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簡単に人の形を再現しただけのその兵士は、右手を腰の長剣に添えると、ためらいもなく橋を蹴って二人に斬りかかってきた。が、ライトマンは咄嗟にエネルを抱き抱えて跳躍して攻撃を交わすと、ちょうど足の下に潜り込む形となった紳士の頭を踏み台にして、橋を飛び降りた。
「エネル、すまない。魔操を―――」
エネルは、こくりと頷く。
背中からチェーンソーを抜きとると、バーを地面に向けて、魔操を充填・一気に放つ―――無音で地面が粉砕し、勢いで二人の体は近くの建物の屋上に吹き飛ばされた。ライトマンはエネルを抱えたまま屋上を転がり、背中を強くぶつけてむせ返る。
「大丈夫ですか、博士」
「あ、ああ。ワシはなんとか―――」
とライトマンは、息を飲む。
エネルの背後に、あの鉄の兵士が立っていたのだ。
「エネル!」
とっさにエネルを抱き込み、腰に携えた工具袋からドリルを取り出してビットに魔操を充填・敵に突き付ける。
すると鉄の兵士はゆっくりと二人に近づきながら、
「私はこの街を護る者。来訪者は、斬る―――それが私の使命です」
「ワシらは患者に干渉しに来たわけじゃない、魔操の異常について調べているだけなんだよ」
「理由がなんであれ、患者に干渉する可能性のある者はすべからく斬る」
そして再び、紳士が地を駆る―――瞬間・ライトマンは、ビットに充填した魔操を解き放つ。
ドっという音と共に、紅い光が紳士の胸めがけてまっすぐ放たれる。紳士はなめらかな動きでそれを避けると、とうとう地を蹴り、高く舞い上がる。
ライトマンとエネルは手を繋ぎ合ったまま、隣の建物に飛び移った。
その建物から伸びる通路を走り、隣の建物の階段を駆け下り、細く入り組んだ通路を駆け抜け、植物が絡み合ってできたアーチを潜り抜けて、半分樹に飲みこまれた白い建物に飛び込んで、窓から伸びる滑り台から外へ滑り降りる。
「まったく、本当にどうなってるんだいこの街は」
「迷路より複雑、なのです」
先に降りたライトマンの背中をわざと踏ん付けるようにして着地したエネルは、ゆっくりと辺りを見渡す。
そして建物を見上げた時、そこに鉄の兵士が立っていることに気が付き慌ててライトマンの手を取り走りだす。
「ああ、もう疲れちゃったよ本当に」
「博士はだめな人、です」
今にも倒れ込みそうに弱々しい走りを見せるライトマンを半ば引きずるようにしながら走り、細い路地の間の階段を駆け上る。
そこでエネルは足を止めた。
そこは行き止まりだった。
建物の屋上、他に道はなく、目の前には運河が流れているだけだ。対岸には青い葉をつけた木々が乱雑に並ぶ家々の間から顔を出し、地下から伸びた植物や樹の根が家を飲み込み、遠くの方には恐らくこの街で一番大きいものだろう古い時計塔のようなものが見える。ここからではよく見えないが、その時計塔は苔むし、蔦が絡まって様々な色の花が咲いているように見える。
「ほ、本当に迷路だねここは」
息も絶え絶えに、ライトマン。
エネルは平然とした顔で、
「博士には良い運動、です」
なんて言いながら、振り返る。
ゆっくりと、鉄の兵士が近づいてくる。
どれだけ全力で逃げようと、まるで行き先など全てお見通しだと言うように振り返ると彼がいる。
「本当に。ワシらはこの街をどうこうするつもりなんて」
「言いましたよね。理由など関係ない、と。どのような理由があれ、外界の人間がこちら側に接触すると言うことはそれだけでこの世界を崩壊させる危険性がある。現実の世界はこの架空の世界の均衡を崩す恐れがあるのです。ですから私はその均衡を保つため、現実の存在は切り捨てていかねばならないのです」
言うが早いか鉄の兵士が駆けだす。
さきほどより格段に動きが素早い。エネルも思わず怯み、チェーンソーを構えるのが遅れてしまった。
するとライトマン、彼女を抱き抱えて後ろ向きに運河に飛び降りた。
「ごめん、エネル!」
「死んだら博士のせい、です」
「だだだだ大丈夫だよ、死んだりしないから!」
なんて言っている間にも、二人はとうとう運河に落ちてしまうのだった。
冷たさは感じない。
水の感触も、ない。
けれど見えない力に動きを制御されたように、うまく身動きが取れない。
河はただ、二人を運んでゆく。
鉄の兵士はそれをじっと見つめ、すぐに、踵を返して走り去った。




