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3

 硝子の鳥が空を飛ぶ。

 乗っているのはシュバルツと、後ろに折り重なってクリムとアムルが横たわっている。

 目指すは研究所の屋上、世界中の元。

 彼は静かに瞳を細め、口元に不敵な笑みを浮かべる。

「クリム。アムル。これで貴様らもようやく、自由になれるのだ。喜べ、なにも哀しむ必要などない」

 硝子の鳥が、風のない空を飛ぶ。

 白銀の髪が光の線のようにサラサラと流れ、輝く。

 その髪を右手で押さえ、彼は呟いた。

「やっと、本物の英雄になる時が来た。今度こそ、今度こそ貴方は」

 今も覚えている。

 二十年前のあの日のこと。

 まだ幼かった彼のその眼に焼き付いて今も離れない、あの光景が。

 廃棄された肉の塊のように累々と横たわる屍は性別もわからないほど無残に傷つけられ、緑豊かだった大地は血に濡れ、物音はと言えば何もない。ただどこからか辛うじて生き延びてしまった人間の苦しげな呻きが聞こえる。もう命は長くないだろう、それでも必死に生を望み、声を上げている。

 傍らに在るのは、友人の亡骸。

 もう動かず、温もりもない。

 そこにはただ、地獄だけが広がっていた。

 そしてその屍の真中に立つ男、その背中は悪魔のように冷たく、大地に突き立てた剣に纏う紅い血は誇らしげに輝いていた。その男はゆっくりと振り返り、言う。

「大丈夫か、小僧。残念な話だがこの村にはもう生存者はおらぬ」

 その男の顔を忘れたのか、忘れようと思ったのか、暮れゆく夕陽に照らされて、半分以上顔がはっきりとしないまま記憶に残された。けれど彼のその背中だけは今も、はっきりと覚えている。大地を駆け抜け、村を襲う数百の兵をその剣ひとつで、たった一人で斬ったのだ。

 それから彼は、何事かを言った気がした。

 その言葉はなんだったか―――まるで不確かなこの街の存在と同じように、言葉は曖昧な雑音となって消えてゆく。どうでもいいことだったのか、耳を塞ぎたくなるような言葉だったのか、何故だかもう思い出せはしない。

 放り出したくなるような過去の記憶を自ら掘り返し、胸の痛みを感じながら瞳を閉じる。

 彼らは、敵だった。

 村を襲った、敵だった。

 けれど、大地に転がっていたのは、人間だった。

 助かった喜びよりも、肉の塊となって朽ちた人々が恐ろしかった。

 これが戦争。これが、人の欲望がもたらした結果。

 哀しみや怒りを感じる冷静さは、なかった。そんな感情よりもずっとずっと大きな恐怖が、少年を飲みこんでいたのだ。

「今度こそ貴方の望む世界をどうぞ、人々にお与えください」

 シュバルツは呟き、瞳を開ける。

 あと少しで、世戒樹。硝子の鳥は翼を広げ、真っ直ぐに向かってゆく。

 




 帝都を襲う、核帯から生まれた亡者達。

 兵士達は休む間もなく街を駆けまわりそれらを排除し続けている。人々は避難させたものの、いつそこに敵の手が伸びるとも知れない。だから彼らは休む間もなく、ひたすらに剣を振り続けた。負傷者も、出た。命を落とす者も、出た。

 核帯が明滅し、終わることなく亡者達がわいてくる。

 世界が壊れてゆく。

 平和だったこの街が、国が、世界が壊れてゆく。

 今確実に、崩れてゆく。

 国王執務室の窓から帝都を見下ろし、唇を噛み締める。

 傍らには、戦斧。けれどもそれを握ることは許されない。

 玉座に座り命令を下し、自分はこの国のために生きなければならないのだから。それが皇帝である自分がしなければならないこと。それが自分の使命。そして兄と骸達との約束なのだから。けれど、けれども、何もせずただ成り行きを見守るだけなんて―――

 ロキは傍らの戦斧に手を伸ばす。

「へーいか。何をなさるおつもりで?」

 聞きなれた男の声。

 驚いて振り向けば、いつの間にか、部屋の扉にもたれてスペルが立っていた。

「貴方はこの国の心臓だ。万が一にも命を落とすようなことがあっちゃならないことぐらい、わかってるでしょうに」

「ああ、わかっているよ」

 ロキは斧から手を離し、窓の外に目を向ける。

「私がやらなければならないことは、戦うことじゃない。この国のため戦う者達のため、この国のため、生き続けることだ。兄から玉座を譲り受けた時から覚悟はしていた」

「ならば、どうか武器をお捨てください。貴方がすべきことは国のため戦う者達のため、未来を繋ぐこと。戦いなど、そんなものは我々の役目なのですから」

 口の端に彼らしい余裕を浮かべて、腰に携えた革製の筆入れから羽ペンを取り出し唇に添える。

「だからどうか貴方は玉座に座り、我々の望む未来をお守りください。それが、陛下に託された使命。そして我々の希望なのですから」

 そう言って、スペルは、静かに部屋を出て行く。

 残されたロキは、辛そうにじっと街を見下ろしていたが、やがてそっと瞳を閉じて窓に背を向けるのだった。そして壁に掲げられた兄・クォルツの肖像画を見つめ、戦斧を手にする。

「ああ。約束だからな………必ず、何が起きても生き延びて、この世界を護り続けると」

 そうしてロキは、戦斧を投げ捨てた。

 ずしん、と。重々しい音が、静かな執務室に響く―――




 街に溢れる亡者たち。

 兵士達は剣を振るい、戦い続ける。

 彼らはオンブルが見た悪夢。彼の、心の闇。それはどれだけ数を倒そうともけして消えることはなく、むしろ、時間が経つにつれどんどん数を増しているような気さえする。そんな彼らを、兵士達は、怯むことなく全力で排除し続ける。

 そして司書であるスペルも、敵の中を駆る。

 懐から古びた書物を取り出し、ずらりと書かれた文字を素早く指でなぞる。

「言魂よ、我が心に呼応し力となれ!」

 唱えると、指でなぞる先から文字が書物から抜け落ち、スペルの腕に絡みつく。

「アスガルド歴・20300年、10月25日没・使用人アンディ=バロウズの日記。第120頁目、8月16日【親友の裏切り】―――禍々しいほどの怨念が伝わってくるぜ」

 腕に絡みつく文字をぎゅうっと握りしめると、文字から漆黒の力が溢れてバチバチと音を立てた。スペルはそれを握りしめて駆け出し、跳躍・敵に向けて放つ。怨念の込められた文字は亡者達に絡みつき、バチバチと音を立てながら黒い力を放ち、地を這いながら次々に彼らを捕らえて消滅させてゆく。

 と文字は地を這いながら集結・黒い男の形を成した。

 男は拳を握りしめ、切なく哀しい感情の溢れる雄叫びをあげた。

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

「第60頁。3月09日【通り魔による妹の殺害】―――哀しみと怒りの言魂よ、我が力となれ!」

 スペルが唱え文字を指でなぞると、男は更に哀しい悲鳴を上げて、再び文字へと姿を変えて地を這う。と大地がひび割れ、爆音を轟かせて大地が粉砕・破片が鋭い武器となり、亡者達に降り注ぐ。

「まだまだこんなもんじゃないぜ。亡者達、覚悟しなさいよ?」

 スペルはにやりと笑い、革製の筆入れから羽ペンを取り出し、先端をぺろりと舐める。

「仕上げは俺の言魂。最上級の感情を食らいやがれ!」

 スペルは叫び、空中に羽ペンで古代文字で何かの図形を描き始める。

「骸様に頼まれちゃったもんでねぇ、陛下を頼むって」

 羽ペンで、勢いよく、図形の中心を突き刺す。

 眩い光と共に激しい力が溢れ、スペルの髪と衣服をなびかせる。

「いっけええええええええええええええ!」

 どん、と激しい音が響いて。光の塊が四方に放たれ亡者達を一掃してゆく。

 スペルは羽ペンを手の中でくるりと回転させると、冷たい眼差しで彼らを見、にやりと笑う。

「アンディ=バロウズ。最終頁【病】―――悪いが、使わせてもらうぜ」

 髪を書きあげて冷たく笑うスペル。

 周りで戦っていた兵士達は彼のその表情と、冷たすぎる雰囲気に、思わず動きを止めてしまった。そこにいる彼はいつものふわふわとした彼ではなく、まるで、負の感情に囚われたように冷たく憎しみや哀しみばかりが溢れだしていたのだ。

 スペルは書物の最終頁を開くと、そこに書かれた、弱々しい文字を指でなぞる。

「絶望と哀しみの言魂。さあ、亡者達を捕らえろ。そして同じ苦しみを味わわせてやるんだ」

 命令すると、男………アンディ=バロウズは雄叫びをあげ、再び文字へと姿を変える。

 文字は鎖のように亡者達に絡みつき、かと思うとそれは彼らの躰にどろりと溶けてしみ込み、一体化してしまう。亡者達はもう身動きもとれずその場に倒れ込み、溶けるように、姿を消してゆく。

 スペルは羽ペンを筆入れにしまうと、半眼で、じろりと辺りを見渡した。

 どこからともなくまた、亡者が溢れる。

「こりゃあキリがないねえ」

 小さくため息をつくが、スペルは再び書物に指を触れ、そこに書かれた文字を引きずり出した。

「でも。まあ、仕事サボる口実としてはちょうどいかもね」

 と、スペルは、口の端に余裕の笑みを浮かべた。






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