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「なんなんだろうねぇ、これは」
二人は慎重に歩みを進め、街を歩いた。
まさに無音の世界。風もなく、二人が歩く足音さえもない。握り合った手の温もりだけが唯一、現実との繋がりだった。その手を離してしまえば、幻という名の狂気に飲みこまれて気が狂ってしまうのではないかと二人は思った。
階段を進みながら建物の様子を窺ったが、当然、誰もいない。だが何故だろうか、わずかに人の気配を感じるのだ。それも一人や二人ではなく、何十人とだ。まるで目に見えないだけで、確かに人が生活しているのではないかと思わせられる。これがいわゆる幽霊というやつなのだろうか―――ライトマンは背中に嫌な汗がにじむのを感じた。
「とりあえず休める場所を探そう。ワシ、もう疲れちゃったよ」
「博士は情けない、です」
エネルが冷めた目で、じっとライトマンを見る。
ああ、胸が痛い。
ライトマンは涙をぐっと堪え、胸を押さえた。
「そんなことだから、ますます骨ばるのです」
「うう、とどめを刺された気分だよ」
ライトマンはぐっと涙を堪えて唇を噛み締める。
エネルと出会ったのは二年前のことで、その頃は今よりまだもう少し筋肉と呼べるものがあったような気がする。だが溜まる一方の仕事を必死に片付けているうちに、いつの間にやら情けなく骨と皮のようになってしまったのだ。
エネルはそれを見て、洗濯がに使えそうだとか楽器にでもなりそうだとか言う。だからと言って体力をつけようという気にもならないし、そんな暇があったら仕事を片付けたいと思う。そんなわけで彼の筋力は衰える一方で、薄着をすれば骨格標本のような体が目立ってしまい恥ずかしい。
「帰ったら本格的に筋トレしなきゃならないかなあ」
「骨が折れない程度にお付き合いします、です」
「ありがとう、でもなんだか怖いよエネル」
「気のせい、なのです」
エネルは無表情でシュッシュと足を振り、何故か両手で何かを殴るフリをしてみたりする。
「う、うん。冗談だよね、冗談」
「半ば本気、です」
「ワシ、筋力の前に魂抜ける………」
「それより早く行きましょう、です」
エネルは言ってライトマンの手を引いて歩き出す。
すると、ふと、幼い少女の笑い声が聞こえた。
それはかすかな、ささやくような笑い声。
三人くらいか、複数の声が混ざり合って聞こえてくる。気味が悪いと思いつつ声の主を探してみると、少し先の階段を、明らかに半透明な少女が走ってゆくのが見えた。そしてすぐに美味しそうなスープの香りが漂ってきて、食器を洗う音や薪を割る音などの生活音が聞こえてきた。
「――――お客様だよ」
「お客様だ」
「追い出しちゃえ」
「殺しちゃえ」
「――――守人に、言いつけちゃえ」
前方の建物の陰から少女が覗いている。
すぐ隣の建物の上には別の少女が座って、無邪気に笑っている。
建物にもたれて、また別の少女も、笑っている。
すぐ真上、上空からさかさまの状態で宙に浮いた少女も、笑っている。
背後からも、少女の笑い声。
風もないのに、森がざわめいた。
「と、とんでもないとこに来ちゃったみたいだねぇワシらは」
「博士。博士の手、なんだかぬるぬるして気持ちが悪いです」
「うーん、それはお互い様だと思うよ」
「私は別に、恐くはありません」
と言いつつエネルの手は、きゅうっと強くライトマンを握りしめている。
「と、とにかく。逃げた方がいいのかな―――」
とか思ったのに、気付くと周囲を少女の霊に囲まれてしまっていた。
なので、二人は、無言でもの凄い勢いで一気に駆け出し階段を駆け上がった。
物音は聞こえないが、砂埃が弾幕のように二人の後に続く―――二人は手を繋ぎ合ったままひたすらに階段を駆け上がり、道を曲がりくねり、あてどなく走り続けた。と、細い建物の間をすり抜け、急な階段を駆け上って、そこで二人はやっと足を止めた。
目の前には、細い橋が一本かかっているだけ。
左右には、何もない。
そして前方には、あの鉄の兵士が立っていた。




