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ここは帝都・グリングラウンド。
この世界には、魔操という力が存在している。
魔操は特有の精神構造を持ち意志を持って存在しているため、素質のある者は己の精神を魔操に触れさせ特殊な精神体を構築・具現化させることが可能なのだ。その力は人々の生活には欠かせないもので、日用品はもちろん交通手段にも使われている。それらを使用するために必要なのが【核】と言われるものであり、道具の心臓のようなものだ。そこに魔操を充填して道具や神殻を使用するのだが、最近、その核が異常を来たす現象が相次いでいると言う。
ここ帝都グリングラウンドの生活は、神殻によって支えられている。
帝都の中心には、湖に囲まれた大きな樹【魔想樹】が植わっている。そこから放射線状に行く筋もの運河が伸び、街の建物もそれを囲むように同じ方角を向いて並んでいる。その樹に【核】のエネルギー源となる【魔操神核体】が埋め込まれていて、そこから空気中に作られた魔操の通り道【核帯】を通じて街中の神殻に魔操を送り込んでいるのだ。
帝都を走る客車、神殻を動かすための巨大な歯車。
空には核帯を支えるための暗号が結晶化した不規則な文字列【核胞記】が煌めき、魔操神核体へと流れている。
街は魔操のお陰で生活が豊かではあるが、同じように自然も豊かだ。家々の間には木々が生え、屋根には様々な植物が生え、時には成長しすぎた樹が民家を半分飲みこんでいたりもする。その帝国一の技術と豊かな自然が融合した姿は独特の美しさと魅力を持って存在し、平和の象徴としても世界的に有名なのだ。
そんな街の中で最も美しい場所が、王城・ヴェルデ城―――
魔操粒子と歯車に支えられて空中に浮かんだそれは巨大な樹を背後に、螺旋状に核胞記をきらめかせ、常に帝都上空をたゆたっている。
人が起こす犯罪はあれど、国がどうこうなるような事件も起きない平和なこの国。
けれど最近、どういうわけか、神殻の不具合が多発していた。
そしてこの時も、そう―――客車の機関室が爆破し、脱線・なんとか急停車したものの乗客たちは座席から放り出されて団子状に重なり合って倒れ込み、他にも水道から大量の水が噴き出したり、道路修理用の大型神殻が暴れだして人を襲いだしたり―――この時、神殻はこれまでにない異常な行動をみせはじめていた。
だが、それだけならまだよかった。
核帯から光が放たれ、通行人を襲ったのだ。
その光に衝突された者は吸い込まれるように意識を失い、倒れ込み、周りの人々が抱き起こし声をかけても意識を取り戻しはしなかった。死んでいるわけではない。ただ、眠ってしまっているのだ。
一体これはどういうことだ―――人々は惑い、顔を見合わせた。
なんてことが起こってる一方で、ここヴェルデ城の国務室では、まだ何も知らない皇帝陛下・ロキが暇そうに大欠伸をしながらお菓子を食べつつ仕事をしていた。
「あー、暇だ。旅に出たい」
ぼやく彼のその横には大量のお菓子と口の中にはチョコレート、右手は既に次のお菓子に伸びている。
屈強な体つきと凛々しく整った顔は、黙って王座に座っていれば威厳を感じさせることができるだろう。
だが彼は皇帝の座にも権力にも興味がなく、むしろ自分がこの地位にいることを窮屈にさえ感じているのだ。というのも数年前までは兄のクォルツが皇帝の座についていたのだが、ある日突然彼は『世直しの旅に出る』と言って部下を引き連れて城を出て行ってしまった。そうして、それまでそれなりに自由にやっていたロキに皇帝の椅子が回され、しかし断るわけにもいかず、仕方なく玉座に座ることになったのだ。
思ってもない事態に戸惑いつつも、放り渡された王冠を投げ棄てるほど無責任にもなれず、形ばかりの皇帝をしてみて早数年。それなりにこの仕事に慣れたとはいえ、媚びへつらい偽善的な笑みを浮かべて近づく貴族達の相手はどうにも慣れない。
ああ、自由になりたい。
皇帝の証である黒を基調とした豪奢な衣装も、肩から胸にかけて施された皇族の証である紅玉のエンブレムも、全て払って飛び出したい。なんてことを部下達に言えるわけもなく、彼は常に外に憧れながら下らなそうな表情で執務机に座るのだった。
ちなみにこの執務机の、入口から見て右側の壁には、兄・クォルツ前皇帝陛下の明るく元気な笑顔の肖像画が掲げられている。
「旅ってね、皇帝陛下。こんだけ仕事が溜まってんのにそんなことしたら、骸様が泣きますよ」
歳は二十歳くらいだろうか。色白の肌に整った顔、長い睫毛に透くように青い瞳が印象的な、男性から見ても魅力的な青年。彼は燃えるように紅く癖っ毛の髪を腰ほどまで伸ばし、下の方でゆるく結んでいる。その彼の着ている服は、帝国の若者に人気の仕立屋に特注で作らせた紅と紫と金を基調とした衣装。中には体に密着した黒の服、下は同じく黒を基調としたパンツ………そこにシルバーの装飾品を携えている。だが腰のベルトには彼の商売道具ともいえる筆や羽ペンを差したポーチが携えられている。
彼の名はスペル。
ヴェルデ城にある、世界一の蔵書量を誇る巨大図書館の司書を務める男だ。
「アイツは泣いたりせんよ。それよりスペル、何のようだったかな」
「ひでぇ………陛下が呼んだんでしょうよ」
スペルはがっくり肩を落とし、項垂れる。
ロキは一瞬考えてから、彼を呼んだ理由を思い出してぽんと手を叩いた。
「そういや最近、国中の神殻が不具合を起こしてると報告があってな。昨日は魔操工業都市の神核体が停止してしまったらしい。後でライトマンとエネルに向かってもらうつもりなんだが、こうも異常が続くと何か原因があると思うしかないだろう」
「まあ、そうっすね。で、俺を呼んだ理由は」
「原因、調べてくれ」
頬杖ついたまま、やる気ない顔して皇帝陛下は言う。
「って、ちょっと待ってくださいよ陛下。俺は魔操なんて使えないし司書だし仕事も溜まってるし、他にもっと適役がいると思うんですがね」
信じられない陛下の頼みごとに、スペルは苦笑いで返した。
すっかり平和ボケして皇帝陛下たる者の威厳もなにも感じられなくなった眼前の男は、ひょっとすると思考回路に花畑でも作ってしまったんではなかろうか。一瞬、そんな不安がスペルの脳裏をよぎった。
自分は図書館の管理人で魔操なんて使えないし、専門的な知識もない。
そんな人間に国の一大事ともいえるこの事態の原因究明を依頼するなんて、思考がまともに働いていない証拠である。しかも魔操工業都市といえば、この国の心臓ともいえる帝都と並ぶ主要都市である。国中の神殻を製造し管理しているその街で神核体が停止するということは、国にとって一大事といえることのはず。なのにこの陛下、まるで電車の遅れと同列の事件として受け止めているような、このやる気のなさ。
なんだかスペルは国の未来が不安になるのだった。
「例えばほら、神殻工業地帯の人間に依頼とか。専門的な知識だってあるだろうし」
「魔操の注入は特殊な神殻を使用するから、奴らに必要なのは神殻を組み立てる技術のみだ。核が壊れたら魔操が使えて尚且つ『魔操に関して専門的な知識を持つ者』に限られる。パン屋に窯の修理しろと言っても無理な話だろう、それと同じだ」
とロキはまた大欠伸をし、
「十数年前までは工業都市にも神殻修理工が大勢いたんだがなぁ。ほとんどアカデミーに引き抜かれて姿を消してしまったんだよなぁ。まあどうせお前さんも昼間っから女の尻ばっかり追いかけてるんだろう、暇つぶしに行ってくれや。褒美が欲しいなら、バードックに言って美味い飯をたんまり用意してやる」
「いや飯はいりませんし、俺別に毎日そんなことしてるわけじゃないんですけど」
「とにかく、だ。これは皇帝命令だ」
「えー、いやマジで。俺も一人で仕事してるんで、図書館離れるわけにはいかないんですけど」
「そりゃあお前が女と仕事したいって我がまま言って、面接に来る男連中全員断っとるからじゃないか」
「そりゃあ俺だって、できるならエネルちゃんみたいな可愛い子と一つ屋根の下で四六時中顔突き合わせて仕事したいですよ。なのに俺んトコ来る連中といやあ、頭の固そうな男連中ばっかで」
「大学で勉強しとる学生がほとんどだからな」
と話を続けようとして、
「これ。話を逸らすな」
「いやでも本当に。俺じゃ力不足っていうか、役に立たないですよ。それに俺に使えるのは魔操じゃなくて、言魂。陛下だってそれ知っているから俺を司書として雇ったんでしょう」
スペルは呆れたように、肩を竦めてみせた。
魔操というのは才能のある人間が使えるものだが、この世界にはその他にも様々な能力が存在する。その内の一つが『言魂』と呼ばれるもので、日記や物語に宿る著者の感情を読み取り武器にするというもの。スペルはその能力はあっても魔操に関する知識も能力もほとんどないので、こんな仕事を任されても何もできないのである。
「お前さんが一番、暇そうに思えたんだがなぁ」
「ひでぇ………」
「なら仕方ない、ライトマンを呼んできてくれ」
「あいよ」
やった。
スペルはにっこり微笑み、小さく敬礼するのだった。
とその時、隣の臨時の書類置き場から、何かを置く重々しい音が聞こえてきて、ついでにライトマンの情けない声も聞こえてきた。
「これが悪夢ならどれだけ幸せだろうか」
「目覚めてみますか」
「や、やめてよその足っっ」
「目覚めるかと」
「死ぬよ、死ぬ! 目覚めるどころか死ぬよっっ」
「大丈夫。死ぬギリギリのところで楽しみます、です」
「た、楽しむっ? 楽しむってなにっっ?」
なんだかライトマンが可哀そうになる掛け合いが聞こえてきた。
エネルと四六時中顔を突き合わせて仕事をしていられたら。なんて思ったのは数秒前のこと、今はもう前言撤回し、そんなこと微塵も思わないスペルだった。
「相変わらず楽しそうですねぇ」
なんて皮肉って、肩をすくめて見せる。
「このままでは私も仕事に潰されて死んでしまいそうだよ。スペル、悪いがあの二人を呼んで来てくれ」
「お。わかりました、早急に呼んでまいりまーす」
やった。
難を逃れた、とスペルは弾ける笑顔を見せて、二本指をキザったらしく額にあてて軽い挨拶をして見せるのだった。
そういうわけで。
仕事に戻ろうしたライトマンとエネルは執務室に連れて来られて。
何事かと思えば、皇帝陛下が真顔で書類を突き付けてきた。
「というわけで。いつも頑張ってくれている二人に特別長期休暇を与えよう」
親指をビシっと突き立てて突き付ける書類には【特別長期休暇】の文字、更にその下にゴマ粒ほどの大きさで『というのは嘘で実は特別任務だよ』とご丁寧に書かれているのが、貫徹一週間めで疲れ目ピークのライトマンにもはっきりと分った。わかりたくなかったが、嫌なものほどよく見えてしまうのは、彼の哀しい習性だったりする。
「ゴマ粒ほどの文字で特別任務と書かれているのは気のせいでしょうか」
遠い眼差しでライトマンが訊ねる。
貫徹一週間が祟って幻覚を見ているのかも知れない。
それならどれだけいいだろうか。逆にこれが現実なのならば、死神が鎌を持ってあの世への扉を開きかけているとしか思えない。そう全ては死神の仕業、特別任務と書かれているように見える幻覚は死神達が楽園への扉を開けてくれているからなのだ。
なんだか疲れ過ぎてわけのわからない逃避を始めてしまったが、
「特別任務、と書いてあります」
特に疲れていないエネルがはっきりと言った。
「エネル。時には優しい嘘も必要なんだよ」
遠い眼差しでライトマンが言う。
「優しさだけでは人はダメになる。時には厳しさも必要なのだと言うことを知るのはいいことだ」
ロキもわけのわからないことを真剣な顔してそれっぽく言って見せながら、どこから持ってきたのかライトマンの判子を書類に押した。
「陛下はワシを殺す気ですかっっ?」
「死神のような顔をするでない、ライトマン」
「博士の顔はもともと死神、なのです」
エネルがざっくりと、上司の心に言葉の刃を突き刺す。
傷ついて胸を押さえ涙を堪えるライトマンだったが、ロキはそんな彼を無視して話しを続ける。
「とにかく、だ。本当は魔操工業都市に向かってほしかったんだがな、大元を解決する方が早いだろうということでな、お前さんに原因調査を頼みたいんだ。やってくれるか」
「アカデミー、はやっぱだめですよねぇ」
腕組みし、うーんと考えるライトマン。
しかしロキは頬杖をついたまま、なんだかうんざりした顔で言うのだった。
「連中は魔操を使える人間を独占して今や独立国のような顔をしとるじゃないか。こっちは皇帝陛下だってのに全く話も聞いちゃくれんよ。すんなり頼みを聞いてくれるよーな相手なら、お前さんにもっとバイトを遣してやってるさ」
「まあ、それもそうですよね。エネルだけでも有難い話です」
「不満、ですか」
じっとライトマンを見上げてエネル。
「ち、違う違う! そうじゃないよ誤解だよっっ」
「過労死すればいい、です」
「や、やだよ辞めないでお願い!」
今この状態で彼女に辞められたら本当に過労死一直線、戻ること叶わず地獄に引きずり込まれてしまう。
彼の頭の中には今、地獄の大穴から伸びる無数の手によって奈落に引きずり込まれる自分の姿が浮かんでいた。
「反省してください、です」
「わ、わかった反省するよ。って、だから本当に誤解なのに」
なんだか知らないが涙が溢れてしまって、顔を覆ってこっそり泣いた。
「まあ、とにかくだ。早いうちに、原因究明に向かっておくれ」
「わかりました。でもエネルはどうする? 今回の仕事は少し長引くかも知れないよ。しばらくアカデミーに戻っとく?」
「馬鹿を言え、アカデミーに帰したら奴ら二度とこっちに帰してくれんくなるだろうよ。一緒にいけ」
とロキが平和ボケした暇そうな顔で言う横で、スペルも満面の笑みを浮かべてトランクとリュックを二人に差し出すのだった。1つはライトマンの革のトランクで、もう一つはエネルの小さなリュックサック。彼女のお気に入りの、くたっとしたウサギのキーホルダーがついている。
「はいこれ、二人の商売道具。とエネルちゃんのチェーンソーね」
にっこり笑いながら、エネル専用の紅いチェーンソーを手渡す。
「わあ、用意周到」
ライトマンはがっくり項垂れ、猫背を更に丸めるのだった。
「そんな死神みたいな顔をせんでもいいだろう」
「博士はもともと死神みたいな顔、です」
「うん。エネル、心が粉微塵だよ」
「素晴らしい、です」
「うん………ありがとう」
本気なのか冗談なのかわからない―――ライトマンは滲む涙を人差指でそっと拭った。
とその時。
突然、乱暴に扉を開けて、兵士が飛び込んできた。
「たたたた大変です、陛下! 神殻が、国中の神殻が機能停止状態です! 客車は核が爆破し脱線、怪我人も多数出ている状態でっ………それに核帯から謎の光が降り注いで多くの人々が意識を失っています!」
「なんだって?」
平和ボケした皇帝陛下もやっと事態が深刻だと気付き、ぎょっと顔を上げるのだった。
更にそこに、城内放送用の神殻・魔操伝導装置から城内に放送が入った。
「神殻修理工のライトマン・スクリュー、客が来てるぞ。直ちに医務室まで来るように」
「客? 誰だろう」
ライトマンは訝しげに眉をひそめた。
客なんて国の重要施設の神殻修理を頼まれる時か、時々アカデミーから研究に協力してほしいという依頼があるくらいだ。親しい友人がいるわけでもなければ親兄弟がいるわけでもなく、仕事以外で彼を訊ねる者などいはしない。それに仕事の依頼だったら事前に手紙が送られてくるはずだし、けれど、最近はそんな手紙は届いていなかったはずである。
しかも医務室に来いだなんて、一体なんなのだろう。
「とにかく私は城内の様子を確認してくる。スペル、お前は使用人達の安全を確認してきてくれ」
「あいさ」
スペルは小さく敬礼し、口の端に笑みを刻む。
「エネル、ワシらも行こう」
エネルはこくりと頷いて、ライトマンに続いて走り出す。