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 幻の街。 

『哀しいなんて言わないで。

 彼らはただ、心のより所を失っただけ』

 傷つき哀しみ必死にもがいてそれでも望むものを手にれられず、彼らはこの場所に居場所を求めた。

 だけど。

 それでも彼らを取り戻そうと、ここへ来る者達がいる。彼らにとってその人達は一体、どんな存在だったのだろうか。大切な人ではなかったのだろうか。それとも、大切な人すら放り出して逃れたい現実が彼らにこの場所を求めさせたのか。全ての引き金が戦争だったと言うのなら、わかる。けれどそうでない者達も当然、多くいるだろう。

 現実。

 妄想。

 偽りの幸せ。

 嘘が現実の街。

 わからない。

 わからない。

 逃れたくなるほどつらい現実があっても、でも――――

 考えれば考える程、眼が冴えてしまう。疲れているはずなのに、終わらない思考が眠りを妨げる。

「眠れないのかい、エネル」

 声をかけられ、眼をやると、ライトマンが起き上がって微笑んでいた。

「加齢臭がしたのです」

「酷い………」

「………博士」

「うん、なんだい?」

「どうして彼らはこの世界に来たのでしょうか」

「それはココンさんが言ったように」

 だがエネルは、ふるふると首を振る。

「もし。もし辛く苦しいことがあって現実から逃れたいと願ってしまっても。それでも置いてはいけない、離れたくはない大切な人がいたなら。それは鎖となって人を現実に繋ぎとめるような、そんな気がするのです」

「彼らの事情はワシらにはわからないからね。でも確かに恋人でなくても家族や友達、自分を想う誰かがいることは心の支えになるよね」

「それすらも振り切って彼らは、ここに」

「エネル」

 彼女の名前を呼んで、優しく制するライトマン。

「ワシらはまだ、そこまでの経験をしていないだけなんだと思うよ。彼らはそれだけ辛い想いをした、けして簡単に逃避を望んだわけじゃないと思うんだ。現実から逃れたくなるほどの心の痛み、苦しみ。ワシらは彼らの事情をなにも知らない、だから哀しむことも哀れむこともしてはいけないんだよ」

 優しく、ゆっくりと、教えてあげる。

 それをエネルは黙って聞いていた。

「わかりました」

 と返事をしたものの。

「―――だけど。彼らにおいていかれた人達は」

「エネル………」

「行かないでと、泣いたかも知れません」

 いつも表情に乏しいエネルの顔にわずかな哀しみが宿り、泣きだしそうに歪んだ。

「もし私が壊れてしまったら、博士は」

「引きとめるよ」

 優しく、はっきりと言われて、思わず顔を上げた。

「というより、そんな想いさせたくはないかな」

「………クサい、です」

「ええっ?」

「加齢臭、です」

 そんなことを言って、そっぽをむく。

 そんな彼女を見て、ライトマンは、優しく苦笑する。

「もし君が壊れそうになったらワシは―――」

 どんな手を使ってでも、引き留めてしまうかも知れない。

 そんなことを思ったが、口にするのはやめておいた。

「そうだな。いつものお返しに、電気あんまでも食らわすかな」

「セクハラ、です」

「う………」

 確かに今の発言は自分でもどうかと思った。

 今更、前言撤回、とはいかないだろう。

 するとエネルは、

「それは私の役目、なのです」

 もう泣きそうな顔からいつもの彼女の顔に戻って、右足は鋭利な刃物のような鋭さでシュッシュと空を斬る。

 その言葉の意味―――彼女の、少し遠周りな優しさだ。

 ライトマンは嬉しくて、照れ臭そうに笑うのだった。

「ああ、頼むよ」

「変態、なのです」

「う………」

 やっぱり遠回しの優しさなんかではなかったのかな。

 ちょっと期待しただけに、胸の痛みは相当なものだった。

 エネルはよく辛辣な言葉を容赦なく胸に突き立ててくるけれど、彼女が優しい女の子だと言うことはよく知っている。その言葉の裏にも、変わらぬ表情の中にも、誰より人間らしい感情を持っているのだということも知っている。だけどやっぱり、冷たくされると傷ついてしまうのだった。

 今夜はもう寝ようかな。

 そう思っておやすみの挨拶をしようと思ったら、エネルがそっと近づいてきて、やっぱり変わらぬ表情のままで彼の膝に座って、首に腕をまわして抱きつくのだった。

「ふむ。本当に君は気まぐれだねえ」

 年頃の女の子の気持ちがよくわからない。

思って首を傾げ、優しく抱きしめ頭をなでる。

「なんとなく、です」

 そう言ってエネルは、静かに瞳を閉じる。

「もう寝ようか、エネル」

 だが。

 エネルは既に、眠ってしまっていた。

 とても安らかな顔をして、心地よい寝息を立てながら。どうやらすっかり安心したらしい。

 ライトマンは苦笑して、そっと、瞳を閉じた。



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