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ぼんやりと目を覚ます。
眼の前にあったのは、間抜け面をさらしてヨダレを垂らして爆睡するライトマンの顔だった。しかも何故か二人は手を握り合っている。その状況が理解できず、エネルは無表情のまま、彼の顔面を鷲掴みにするのだった。
「むがっ? い、痛い痛いいたたたたたたたっ?」
「博士はいやらしい、です」
「ああ、おはようエネル。って、君が入って来たんじゃないか」
「嘘、です」
エネルはほんのり頬を赤らめ、口先を尖らせる。
実は今、その事実を思い出したのだが、謝るのは嫌だった。
確か部屋に帰った後、一旦は自分のベッドで寝ようと思ったのだが、なんとなく一緒に寝たかったので彼のベッドに潜り込んだのだ。
「ええ? 覚えてないのかい」
「博士の都合のいい夢、です」
「とほほー、朝から傷心だよ」
情けなくがっくり項垂れて、溜息を吐きだす。
「博士らしい朝、なのです」
エネルは右腕の髪ゴムをライトマンに手渡しつつ、言う。
「ワシって………」
地味に傷つき、泣きそうな顔を押さえる。
それから彼女の髪を括ってあげようと髪ゴムを受け取ろうとしたら、彼女は両手をベッドについてじっと顔を見つめてきた。どうしたのかと思っていると、なんだか恥ずかしそうに頬を染めて、そっとライトマンのシャツを掴んで胸に頬を寄せてきた。
「エ、エネル?」
彼女は表情に乏しくあまり笑わず、普段は悪気なくキツいことを口にする。
けれど時々、気まぐれに、甘えたいと思うと恥ずかしそうに甘えて来る。その真意を全て知ることはできないが、こうして素直に甘えてくれるのはとても嬉しいことだ。
と思うのだが、やはり彼女ももう十六歳。
子供と大人の狭間にある独特の色気のようなものに気付いてしまうと、どうにも照れ臭くて仕方がない。
だが彼女の、その照れ臭そうに頬を染めつつも『甘えたい』という素直な欲求を見せる表情が、なんだかとても可愛らしく思えてしまって、不覚にも胸がきゅうっと締め付けられるのだった。
「………うん」
ああ、どうしよう。
甘えてくれることと彼女の愛らしさに、幸せを感じる。
ああ、可愛いなぁ。
改めて感じて、また胸がきゅっとなる。
「うん………」
だから本当、恥ずかしそうに甘えられたら、どうしようもなくなる。
起きなきゃだめとか、そういうことすら言えなくなる。
ただ、その子供と大人の狭間にある独特の魅力を持った少女の恥ずかしそうに甘える姿に、愛しさを感じつつ戸惑ったりして、でもこちらも素直に彼女をきゅうっと抱き締めてみたりする。
ああ、可愛い。
ああ、なんだか幸せだなぁ。
思わず表情が緩む。
エネルも、彼が甘えさせてくれるのを知っているから、照れ臭くても素直に甘えることができる。気まぐれに、甘えたい時に、甘える―――彼はそれを許してくれるし、受け止めてくれる。絶対に拒否はしないと、わかっているのだ。
「エネル。もうそろそろ起きないと」
「もう少し、です」
「だめだよ、早く行かないと―――」
今はこんなことしてる場合じゃないんだけどなぁ。
こんな状況でなければ、もう少しこうしていたい気もするが、だが今、帝都がどんな状況かを考えるとこれ以上のんびりはしていられない。本当はもう少し甘えさせてあげたかったけれど、今は仕方がない。と、もう一度エネルを急かそうとした時、
「おはよう。仲が良いのね」
「あ。ココンさ―――――………ぶっ!」
いきなり顔面を鷲掴みにされて、首が折れるかと思うくらい強引に押しやられた。
折れはしなかったが、なんか変な音がした気がする。ライトマンは首を押さえて蹲り、声も出せずに震えた。
「博士はいやらしい、です」
「な、何故っ………?」
「大丈夫、何も見てないわ。それより朝食を用意したわ、いらっしゃい」
ココンは静かな笑みを浮かべて言いながら、二人に背を向け戻ってゆく。
「うう、絶対これヒビ入ったよ」
「博士は大げさ、です」
「えー………」
もう、年頃の女の子がよくわからない。
これが思春期と言うやつなのだろうか。それにしたって気紛れ過ぎやしないか。
と色々考えてみたが、なんか考えるのも疲れたので、諦めた。
それからライトマンはエネルの髪をいつものツインテールに括ってやりながら、
「とりあえず、十分休憩も取ったし、朝食を食べたらあの塔に向かってみようか」
「はい、です。というか昨日あれだけ食べたはずなのに、とてもお腹がすいているのですが」
「うん。食べてもお腹、膨らまなかったよね」
「はい。幻の街、ですから」
「うん。全部幻、だもんねえ」
そういうことを改めて思い出すと、二人の空腹はピークを迎えて盛大に鳴くのだった。
この街は幻。物も、食べ物も、全て幻なのだ。だからいくら美味しそうな匂いがしていて、それを口に含んだ瞬間に口の中が幸せに溢れようとも、絶対に腹にはたまらないのだ。ということをすっかり失念していた二人は昨日、目の前に現れた食事を食べつくしてから空腹が満たされないことに絶望したのだった。
「な、なにか食べ物は持ってきてたかな」
二人はすぐさま自分の荷物を漁った。
ライトマンのトランクからは修理道具しか出て来なかったが、エネルのリュックからは港町で買ったお菓子が出てきた。けれどそれは、不味いという域を飛び越えて地獄に到達した生臭さと甘みとがタッグを組んだ最凶のお菓子・ライオネルフジタの満々スウィーツだった。
「こ、これ………だけ?」
「だけ、です」
「他には」
「なにも」
二人はお菓子をじっと見つめ、背に腹は代えられぬとそれを口にした。
だが背に腹は代えられぬと言っても毒を食料にはできない。それを口に含んだ瞬間二人は租借すら拒み、入れた状態のまま固まってしまうのだった。
「こ、こぇ……ほんろーに、にんれんのおひゃしだぉねえ」
これ本当に人間のお菓子だよねえ。
ライトマンは口からボロボロお菓子を零しつつ、言う。
エネルはライトマンの服をゴミ箱代わりにそこにお菓子を吐き出し、
「人間用、と書いてます」
「うわああっ? ひ、ひどいよワシの服がっ」
「何日も着っ放しの服です。少しぐらいのシミ、柄と思えばいいのです」
「だって着替える暇もないんだもの」
「洗濯した服があるはず、です」
「んー、面倒なのかなぁ」
「最低、です」
「そ、それに仕事が」
「いいわけ、です」
「う………」
「洗濯物が少なくてすみますが、汚すぎます」
「わ、わかったよ。帰ったら入るよ」
別に風呂に入るのが嫌いなわけではない。
連日連夜仕事に追われて入る間もなく、例え時間ができたとしてもその時は寝ていたい。そうすると風呂に入る時間はなくなり、結果、四日・五日と入らない日が続いてしまうのだ。それをエネルに注意されて渋々風呂に入るが、その素早さと言ったらカラスの行水なんて早さではない。そんな彼をエネルは冷めた眼差しで見るが、彼はそれを見ない振りしてみたりする。
そこにココンが再び顔を出し、
「どうぞこちらへ、朝食を用意したわ」
そう言ってにっこりほほ笑んだ。
朝食―――トーストとコーヒーの芳しい香りが二人の空きっ腹を盛大に鳴かせたが、それも腹には溜まらないのだと思うと哀しくなる。それでも断るわけにもいかず、ありがたく頂戴することにした。だがやはり口に含んだ時は現実と何ら変わりない味がするのに、飲んでも食べても満たされない。なんとも奇妙な話である。
「ごちそうさま、です」
「ごちそうさま、美味しかったです」
一応完食したものの、空腹は満たされない。
香りと味のついた空気でも食べたみたいな気分だ。
「ありがとう。それで貴方達は、本当に主様のもとへ向かうの」
「あ、はい。なにか手掛かりがつかめればと」
「そう。止めはしないけれど、気をつけて。もし危険だと感じたら、そうね、逃げることもいいんじゃないかしら。もっとも、生きてこの街から出ていけた人間などいないのだけれど」
ふわふわと、歌うような声で恐ろしいことを言う。
それが彼女なりの冗談ならいいのだが、彼女の言葉はそれ以上続かずに二人に恐怖を与えた。
あの塔の中になにが待ち受けているのか。考えるだけで恐ろしくなったし不安もじわりと滲みだしたが、逃げ帰るわけにもいかない。
「エネルはどうする、ここで待ってるかい」
「博士一人では確実に死にます」
「か、確実なんだ………」
「それに。一人より二人、なのです」
「そうだね。ありがとうエネル、だけどくれぐれも無理はしちゃダメだよ」
「じゃあ。させないでください、です」
「き、気をつけるよ………」
「行きましょう。のんびりしている暇はありません」
「ああ、そうだね。ココンさん色々ありがとうございました、お食事も美味しかったです」
「ありがとう。お口に合ったならよかったのだけど」
ココンはにこりと微笑む。
別に毒を盛られたわけではないんだろうが、彼女の美しいけれどもどこか人間味の欠けた笑みは、ライトマンに不安を与えるのだった。




