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ライトマンはセキュリティシステムを制御しながら、どんどん下へ進んでゆく。
薄暗く細い非常階段を足音をひそめながら進んでゆくと長い通路が現れた。
ここはどこだろう。薄暗く、肌寒く、天井付近の壁には等間隔で紅い明りが灯ってずっと奥まで続いている。
先が見えない。ただ闇ばかりが、等間隔に並んだ明りを吸い込んで手招きしているようだ。
「博士、この先になにがあるのです」
「そうだね。普通じゃないもの、かな。本当なら君を連れて行きたくはないんだけど」
とライトマン、トランクからゴーグルを取り出して装着し、人差指で魔操充填口から魔操を充填する。
ゴーグルに複雑な記号や数式が現れて、彼の右目を照らす。
「一緒に行きます、です」
「じゃあ、手を繋いでいよう」
ライトマンはにっこり微笑み、手を差し出す。
エネルは恥ずかしそうにほんのり頬を赤らめて、きゅっと彼の手を握る。
「魔操の流れが続いてるんだよ、こっちにね」
「流れ、ですか」
彼が装着しているものは、修理用のゴーグル。
そのゴーグルを介せば普通は目視できない魔操の流れを見ることができて、神殻のどこが悪いのかも簡単に見つけることができる。そして今、そのゴーグルを介して見えるのは、およそ一般の神殻にはあり得ない、複雑でいて濃い魔操の流れである。
「相当濃いよこの魔操。それもただ濃いだけじゃない、誰かが故意に操作したんだろう不自然な個所がいくつもある。この核胞記は普通の配列じゃない、明らかに無理な組み換えがされてる」
何もない空間をゴーグル越しに見ながら話すので、どんなものか見たくなってエネルは無理やり彼からゴーグルを奪い取って装着した。目の前には色とりどりの帯状の核胞記が流れている。どれも今まで修理の時に何度も見てきたものだが、別段おかしいというところもない。
だから彼女は疑問を顔に浮かべ、彼をじっと見上げるのだった。
「そうだね。今までワシらは神殻相手の仕事しかしてこなかったからね。ここに流れているのは全て人の体内に在るべき魔操で、本来はこんな風に流れ出たりはしないものなんだよ。それはエネルも知っているよね。神殻には古代文字、及び、核胞記が使われている。けどここに流れている魔操には、それ以外の、体内にしかないそれぞれが持つ己核記がある。己核記と核胞記と古代文字が組み合わされて、全く新しい魔操が出来上がっている。おそらく体内に収まりきらずに流れ出てしまっているんだろう」
「この先にあるもの………なんなのですか」
エネルは不安げに、彼の手をきゅっと握りしめた。
人の体内に収まりきらない程の、この大量の魔操。こんなものを保有している生物とは一体、どんなものなのだろうか。彼女には想像もつかなかったが、博士はもうその正体を知っているようだった。憶測などではない、きっと彼の中でそれは確定しているのだろう。
聞きたい。
けれど答えを聞くのが、恐い。
「ワシは確かめに行きたいけどエネルは」
「博士の場合、一人で行った所で喰われて終わり、です」
「ま、まあ確かにワシ頼りないけど」
彼女の的確な判断が胸に痛い。
どれだけ彼女を気遣ったところで自分には力がなく、それがなんだかやっぱり情けなく感じるのだった。
「大丈夫、です」
とエネルは頬を赤らめて、
「博士も一緒、です」
博士も一緒だから大丈夫。
エネルは心の中で、そっと呟いた。
「まあ、二人なら恐さも半減かな。よし、行こうか」
ライトマンはにっこり微笑んで、進行方向を真っ直ぐに指さした。
そして二人は歩き出す。
そして、ふと、足を止める。
また、歩き出す。
足音が、聞こえる。歩く音に重なって、もう一つ、別の足音が聞こえて来る。
つけられていたのか。
二人は顔を見合わせると、全速力で走りだした。もう一つの足音も、それと重なって追いかけて来る。
「まままままさか付けられてたのかなっ」
「そのよう、です」
「全く気付かなかったよ」
二人はひたすらに走り続けた。
ひたすらに走り、錆びついた梯子を必死に上り、ようやく地上に出た。
けれどそこは、目的地ではあったものの、あまり喜べるような場所ではなかった。
薄赤い光に纏われたその空間。広い部屋の周りには、壁のように卵のように無数のカプセルが整然と並び、その中にはアカデミーの生徒だろう少年少女達が膝を抱えて眠っている。この部屋を仄かに照らすこの紅い光は、そのカプセルに満たされた液体から放たれるもののようだ。そして彼らの周りには、金色の古代文字と記号と数式が並び、彼らを護るように巡っている。
「これは一体」
エネルが眼を丸くする。
「この研究施設はアカデミーのものらしいね」
よっこらしょと疲れ果てた様子で部屋に上がると、哀しそうに瞳を細めて子供達を見つめる。
エネルも部屋に出ると、彼の横に立ち、カプセルの中の子供達を見た。
「実験、ですか」
「恐らくこの子達は養分だよ。核帯を作るためのね」
「では。この子達を倒さない限り、魔操の異常は直らないということですか」
「いや。あの樹を潰せばなんとかなるだろう」
ライトマンはカプセルに近づき、膝を抱えて眠る少年を見つめた。
「現実と、空想の世界。どちらが幸せかなんて考えなくてもわかるのにね」
「博士」
「あの時と同じだよ」
「あの時、ですか」
「夜光花が消えた、あの戦争さ」
哀しげに瞳を細め、カプセルに手を触れる。
「力を手に入れるために夜光花を採取し続け、絶滅させてしまった。命あるものが人の欲望の犠牲になる必要なんてないのにね。オンブルだってわかっているはずなのに、この世界からその哀しみを失くすためにまた命を犠牲にしようとしている。彼だって矛盾してるってわかってるだろうけど、彼にとってこれが世界を救う『正義』なんだろう。許せないと思う反面、彼の人を愛する気持ちを思えば怒りよりも哀しいという気持ちの方が強くなるよ」
絶望の中で彼はこの世界に逃れ、ずっと世界から争いを失くしたいと考えていた。
そしてこれが彼が出した結論。命を犠牲にしても、世界から哀しみを失くしたい。
矛盾している。だけど彼は、それこそが真の平和だと言う。
作り物の世界こそが平和だと。何もない、ということが平和なのだと。
彼は現実に在る全てのものを捨て、何もないという楽さと安心感を平和と勘違いしているのだ。
それはなんだか、哀しいことだ。
ライトマンは瞳を細め、小さな溜息を吐く。
その彼の手を、エネルがきゅっと握りしめた。
「エネル」
「………行きましょう。世界を、救うのです」
「うん。そうだね」
優しく微笑んで、世戒樹に向かうために背を向ける。
するとその時――――後方から、怪しげな男の声が聞こえた。
「これが我らアカデミーが誇る、最強にして最悪の最終兵器さ」




