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「夜光花、です」
エネルが驚いたように呟いた。
「なんでこの花が、ここに」
「確か夜光花は博士が育てている者だけしか存在しないと」
「ああ。そのはずなんだけど」
ライトマンは驚いて、庭に出て夜光花に触れてみた。
「エネル、来てごらん。感触があるよ」
「本物、なのですか」
エネルは信じられない気持で庭に出て、花に触れてみた。
柔らかな感触と、ほのかな冷たさ。これは確かに本物で、彼女もよく知る感触だった。
「すごいや。まさかワシの夜光園以外にまだ生き残っていたなんて」
「博士、あれを」
エネルが立ちあがり、すっと、ある方向を見た。
なんだろう。
ライトマンはそちらに顔を向け、驚いて目を丸めた。
二人の目の前には真っ白な道が続き、その先には空に浮かぶ丸い魔操の結晶体の光を帯びて淡くきらめく、苔むした樹の植わった庭が見える。白い門と苔むした樹と、様々な色の花が咲き誇るその庭。その向こうに、白い屋根と白い壁の、小さな家がある。ひとりで住む分には十分な小ささで、窓は、ひとつしかない。
確かに、さっきまでそこには何もなかったはずなのに。
まるでずっとそこにあったかのように、当然の顔をして、それはそこに在る。
苔むした樹のある庭。人気はないが、歌は聞こえる。透き通るような女性の声が、弾むように、詩を紡いでいる。二人は顔を見合わせ、その歌声に向かって歩いた。門の前まで行くと、家の中に女性の姿が確認できた。その女性は窓辺に座り、ぼんやりと空を眺めて歌を歌っている。
二人はゆっくりと、振り返る。
そこには今まで庭があったはずなのに、存在しなかったかのように、姿を消している。
代わりにそこには、白い建物が並ぶ道がある。両脇に何もない、絞首台へと続くような階段が空中に高く伸びている。その先に、空を映し出す海を背にして細く短い通路が二つ、前後で互い違いに並んでいる。その通路は細い曲線を描いた装飾で互いの道を区別し、しかし、よく見れば二つが重なり合うことでひとつの絵が完成していた。
そして通路の向こう側に広がるのは、街。
真っ白な建物が不規則に建ち並び、どこまでも、どこまでも、広がっている。ここが船の上だと言うことが信じられなくなるほどに、どこまでも広く。
「博士、これは」
「わからない。まるで夢でも見させられているような心地だよ」
ライトマンは、歌う女性を見る。
と彼女は二人に気付き、口の端に無邪気な笑みを浮かべた。
まるで悪戯を仕掛けた子供のような、無邪気な笑み。
二人は彼女に声をかけるのを躊躇ったが、だが、彼女はそれを察したように二人に声をかけてきた。
「恐くはないわ、さあいらっしゃい。ここは迷宮よ、いつだって不規則にいつだって不安定に、生きて蠢き姿を変える。お客さんは現実の人ね」
女性は笑う。
笑顔は薄気味悪いが、その見た目は、実に愛らしい。
大きな瞳に長い睫毛、小さな淡い唇と整った顔。無邪気な子供のような印象を与えながらもその姿は大人と子供の狭間で成長を止め、それが不思議な魅力となってライトマンを魅了するのだった。
「なんだか素敵な人だねえ」
なんて嬉しそうに言うものだから。
エネルは彼の頬を捻り、痛がっても放してやらないのだった。
「いたたたた! なになに、なんでっ?」
「うるさい、です」
「大丈夫よ、お嬢ちゃん。私は死神さんには興味ないもの」
女性はクスクスと笑う。
「うう、なんか知らんがまた無駄に傷ついてしまった」
「博士はいやらしい、です」
「えええ? 酷いなぁ、誤解だよ」
「誤解じゃない、です」
「大丈夫、エネルだってかわいいよ。あと四年もたてば立派な美人に」
「なんだかムカつきます」
エネルはむすっとして、ライトマンの足を踵で踏みつけにしてやるのだった。
「いっっっっ?」
なんでエネルは怒っているのか、なんで足を踏みつけられたのか、理解できないライトマン。
「うう、君の気持がよくわからないよ」
「博士になんかわからない、です」
すると今度はライトマンの体にぎゅっとしがみ付く。
「うーん、年頃の女の子はよくわからない」
腕を組んで、難しい数式でも解こうとするように考え込むライトマン。
エネルは少し不機嫌な顔をして、じっと、女性を見る。
すると女性はクスクス笑いながら、
「仲がいいのね羨ましいわ。私も久しぶりに人とお喋りしたくなっちゃった、どうぞいらしゃいな。美味しいお菓子を用意してあげるわよ」
「エネル。行ってみようか、この街のことも聞けるかもしれないよ」
また嬉しそうにライトマンが言えば、
「博士はいやらしい、です」
再び博士の足を踵で踏みつけ、彼が悲鳴をあげて蹲ってる間にさっさと門を開けて庭に入るのだった。




