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「陛下! 街中の亡者達が、次々と姿を消しています! 国中の神殻の異常も回復し、人々も次々に目を覚ましています!」
息を切らして執務室に飛び込んできた兵士の報告に、ロキは喜びの表情を見せた。
未来は守られた。この国は守られた。
ロキは喜びのあまり、思わず兵士に抱きついた。
そんなことを彼がしている頃、帝都中の亡者達が魔操粒子となって消えてゆく様を、スペルが口の端に笑みを浮かべて眺めていた。人々を襲っていた亡者達はもう核を失った神殻のようにピクリとも動かず、全ての終わりを示すように輝きながら姿を消してゆく。兵士達は胸をなでおろしてそれを眺め、スペルは、腕に絡めた文字の鎖を振り払い、両手をポケットに突っ込み空を見上げた。
「あーあ。まぁた仕事再開しなきゃだよ」
☆
街が粒子となって消えてゆく。
パレードも、人も、屋台も、家々も、消えてゆく。
夢が終わってゆく。
ココンは半壊した建物の屋上に座って頬杖をつき、鼻歌なんか歌いながら、嬉しそうにそれを眺めていた。
「ありがとう。ようやく貴方は未来を歩いてくれるのね。夢は終わり、そうね次は生きて夢を見てくれるかしら。そうしたらきっと、素敵な世界が貴方を待ってるわ。だからお願いよ英雄、笑ってちょうだい。あの頃のようにまた、笑顔で未来を語ってちょうだい」
そうしてココンは立ち上がり、消えゆく街に背を向け歩き出す。
街が消えた後。
そこには、苔むした廃墟と一本の巨大な樹が植わった廃船があった。
船は人が生活するには十分なほど大きくて、廃墟は階段を真中に両脇に並んでいて、その階段の先に巨大な樹が一本植わっていた。
研究施設は樹の向こう側に廃船を飲み込むように半ば無理やりに作られていた。
そんな、夢から覚めた廃墟の街を、ライトマン達は驚いた様子で見下ろしていた。
「ここが、本当のルインヴィル………」
ライトマンが、驚いた様子でぽつりと呟く。
「この船は私が妻のために作った船だ。彼女は空想の世界で遊ぶのが大好きで、よく、絵を描いて見せてくれていたのでな。その彼女のために私が作った街―――彼女は戦争中に病気で亡くなったが、きっと彼女が生きていたら泣いていただろうな。こんな愚かなことをした私を見て………」
そう話すオンブルの姿が、ゆっくりと、粒子に変わって消えてゆく。
「父さん!」
「案ずるな、死にはせん。戻るだけだ―――生きるべき世界にな」
そう言って、とうとうオンブルは粒子となって空へと消えてゆくのだった。
「………我々も帰ろうか」
骸はライトマンを抱きあげて、海に囲まれた空を見上げた。
「って、ちょっと待て。この街、オンブルがいたからこそこの状態を保っていたんじゃないのか?」
ライエンが珍しく冴えたことを言う。
その言葉に誰もがハっと彼を見て、そして、まさかと空を見上げて―――悲鳴を上げるのだった。
ココンは鼻歌を歌いながら、階段を上ってゆく。
その足取りは軽やかで、まるで背中に翼でも生えているようだ。
「幸せだわ英雄。私も貴方も誰も、幸せよ」
とんとん、と跳ねるように階段を上って、大きな樹の下までやって来る。
そこにあるのは、半壊して苔むした、あの墓石。
そこに寄り添って座るのは、あの鉄の兵士。
今は力なくそこに寄り添うだけで、ぴくりとも動かない。
「ありがとう。私の英雄を護ってくれて、ありがとう」
ぽつりと、空から滴が零れ落ちて来る。
すると鉄の兵士は、ぽつりと言う。
「私は罪人です。多くを殺めた―――」
ココンは彼に寄り添って座ると、幸せそうに彼の肩に頬を寄せる。
「それなら私も同じ。眠りましょう、そして今度は彼の未来を見守りましょう」
ぽつりと、鉄の兵士の顔に滴が零れ落ちる。
ぽつりと、ココンの頬に滴が零れ落ちる。
廃墟の街・ルインヴィルに、雨が降り注ぐ―――
眩しい。
蒼い空が、眩しい。
打ち上げられた浜辺に転がって、シュバルツは眩しいほどに蒼い空を見つめていた。
耳に届くのは優しい波の音と、風の音だけ。交わる剣の音も、悲鳴もない、ただただ静かな世界。あの頃の残酷な世界はもうなくて、何事もないようにただ静かな時間だけが過ぎてゆく。穏やかに、優しく―――きっと、もうずっと、そんな時間がこの国には流れていたのだろう。だけど気付かなかった、気付けなかった、過去を見つめて未来を嘆くあまりに。
こんなにも、この世界は美しかったのか。
シュバルツは海岸に横たわったまま、ぼうっと、そんなことを思っていた。
と。隣に転がっていたライエンがのそりと身を起こし、
「おー、なんとか助かったみたいじゃなぁ」
ぶるぶるっと、動物がするように首を振った。
周りにはライトマン達が気を失って横たわっている。重傷を負ったライトマンはバードックが手当てし、エネルは骸が手当てをしてやっている。
「のう。兄ちゃんよう」
ふと、ライエンが無邪気な笑顔でシュバルツを見た。
「ワシらだって現実の全てを真っ向から受け止めて強く生きてるわけじゃないんじゃよ」
そう言って彼は立ち上がり、水平線の彼方を見つめる。
「みぃんなお前さんと同じ、弱い生き物なんじゃ。それでもな、この国が、友達が大好きだから強く生きようと思えるんじゃよ。人間とは単純なもんで、大好きなものが一つあるだけで随分と強くなれるもんなんじゃ」
「………大切な、もの……」
「―――未来を頼むぞ、兄ちゃん」
そう言って力強く笑うライエン。
その姿を見て。シュバルツは、思い出す―――遠い昔、あの残酷な記憶の中で出会った男の姿を。
「少年よ―――未来を頼むぞ」
彼はそう言った。
けれど、それは記憶から消えていた。
忘れたのか、それとも、忘れたかったからなのか。
その言葉はまるで不確かに、その部分だけをノイズに変えてかき消していた。
その瞬間の、その光景。
どれだけ時が経とうとも、忘れることはなかった。
街を襲う大量の兵士を、彼が一人で斬ったのだ。確かに彼らは敵だった、この街にとって彼は救いだった。けれども大量の亡骸と戦争の現実は、幼い少年の心に癒えることのない傷を刻み込んだ。痛みや苦しみという言葉は違う、その感覚すらわからなくなり気が狂いそうになるほどの絶望が彼を襲ったのだ。
「これが現実。これが戦争。これが人の歩んだ歴史の末路」
誰の声とも知れない声が少年の耳に届く。
いや。そう、あの声はライエン―――神殻傀儡に殺されそうになった幼いシュヴァルツを助けてくれた、あの男のあの声。閉ざしていた記憶が、蘇る。
「今は未だ見えない未来。だけど約束しよう、いつか必ずお前さんが笑って暮らせる世界を造ると」
そう言ってライエンは、哀しそうに微笑んだ。
「だからどうか忘れないでいてほしい―――この先の未来のために。この残酷な歴史を」
そうライエンは言った。
けれど、忘れたかった。こんな残酷な歴史。こんな、哀しい戦争。
未来のために。どうして、覚えておかなければならない。笑って暮らせる世界を作ってくれるというのなら、こんな世界、覚えておく必要なんてないはずなのに。未来に、こんな残酷な歴史なんて必要ないのだから。だから、忘れよう。忘れてしまおう。忘れてしまいたい………
この先の未来のために―――残酷な歴史を記憶に残して。
二度と繰り返さぬようにと、平和を望む。そうやって、人は理想の世界を創ってゆくのだろうか。今あるこの国のような、平和な世界を。
あの残酷な歴史と向き合いながら、この国の皇帝は今あるこの平和を創った。
どれだけ苦しく辛いことだっただろうか。あんな悲惨な状態から、この国を再建し。今、人々は、笑顔で暮らしている。笑って、泣いて、怒って、また笑って―――なんて平和なのだろう。




