熱病に冒されているかもしれません。
from Boomy(♀)
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<終>