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護りたかったものはなんだろう。
彼が望む世界と、彼との約束。
この世界を頼むと彼が言うから、剣を握った。
でも何故、彼の世界を護りたかったのだったか。それだけ彼を信頼し、それだけ彼を大切と思っていたからで。けれどでも、何故だろう、何かとても大切なことを忘れているような気がする。いや、忘れているのではない。しまい込んだのだ。もうソレは必要ないのだと。彼の世界を護るために、それは必要のないものなのだと。そしてただ盲目的に彼のため、この世界を護り続けた。
そう。
それが『彼』の望んだ世界だったから――――
「主、よ。私は、私は」
鉄の兵士は剣を地面に突き立てて、よろよろと立ちあがる。
彼が望んだ世界。それを護るために存在し、そのためだめに剣を振るう。彼が望むなら、彼が幸せだと笑ってくれるなら、どれだけ手を穢しても構わないのに。なのに【心】が痛い。それはとても懐かしい痛みだった。もうどれだけか感じていない、人間らしい痛みだった。
「そう。私は貴方のために―――」
今、もしこの顔に目があったなら、涙を流していたのだろう。
鉄の兵士は顔を押さえ、溢れだしそうな感情を押さえて震えた。
「貴方のために、この世界を」
幸せだった、あの頃。
大切な女性がいて、大切な子供がいて。国のために戦って、幸せだけを信じて生きていた。
剣を握りしめ戦場を駆ける者として、失う不安がなかったわけではない。だからこそ今この瞬間を大切にし、愛する者を護りたいと強く願っていた。この世に絶対の平和も幸せもないと知っていたから、余計に大切にしたいと思った。
けれど。
手を汚し戦いぬいて、残ったのは屍と瓦礫だけだった。
愛する者を失い、信じたものを失った。
国を護るための戦い。だけど終われば屍の山。そして手は汚れ、背中には罪と幾万の兵の命―――まるで焼きついた影のように黒く張り付いて離れず、生きて笑えど寝ようが仕事に没頭しようが消えることも薄れることもなく、日増しにそれは濃くなり広がり心をどろりと飲みこんだ。
私は騎士。
国のために戦うのは当然のこと。
屍を踏み越えても、それは仕方のないこと。
そんなこと、頭では理解していたのに。
なのに、現実を受け止められるほど、残酷にはなれなかった。
「あんな苦しみ。もう二度と、誰も味わう必要などないのだ」
オンブルは硝子の鳥の止まる人差指を、空へと向けた。
そこに、鉄の兵士が駆けつける。
「オンブル様!」
「もう、全てが終わりだ。そして始まる」
言い終えた瞬間・その体を、剣が貫く―――鉄の兵士の握りしめた剣は真っ直ぐに主の体を貫き、充填させた魔操が傷口に張り付いて血と共に魔操粒子を零した。
「まさか部下に裏切られる日がくるとはな」
貫かれた傷口はしかし、すぐに塞がってゆく。
彼は現実の存在ではない。現実に肉体を置いてきた、精神体なのだ。
だから剣を突き立てても、痛みを感じることはない。命を失うことはない。わかっていたが、鉄の兵士は彼に剣を突き刺した。それは、血迷った殺意ではない。
そう、それは
「部下ではありません」
彼なりの決別の意思だったのだ。
「裏切りか。貴様をこの街に連れてきたのは間違いだったか」
静かな眼差しに宿るのは憎しみか、それとも哀しみか。
どちらともとれるその複雑な眼差しは、鉄の兵士の思い過ごしなのだろうか。
「部下じゃない。私は―――」
鉄の兵士は剣を強く握りしめる。
なにか言葉を続けようとしたらしいが、躊躇った様子で言葉を飲み込み、変わりに攻撃を仕掛けた。
「無駄だ。私は現実の人間ではない」
剣は主の体を斬りつけたが、まるで空気でも斬り裂いたような手ごたえだった。
主の体はゆるりと傷口を塞ぎ、
「お前は私の望む世界を護り続けてくれた。それが今、何故心変わりしたのかは訊かずにおこう。だが忘れるな、私はけして人が憎いわけではない。人が愛しいのだ。だからこそ、約束された未来を作りたいのだ」
やはり、気のせいではなかった。
その瞳はとても哀しげだ。
彼は騎士として国を、人々を愛していた。それは今も変わらず、だからこそこの世界を生み出したのだろう。誰もが苦しまずに笑っていられる、そんな理想の世界を。そしてそれこそが正義だと、真の平和だと思ったのだ。だから彼は、そこに罪悪感を感じない。
むしろ、正義という言葉を胸に、その想いを貫こうとしている。
彼は、悪なのだろうか。
でも、正しいわけじゃない。
いや、正義とか悪とかじゃない。
これは正しいとか間違っているとか、そんな話じゃない。
そんなことで結論付けられる話じゃない。
だって彼は人を愛している、それだけなのだから。ただ未来への道を少しだけ間違っただけなのだから。
一緒なのだ。
ライトマンやエネルと、一緒なのだ。ただ歩く道が違ってしまっただけ。それだけだ。
「だから邪魔をするな」
「させません。私は、貴方を、護るためにいるのだから」
鉄の兵士は剣を構える。
「だから、こんな間違ったこと絶対にやめさせてみせます」
「哀しいな」
オンブルの姿が、ふっと消える。
どこに行ったのか。見回すと、少し離れた場所に彼は移動していて、真っ直ぐ横に延ばされた腕の先で硝子の鳥が止まって小さく一声鳴いた。
「お前だけは、私の味方だと思っていたのだがな」
硝子の鳥が、ぬるりと溶けるようにして巨大化する―――翼をはためかせて空中を旋回してオンブルの前に着地し、また一声鳴く。
「ならば抗ってみせよ。とことんまで抗って貴様の正義を示してみせよ」
そう言って彼はまた、ふと姿を消す。
彼は硝子の鳥の背に立ち、どこか哀しげな眼差しでじっと鉄の兵士を見つめていた。
「オンブル様!」
引き止めるが、硝子の鳥は翼をはばたかせ、空へと羽ばたいた。
自分は彼を裏切った。だがそれは間違いではない。これは正しい判断なのだ。そう自分に言い聞かせるのに、【心】が痛みを訴える。
「私は彼のために、どれだけ過ちを繰り返しただろうか」
今、彼が立つ場所には無数の墓がある。
それは全て彼が屠ってきた者達の墓。彼らはこの世界に、彼の望んだこの世界に影響を及ぼす恐れがある―――そんな理由で、一体どれだけの犠牲を出したのだろう。護るため、自分の中の正義を貫くため、手を穢してきた。なんて矛盾しているのだろう。なんて愚かなのだろう。
鉄の兵士はきつく手を握りしめ、呻いた。




