エピローグ
ようやく仕事を終えて城に戻ってこれた。
それはいいが、大けがで身動き一つ取れないのは非常に辛い。
とりあえずクェンに治療するだけの力は残っていたが、さすがにそれが限界だった。
体力を使い果たした揚句にオンブルが去ったことでルインヴィルに海水が降り注ぎ、そのお陰で外に戻れたのはいいが風邪を引いてしまった。
「まったく、情けないねぇ。大の大人が」
と、怪我人を全く気遣う様子もなく乱暴に傷口に消毒液を塗り込むハイレン。
悲鳴を上げても平然として、しかも患者の前で堂々煙草なんか吸っている。
「ちょちょちょちょっとハイレンさん痛すぎるんですけどっ?」
「ああ。痛くしてるからね」
「酷いっっ! ワシなんで苛められてんのっ?」
「苛めちゃいないよ、楽しんでるだけだよ」
「うう、こんなことなら街の病院に入院すればよかったよ」
「なに言ってんだい、そんなことしたらあのお嬢ちゃんが寂しがるだろう」
言って、林檎を無理やり口にねじ込む。
「エネル? そういや仕事も溜まっちゃってるけど、一人で大丈夫かなぁ」
ハっと仕事のことを思い出し、急に不安になるライトマン。
エネルは優秀な助手だし、一般の神殻なら大抵の物は修理できる。だが今回の件で帝都中の神殻を修理しなきゃならなくなったし、その量を彼女一人に背負わせるのは正直、かわいそうだ。
考え出すとエネルのことが心配になって、ますますゆっくり寝ていられなくなる。
するとそこに、
「博士。ますます顔色が悪い、です」
いつの間にかエネルが横に立っていて、いつもの無表情でじっとライトマンを見つめていた。
「あ、エネル。仕事の方はどう、大丈夫?」
「心配ない、です。今回のことはノートルダムの一部が加担していたので………証拠物件を抱えて皇帝陛下が自ら乗り込んで、無償で神殻の修理をさせています………です」
「本当? よかった、これでワシの分の仕事全部片付けてくれたら有難いなあ。半年くらい、ここで過ごすのもいいかも。なんてね」
ライトマンはちょっと本気でそんなこと考えて、笑って見せる。
するとエネルはちょっと拗ねたように口先を尖らせて俯き、チラッと視線を逸らす。
「ん。どうしたんだい、エネル」
「博士がいない方が、部屋が広くていい………です」
「ええ、そうなの? ああ、まあ確かに君も成長期だし去年より身長も伸びたし」
「でも広すぎる、です」
頬を真っ赤にし、きゅっとライトマンの指を握り、
「だから早く帰って来るのです」
照れ臭そうに、言う。
それでようやく、彼女の言いたいことを理解したライトマンは、一瞬きょとんとしたが―――嬉しそうににっこり笑って、
「そっか。君がそう言うんなら、早く帰ろうかな」
「約束、です」
「うん。約束」
ライトマンは嬉しそうに、にこにこ笑う。
エネルはライトマンの指を握ったまま、俯き顔を逸らして真っ赤になる。
そんな二人の会話を部屋の片隅で仕事しつつ訊いていたハイレンも、何故か恥ずかしくなってしまうのだった。なので、
「お二人さん、せめてカーテン閉め切ってからしてくれよ」
「二度と帰って来るな、です」
ハイレンがいたことを忘れていたらしい。
手を放し、傷口を抓ってやるのだった。
「うぎゃああああああああああああああああ! な、なん、でっ………!」
「なんとなく、です」
頬を赤らめたまま、エネルは呟いた。
無限の可能性を秘めた、未来。
自分のことをダメなんて決めつけて、従うことでしか自分が自分であることを認めてあげられなかった。そうすることが正しくて、それが自分なのだと信じていたから。逆らってはいけない、逆らうことなど許されなかった。だけど今は違う、彼らが護ってくれた未来が見えるから。無限に広がる未来が見えるから、自分のために生きようと思えた。
そう。例え傷ついても。
出来そこないと言われようと。それでも前を向いて、自分だけの未来を目指して生きて行きたいと思えた。
「おいアムル―――って、おわあっ?」
アカデミーの校舎屋上。
一人で座っているアムルに声をかけたクリムは驚いて思わず声を上げてしまった。
振り向いたアムルは大きな瞳に涙を浮かべていたのだ。
「な、な、えっとっ! わ、悪かったよっ?」
「なんでアンタが謝るのよ、ばっかじゃないの」
「あぁっ? 悪かったなっ」
「違うわよ。ママと喧嘩したの」
「はあ? つまみ食いでもしたか」
「お金でテストの採点いじったり、特別な任務を与えてもらうのはもう嫌だって言ったの」
アムルは袖で涙を拭う。
クリムはチラと彼女を横目で見つつ、何も言わず、そっと隣に腰かけた。
「優秀なフリなんてもうしたくないもん。あたしはママのお人形さんじゃないもん。だから嫌だって言ったらママ、怒ったの。それで大ゲンカ。初めてよ、ママと大ゲンカなんてしたの」
「で、そのママはなんて」
「アンタは私の子じゃないって」
乱暴に涙を拭いながら、アムル。
そんなことを言われて、彼女がどれだけ傷ついたのか。クリムにはそれが痛いほどよくわかった。そこにかけてやれる言葉もないことも、知っていた。だから彼は何も言わず、ただ彼女の隣に座っていた。
だが彼女は、ほんの少し嬉しそうに言うのだった。
「でもね。朝ご飯、ちゃんと用意してくれてたんだ」
「は?」
「あたしのための朝ご飯。それからお弁当も」
話すアムルは、嬉しそうな顔をしている。
「難しいけど。ちゃんと言いたいこと言えば、わかりあえるのかな」
「………さあな。俺にゃあ、よくわかんねえよ」
クリムは膝に頬杖をつき、魔操学術都市を見下ろす。
生徒や職員達が、まるで昨日のことなど何もなかったかのように、いつも通り生活をしている。失われなかった現実の未来、今を生きる彼ら、この先どんなふうに未来は創られていくのだろうか………なんて、クリムは珍しく感傷的になった。
「けど。未来は救われたんだから、まあ、頑張ればどうにでもなるんじゃねえの」
言って彼は立ち上がり、照れ臭そうに頬を掻きつつ明後日の方向を見て、
「それと。まあ、別にお前は出来そこないとか………そんなんじゃないと思う、ぞ」
なんてぶっきら棒に言ってから、逃げるように立ち去るのだった。
アムルは思わぬ彼の言葉に不覚にも頬を紅潮させてしまう。
「ば………ばっかじゃないの」
ぽそっと呟いて、真っ赤な顔して深く俯く。
「牛乳ーーー! 牛乳ーーー!」
まだ完全に修復してない厨房に、大きな酒瓶を抱えたライエンが飛び込んでくる。バードックは部下の料理人達と掃除をしながら彼に怒鳴り散らして。その様子を食堂の受け取り愚痴から覗いているロキが指さして笑って、料理人達は呆れ顔で掃除をして。そんな彼らの様子を、ロータスが、きょとんと眺めている。
そんな彼らの様子を、食堂を通り過ぎ際に扉の隙間から覗いた骸は優しい苦笑を浮かべる。
未来は護られた。そして今日も、この国は平和だ。
きっと明日も、明後日も。けれどもしまた、未来が閉ざされるようなことがあれば、その時はまた、剣を握り戦うだろう。そうこの先の未来もずっと、人々の笑顔を護るために。そのために剣を握り、生きているのだから。
「よう骸様、おはよ」
図書館の地下書庫、壁一面を書棚が埋め尽くすその広い部屋の片隅でスペルが脚立に座って本を読んでいた。
どうやら書庫の整理の途中らしいが、山積みの本が散乱しているのを見ると途中で飽きて本を読み始めてしまったらしい。掃除と言うのはそれでうっかり中止してしまうことがほとんどで、もちろんこの男もそれである。だが本人は片付けはしたものの、脱線したらしっ放しで片付けるのはその気になってからという清々しいまでの途中放棄っぷりを見せつけている。
「先日はお仕事お疲れ様でした」
軽い口調で労いつつ、その笑顔はなんだか嘘くさい。
「今回はなんとかなったが、やはり争いは絶えぬものだな」
「なにを今更、て感じですけど」
スペルは笑う。
「あとどれだけ生きれば俺らは戦争のない世界を手に入れられるだろうか―――たぶん永遠に生きたって、出ない答えでしょうね」
言ってスペルは、壁一面書棚に埋め尽くされた書庫を見上げた。
部屋は薄暗く、見上げると塔のように高く続くその部屋の屋根は闇に飲まれ、光すら見えずただ暗い。
「でも大丈夫っスよ」
とスペルは読書を再開する。
「その度に、未来を求めて奔走する人間がいる。それが希望、未来を繋ぐ鎖ってとこじゃないスか」
「未来を繋ぐ鎖、か」
と骸は近くの椅子に腰かけて、古い書物を一冊取る。
「だが。そうだな、いつか―――またあんな戦争が起きたら、私は命をかけて戦うだろう」
呟いて、骸は古い書物の表紙を優しく撫でた。
スペルは何も答えず、本を読む。
だから骸も、その古い書物を読み始めた。
「さあオンブル、食べれますか」
村の片隅に在る小さな家のベッド。
夢から覚めた体は二十年もの間眠り続けていたお陰ですっかり体力を失い、体は骨と皮だけの、まるで老人のようになっていた。それでも生きているのは、ずっと傍にいて、献身的に介護してくれた友人がいたからだと言う。そんなこと、ずっとずっと忘れていた。ずっとずっと夢の中で、現実を否定し続けていたのに。その現実の世界に、まだこんな自分を待っていてくれる人間がいた―――その事実が、なんと幸せなことか。
大切な友人が傍にいて、護るべき者が傍にいる。
その現実の、なにを否定できるだろうか。
二十年もの間目を逸らし続けた世界は、思うほど哀しくもない。
むしろ、とても温かかった。
「ありがとう、クェン」
クェンがスプーンを口元に持ってきてくれた。
スープを呑むぐらいしかできないが、少しずつまた外を自由に歩けるようになりたいと思う。
そして、そしていつか――――
「クェン。シュヴァーン………早く、外の世界を見てみたいよ」
「世界はとても美しいです。父さんがが護ったこの国は、今、貴方が望んだとおりの平和な国です」
そっと歩み寄り、優しい声でシュヴァーンが言葉をかける。
「ああ、そうか。ありがとう、シュヴァーン」
クェンは優しい笑みを口元に刻んだ。
シュヴァーンはゆっくり窓に歩み寄り、雲ひとつない青空を見上げた。
そして眩しそうに目を細め、幸せそうに微笑むのだった。
おわり。




