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風が吹く。
硝子の鳥が空を飛び、水の花が揺れて水滴を宙に煌めかせる。
人々は歌い踊り、笑う。空が暗くなれば七色の鳥が飛んできて、パレードが広場を行き、高らかなファンファーレを鳴らす。露店に並ぶ品々は誰かの手に触れると消えて、それでも彼らは笑って、それでも彼らは踊って、それでも彼らは歌う。
幸せなのだと。
なにもかも忘れて。
なにもかも、閉ざして。
作られた幸せの中で、歌い踊り笑い続ける。
そこに激しい揺れと共に地響きが襲いかかる。けれども彼らは笑って踊って歌って、いつもと同じ顔をする。
激しい揺れ。その正体は広場から遠く離れた場所にある。街を覆う海の空、その彼方に突如現れた宙に浮かぶ島。それは光の粒子を纏いながら急激に成長し、枯渇した幹や根を幾つも絡ませた巨大な大樹へと成長し、細い根を無数に絡ませながら幻の街に突き刺さる。
それはライトマン達のいる塔の中からでも、はっきりと確認できた。
地響きと激しい揺れに驚いて足を止めた鉄の兵士は、ライトマン達と共に窓の外を覗きこんだ。
そしてそこに現れた奇妙な大樹を眼にして、驚愕する。
「あれは一体」
「これも街の、パレードの一環なのかい」
なにか違う気がする。
そう感じつつも、一応訊ねるライトマン。
鉄の兵士は静かに首を振る。
「あれは幻じゃない。この世界に、あんなものは存在しない」
鉄の兵士はライトマンを押しのけて、階段を駆け上がり始めた。
ライトマンとエネルは顔を見合わせ小さく頷き、鉄の兵士に続いて階段を駆け上った。
「ようやく、真の宴が始まる」
オンブルは愁いを帯びた瞳で苦笑する。
薄暗い部屋の中、小さな窓から覗く世界。
空中に浮かんだ島に現れた大樹は無数の根を絡ませ合いながら街に一本の柱を作って突き刺さっている。その姿は彼にはとても嬉しかった。これでようやく望みがかなうのだと、そう確信したからだ。
「ありがとうシュバルツ君。君に出会えて本当によかった」
オンブルはゆっくりと腰を上げ、窓に近づく。
小さな窓の向こうに広がるのは、争いのない平和な街。白い街並み。色もなく、ただ時々色鮮やかな鳥が飛んで歌声が流れては消えて、それでも結局は無色の世界に姿を還す。そんな街はどこまでも広く、ここが船の上だということを忘れさせる。
海に包まれた空は澄み渡り、煌めきながら偽りの光で世界を照らす。
「やっと。やっと世界は真の平和を取り戻す」
オンブルはほくそ笑み、ゆっくりと立ち上がる。
その時、部屋の外にライトマン達が駆けつけたが―――
扉には無数の棘を持つ枯れた蔦が絡まり合い、ドアノブもなく、三人を拒んでいた。
「どうやって開けるんだい?」
「わかりません」
「わからないって、君の主の部屋じゃないのかい」
「彼がこの世界に移り住んでから今まで一度も会っていません」
「会ってないって、なんで?」
「彼がこの部屋から出るのを望まないからです。彼が望まないのなら、私は彼にそれを強要すべきではない。彼が私に望むのは、この世界を護ることだけです」
そう言って鉄の兵士は、諦めたように扉から離れた。
ライトマンは、あごに手をあてて少し考えると、トランクから二人分のゴーグルを取り出して、一つをエネルに手渡した。
「もしこれが主の仕業なんだとしたら、彼の精神体があるはずだよ」
「あっても、それをどうするんです」
鉄の兵士が訝しげに訊ねる。
「精神コード。神移症を発症した人が独自に生み出す、虚構の物質を構成する暗号だよ。意識的に構成するわけじゃなく、物質を生み出す際に自然と作られるんだけどね。それを分解・再構築できればこの壁も制御できると思うんだけど」
「核胞記がたくさん見えます、です」
ゴーグル越しに見えるのは、無数の核胞記。
数式や古代文字で構成されたそれは紅い花のように蔦に絡まりながら、煌めいている。
それは今まで神殻修理の時に見てきたものと変わりない気もしたが、だがよく見ると物質を構成する核胞記の中に、それとは違う別の何かが見えた。
「核胞記と精神体の融合、それが精神コードさ」
ライトマンはポケットから黒いグローブを取り出し、装着する。
そしてスっと両手を前へ伸ばす―――ぽ、と指先に紅い光が灯り、それが枯れた蔦に閉ざされた扉に放たれる。
と扉の前に古代文字と記号、数式の刻まれた巨大なシンボルが現れた。そんなもの今まで見たことのなかった鉄の兵士は度肝を抜かれ、愕然とした様子で立ちつくすのだった。
「な、なんですかこれは」
「精神偽態図だよ。先程も説明したように、神移症の患者が独自に生み出す虚構の物質を構成する暗号を精神コードと言って、それを解読・解除するために作ったワシ専用の精神コードさ。まあ要するに、コレを使って無理やり暗号を書き換えようってことなんだけどね」
言いながらライトマンは、指先を動かし手早く暗号を解除してゆく。
指先から次々放たれる光が精神偽態図の暗号を次々に書き換え、その度に精神偽態図が明滅して余計な精神コードが光の粒となって零れ落ちてゆく。
「よし、書き換えたよ」
「ほ、本当に大丈夫なんですか」
鉄の兵士が不安げに、扉に手を触れる。
すると。枯れた蔦はまるでトドメを刺された蛇のように乱暴にうねり暴れ、見る間にボタボタと落下していった。数秒のことだったか―――扉から蔦が消え去った後、眼の前には、錆びついた鉄の扉がずんと佇んでいた。
「さあ行こう」
精神偽態図を消すと、ライトマンはすぐにドアノブに手をかけた。
鉄の兵士は我に返り、ハっとした。
ゆっくりとドアノブを回す。
錆びついた重々しい音と共に、ゆっくりと扉が開かれた。




