5
世界を救うためとか。
人々を護るためとか。
大層な理由を持って剣を握ったが、出した結果はただ多くを殺したという事実だけ。
朽ちた人々はもう動かない。彼らは人間だ。戦闘用の兵器などではない。それなのに彼らは国のために戦い血を流し、朽ちた。それなのにその向こう側で彼らに命令を下す者は玉座に座り、結果だけを待ち望んでいる。彼らだけではない、こちら側の主も同じこと。平和を望みながら戦をし、多くを犠牲にし、満足している。
なんのために戦ったのか。
なんのために彼らは犠牲となったのか。
誰も答えを出せないのなら、作ればいい。
新しい答えを。
正義と言う名の、答えを。
オンブルは塔の外の墓地に立ち、指先に止まる硝子の鳥を見つめる。
儚くも美しく、不確かなその存在。指に触れる感触は温かく、優しい。
これは幻。けれど現実。優しくて温かな、現実。
棄てた者にのみ与えられる、絶対の温もり。
それでいい。もう何も、もう誰も、犠牲になどならずにすむのなら。
全てを壊して、作ればいい。
それは正義、それは平和を約束するための最善の方法――――
「歌が、聞こえる」
どこかから、美しい歌声が聞こえる。
儚くも優しい、女性の歌声。
懐かしく、けれど切ないその歌声。
ああ、この歌声はそう―――
ライトマンとエネルが研究施設の屋上に到着すると、そこには既に魔操を過剰に吸収して紅く輝き地面に根を張る世戒樹があった。近づかなくてもわかる、それが触れては危険なものだということが。それは樹でありながらまるで化け物のように負の感情を漏れ溢れさせ、声なき呻きを上げている。
おぞましい。
その言葉がまさに当てはまる、そんな姿。
二人は声も出なかった。
そんな危険なものを、今の今まで見たことがなかったからだ。
「博士、これは」
「地下でみたあの子達の魔操を養分にして成長してるんだ。無数の核帯が伸びてる………このまま放っておいたら世界中の人達が精神体を吸収されてしまうよ」
世戒樹からは核胞記をまとった核帯が異常なまでの魔操を含んで眼が眩むほどの輝きを放ちながら、海に囲まれた空を突き抜けてゆく。その姿はまるで流星群のようで一見するととても美しい。けれどそこから放たれる魔操は、二人に恐怖さえ感じさせるものだった。それは魔操の量が原因なのではなくて、そこにある、地下室で眠る子供達の負の感情によるものだった。
哀しみ、恐怖、憎しみと絶望。
子供達の悲鳴が魔操を通じて二人に響いてくる。
「どうすれば」
「物質に魔操を宿すためには【核】が必要だからね、どこかに【神核体】があるはずだよ」
「それを壊せば―――」
「うん。いこうエネル」
二人は走り出す。
この距離からではそこに神核体があるのかどうかははっきりとわからなかったが、核を持たずに魔操が物体に宿ることなどあり得ないという知識がライトマンに確信を持たせていた。そしてエネルも彼の魔操に関する知識には信頼をおいていたし、だから彼の言葉を疑うことはしなかった。
二人が魔操に向かって走っていると、その足元に硝子の破片が突き刺さり進路を妨害した。
何者かとガラス片が飛んできた方向を見れば、すぐに、硝子の鳥に乗ったシュヴァルツが近づいてきて屋上に降り立った。その鳥の背には彼のほかにアムルとクリムの姿もあったが、二人は意識をを失ってぐったりと折り重なっていた。
彼に何かされた、というのは考えずともわかる。
「二人になにをしたんだ!」
声を荒げるライトマン。
シュヴァルツは平然とした顔で、
「起きていられては面倒だから眠らせただけだ。他に理由など、ない」
シュヴァルツは剣を抜き取ると、ゆっくりと二人に近づく。
エネルは素早くライトマンの前に出て、チェーンソーを構えた。
「私を倒したところで無駄だ。もう世界は新世界へ向けて歩み始めているのだからな」
シュバルツはそう言って、世戒樹を見上げた。
その表情はまるで偉大なる母を見つめる子供のような、慈しみと尊敬を感じさせた。彼は世界を変えることを本当の平和だと思い、正義だと信じている。彼の表情は確かにそう言っている。
だが、そんなものが平和だなんて、ライトマンは思わない。
「何もないことが平和だなんて、ワシは思わないよ」
「傷つかず絶望を感じることもなく、笑って暮らせる世界。それを平和だと呼ばず、なにを平和だと言う」
「山積みの仕事も、辛辣な助手の言葉も、寝不足の頭も、全部辛いことだけど、ワシはそれを不幸だなんて思ったことはないよ」
はっきりと言うライトマンを、意外そうにエネルが見上げる。
「山積みの仕事が片付いた後の充足感を君は知ってるかい。辛いからこそ、それを乗り越えた時、ほんの些細な幸せがとても眩しくて素敵に感じられるんだよ。それに夢の世界で笑うばかりの生活なんて、死んだも同然だろう。そんな所で約束された未来に甘えるより、一寸先もわからない現実で笑う方がいいさ」
「下らん。二十年前の戦争を忘れたわけではあるまい」
「もちろん覚えているよ。ワシの親も兄弟も全て死んでしまったし、その後の生活と言ったら笑い話にもならないよ。瓦礫の中を走り回って生きるために残飯を漁って、酷い時は人の肉さえ食らおうとした―――そんな現実を目の当たりにしたのは君だけじゃない、それでも人は今、確かに笑って暮らしている。だから君は、自分勝手な理想を人に押しつけて幸せを感じて生きる人達を犠牲にすべきじゃない。そんなことは絶対に許されることじゃないんだよ」
ライトマンは工具袋からドライバーを取り出し、
「でも君はそれを正義だと言う。だからワシは君を悪だとは思わない」
魔操を充填し、相手を真っ直ぐに見詰めてエネルの前に立つ。
「博士?」
「ただはっきりと言えること。それは君のその考えが、間違っているということだよ」
そして、駆けだす。
シュヴァルツの剣とライトマンのドライバーが交わり、甲高い音を鳴らす。
「間違いだと? どうせまた過ちを繰り返し、あの時と同じように多くの人間が傷つき泣くのだぞ。それをわかっていながら貴様は、人の未来を見殺しにするのか」
大きく一歩踏み出し、ライトマンのドライバーを弾く。
ライトマンは攻撃を交わして剣を受け止めると、
「十年後、二十年後、また同じ過ちを繰り返すかも知れないけど。だけど人はそこからまた、新しい未来を探して歩くんだよ。未来も見えず希望も失って地を這うように生きていたワシに、先の見えない未来を悲観して泣くより今を生きることが大切だって教えてくれた人がいる。だからワシは絶対に、君の語る正義を認めたりはしない!」
叫び、剣を弾く。
全力で相手の間合いに入り込んで武器を振るう。
シュヴァルツは攻撃を交わすと、斬りつけようと間合いに踏み込んでくる。その度にライトマンは攻撃を受け止めて、剣を弾いて、でも逃げようとはせずに立ち向かう。
シュヴァルツには理解できなかった。
彼は体力もなくて運動神経もなくて、エネルがいなければ確実に死んでしまうような男なのに。この街に彼が一人で訪れていたとしたら今頃、あの鉄の兵士に殺されて墓の中に埋められていただろうに。そんな情けなくて頼りない彼が何故、負けるとわかっていながら立ち向かうのか。
「何故、戦う。貴様など、この私に適うはずもなかろうに」
「どんな手段を使ってでもワシは必ず君を止めて見せる。だって、そうしなきゃ未来が終わってしまうんだもの。だからワシは、情けなくてもかっこ悪くても、命と引き換えにしたって未来のために戦うよ」
「未来? くだらない。人間は今まで、その未来とやらに真の平和を築くことができたのか? 結局人はな、同じ過ちを繰り返すんだ。いや、人じゃない………未来に何を望んだって結局は、人は権力のある者の犠牲になるしかないんだ。だったら。だったら、夢の檻に閉じ込めてしまった方がいい。そう、約束された未来を人々に与えるのだ!」
とうとうシュヴァルツの一撃がライトマンの胸を傷つける。
寸でのところで交わしたのでそれほど深い傷ではなかったが、その攻撃で彼は態勢を崩してその場に倒れ込んでしまう。すぐに身を起したが、鼻先に剣を突き付けられてしまう。
「約束された未来を摘むというのなら、私は今すぐこの場で貴様の首を取ろう」
「魂になっても。ワシは未来を護る」
肩で荒く呼吸を繰り返しながら、ライトマンは言う。
必死な顔をして、半ば相手を睨むような顔をして。
そして、
「君は人といる幸せを知ってるかい」
剣を掴み、力任せに押しのける。
手から血が滴り、病的に白い彼の肌を伝う。
「辛辣な言葉を投げつけられても、どんだけ酷い起こされ方をしても。それでも好きだって、大切だって思える人がいるから、ワシは山積みの仕事だって頑張れるんだ。いつかもし世界が終ろうとしても、ワシはその子が傍にいてくれるなら笑っていられるよ。いや、泣きだしたくなるほど恐くたって、笑顔を見せてあげられるよ」
剣を押しのけながら、ゆっくりと立ち上がる。
エネルは彼のその背中を見上げた。
万年栄養不良で体力なんて微塵もない彼だけど、その時の彼の背中はとても大きく頼もしく見えた。
「人の幸せって、そんなもんだよ。だから君が人の幸せや未来を決めつけるなんて間違ってるし、しちゃいけないんだ」
「うるさい」
シュヴァルツは剣を振り上げる。
武器を失ったライトマンは、しかし、それでもまだシュヴァルツと向かい合い逃げようとはしない。
狂っているのか。シュヴァルツは一瞬、そう思った。
「貴様の偽善的な説教など聞きたくはない。私は二度とあんな現実を見たくない、もう二度と誰にも見せたくないんだ!」
シュヴァルツは剣を振り上げる。
ライトマンは反射的に後ろに飛び退き、地面に転がっているドライバーを拾って魔操を充填し、身を翻して再び立ち向かう。その行動は予想外のものだったのだろう、シュヴァルツは怯んでしまった。この、どう見ても戦いに不向きな男が、既に肩で息をしている軟弱な男が、傷を負いながらも逃げだそうともせずに立ち向かって来るなんて、誰が予想しただろうか。
再び剣とドライバーが交わり、甲高い音を響かせる。




