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 出来が悪い。

 いらない。

 あの子は本当に自分達の子供なのか。

 暗がりに佇む少女が覗くのは、光の漏れる扉の隙間。そこから聞こえるのは彼女の両親らしき人物の、声。その会話を聞く少女の顔は哀しみを訴え、瞳はしかし涙を見せず、死んだように二人を見ているだけだ。

「あの子は私達の子供じゃない。あんなに出来が悪いのは誰のせい?」

「お前が浮気して産んだんじゃないのか」

 そうして口汚い罵り合いが続く。

 少女は右手にぶら下げた大きなうさぎのぬいぐるみをぎゅうっと握りしめ、俯いてゆく。

「あんな子、産むんじゃなかったわ」

「もっと優秀な子供を産んでくれると思ったんだがな」

「貴方の血が濃かったのよ」

 いらない。

 出来が悪いから、いらない。

 棄てられる、嫌われる。

 だから優秀にならなくてはいけない。彼女が望むように、優秀な人間にならなければない。そうすれば彼女はきっと、愛してくれるだろう。昔のように愛して、抱きしめてくれるだろう。

 私は優秀でなければならない。

 彼女がそれを望むから。

 彼女に愛してほしいから。

 だけど。どれだけ頑張っても、彼女の言う通りにしてきても、心が満たされないのは何故なのだろう。笑顔で話をしてみても、成績が一番になっても、満たされないのは何故だろう。

「すごいねぇ、アムルちゃん。また一番だよ」

 張り出された順位表を見て、友達が言う。

 だから得意げに笑って見せる。

 だけど満たされない。笑っているのに、満たされない。理由なんてわかっている―――その成績が、本当は嘘っぱちだとわかっているからだ。毎回、母がお金を渡してくれているからだ。だから白紙で答案用紙を出したって、実技でどれだけ失敗してみせようが、成績はいつも一番なのだ。

 本当は知っている。

 いつも二番のエネルが、本当は一番優秀なのだと。

 あの子になりたい。あの子になれたら、こんなに辛い想いをせずにすんだのに。きっと母も愛してくれていただろうに。こんな惨めな想いしなくていいのに。

 いやだ。

 もういやだ。

 なにもかも、いやだ。

「いや。いやだ、いやだ、あああああああああああああああああああああああああああ!」



 アムルが悲鳴を上げる。

 世戒樹が一瞬だけ明滅し、核帯が触手のように暴れだす。

 ライトマンは瞳を閉じたまま、二人を開放すべく彼らの精神体に干渉を試みる。だがそれは想像以上に心に負担を強いるものだった。二人の感情が、その他の子供達の感情が、心を食らわんばかりの勢いで流れ込んでくるのだ。

 だがライトマンは必死に、二人の精神体と世界中を切り離すべく、二人の精神体に接触し続けた。

 そんな彼を、シュヴァルツと鉄の兵士は、呆然と見ていた。

「一体何を」

 鉄の兵士が、困惑気味に訊ねる。

「二人の精神体に接触して、強制的に連れ戻す」

「無駄だ。世戒樹に取り込まれた精神体を切り離すなど、できるわけが―――」

 しかしシュヴァルツの言葉を遮って、

「それでもやらなきゃどうするんだい、そうしないとこの子達は助からないじゃないか」

 言ってライトマンは瞳を閉じて、精神を集中させる。

「大丈夫。助けてあげるから、だから待っていて―――」






 殺すべきだった。

 生きるべきではなかった。

 生まれるべきではなかった。

 彼の存在は、誰も幸せになどしない。

 壊れた家具、人形、傷ついた家族―――彼が触れるだけで何かが、誰かが傷ついていく。彼が怒れば何かが壊れ、誰かが死んでしまう。望んでるわけではないのに、制御しきれない魔操が溢れて触れるもの全てを傷つける。だから悪魔なんて呼ばれて、産むべきじゃなかったと言われて、殺してしまえばよかったなんて言われた。だけどそれを哀しむ必要なんてないとわかっていたから、何も言うことなんてできなかった。部屋に閉じ込められたって、手足を縛りつけられたって、仕方ないと思えた。

 仕方がない。

 だって、悪魔なのだから。

 触れれば誰かを傷つける。

 だから、仕方がないのだ。

 そういうふうに、自分に言い聞かせてきたのに。気が付けば、泣いている。感情を殺してしまおうと思うのに、そう思う度に感情が溢れだしてまた無意識に手に触れるものを破壊する。

「もうだめだ、面倒見切れない」

「殺してしまおうか」

「いいや。どうせなら、金に換えてしまおう」

「しかしあんなもの欲しがる人間、いるのかい」

 手足を縛られて屋根裏に閉じ込められて、音のない空間で転がっていると、否応にもそんな会話が下の部屋から聞こえてきてしまう。

 やがて見知らぬ男が現れて、見知らぬ場所に連れて行った。

 真っ暗闇。

 獣の声がする。

 喰われて死んでしまうのだろうか。

 覚悟でもなく、諦めでもない、不思議な冷静さがあった。

 だけど獣すら、殺してはくれなかった。獣すら、壊れてしまった。

 生きているだけで誰かを壊す。破壊しかしない存在。誰が、愛してくれるのだ。誰が、認めてくれるのだ。

 ああ、誰か―――誰か、こんな自分を愛してはくれないだろうか。

 暗い森の中、クリムは一人、声を上げて泣いた。




 二人の悲鳴が、精神を食らい尽くそうとするように、心をかき乱す。

 恐怖、絶望、哀しみ―――そんな感情だけが渦巻いて、気が狂いそうになる。けれどライトマンは必死に正気を保とうと、傷口を強く握りしめた、血が溢れ硝子の鳥を濡らし、絶望と苦悶に満ちた悲鳴を上げて、それでも必死に二人をこちらへ連れ戻そうとする。

 その姿は人か、それとも―――

 シュヴァルツは愕然としながら、彼のその姿を見ていた。

「大丈夫。今すぐに、助けてあげるから………」

 暗闇の中、ぐったりと転がる子供がいる。

 それは幼いクリムだった。寝ているわけでも意識を失っているわけでもなく、ただじっと瞳を閉じて孤独と絶望に耐えているのだ。ライトマンはゆっくりと彼に歩み寄り、そっと、彼の体に触れる。だが、触れた瞬間、冷たくどろりとした深く暗い闇が指先からぞろぞろと這いあがって来て―――でもライトマンは手を離すことはせず、むしろ、半ば強引にクリムの体を抱き起こして胸に抱えた。

 クリムはバチっと目を覚まし、ライトマンを付き飛ばし、四つん這いになって獣のように彼を睨みつけた。

 言葉を発することはない。まるで怯える獣のように、ただただライトマンを睨みつけるばかりだ。その体は小刻みに震え、目には薄らと涙が浮かんでいる。

「大丈夫、怖くないから。だからほら」

 そう言って、すっと手を伸ばす。

 だがクリムは怯え、その手に食らいつく。だがライトマンは逃げることもそれを拒むこともせず、優しい顔をして、彼を見つめている。そうして彼は、再び、クリムの幼い体を優しくぎゅっと抱きしめる。

 クリムは言葉を忘れたように、言葉ともつかない声を上げて暴れる。

 その彼から伝わって来る不安と孤独と、絶望。そして深い深い哀しみ。

 油断すればその感情に飲まれ、ライトマン自身も、彼の精神世界に取り込まれてしまいそうだった。

 だが彼はやはり、クリムを拒まない。彼の感情の全てを受け止めて、ただただ優しく抱きしめる。

「戻ろう、クリム君。君のその力も、孤独も、全て受け止めてあげるから。ワシも君と同じ、寂しさも絶望も乗り越えて生きてきたんだよ。だから、ね」

 と。ライトマンはそっと彼から離れ、手を差し伸べる。

 すぐ近くで、泣きじゃくりながら座り込む、アムルに向けて。

「おいで。怖くないよ」

「嘘。アンタだって私のこと、出来そこないだって馬鹿にして笑うんでしょ。いつもそう、みんなそう、ママだってそう。私は出来そこないだから。ママの力がなきゃなにもできないから、だから」

「君は強い子じゃないか。それでも必死に頑張って生きてるじゃない」

「嘘。だって私は」

「うん。君は出来そこないなんかじゃない、立派な人間だよ。泣いて笑って必死に生きてる。アムルちゃん、大丈夫。君の未来はワシらがちゃんと護るから。だから戻ろう、君の世界へ。未来はずっとずっと、君が思うよりもずっと広くて幾つもの道があるんだよ。だからね、ワシらはその未来を、君達子供の未来を護るために戦いたいんだ」

 優しい優しい、ライトマンの微笑み。

 アムルはその時、生まれて初めて、自分の心を包みこんでいた硬く黒い殻のようなものが静かに溶けてゆくのを感じた。けれど彼女はそれがなんなのか、わからなかった。でも、哀しみや悔しさや絶望なんかじゃない、全く別の理由で、涙が溢れた。

 アムルはゆっくりライトマンの傍に這ってゆき、彼の手に手を伸ばした。

「未来に絶対なんてないんだよ。ワシもエネルも不完全で、それでも必死に、未来を目指して生きてるんだよ。山積みの仕事だって、いつかは終わるはずだって、二人で力を合わせながらね」

 そう言って、ライトマンは、彼女の体に手を伸ばし、そっと、抱きよせた。

「約束する。君達の未来、必ず護るよ」

 二人に約束し、幼い体を優しく強く、抱きしめた。

 どれだけ絶望しても。どれだけ哀しくても。その先には必ず、希望があるはずだから。だから絶対に、偽物の幸せなんかに人の未来を閉じ込めてはいけない。そんなもの、本当の幸せなんかじゃない。未来を、子供達の未来を、そんな幻に変えていいはずがないのだから。だから、戦おう。例え、命が尽きてしまおうとも。




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