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木から石へ


 運河から運び出されたばかりの石材が、湿った泥の匂いの中に、重厚な無機質の香りを漂わせていた。

 ステインが山で切り出し、ついに手に入れた「石」。

 それは、この湿地が「一時的な避難所」から「永続的な都市」へと脱皮するための、最も重要な楔となるはずだった。


「……この強度の石なら、水路の護岸ごがんの裏打ちには十分ですな」


 石工のステインが、手にした石片の断面を指先でなぞりながら、低く、確かに言った。その視線の先には、フリドが広げた設計図がある。


「ああ。それと、新しい橋脚の基部にも使いたい。重檜の杭の周囲を石で固めることで、水の浸食を物理的に遮断するんだ」


 フリドの言葉に、ステインは短く「ふむ」と頷いた。二人の会話は、あくまで「構造物」の維持と、物流の安定化に向けた、極めて実務的なものだった。


「……なあ、領主様。聞いてるのかい?」


 不意に、作業場に割り込むような荒い声が響いた。

 荷運びの作業を終えたばかりのラウスが、額の汗を拭いながら、不満を隠そうともせずに立っていた。その後ろには、集落の者たちの視線も刺さっている。


「石が来るって聞いて、みんな期待してんだ。……だが、あんたの計画には、俺たちの『家』が入ってねえ」


 ラウスの言葉に、ステインが眉をひそめた。フリドは視線を設計図から外し、ラウスを見た。


「家、ですか」


「そうだ。木材は腐る。湿気で、いつの間にかボロボロになっちまう。だが、石なら違う。石の家を作れば、家族を、子供を、もっと安全に守れるはずだ。……俺たちは、そんなことばかり考えてるんだよ」


 ラウスの言葉には、単なる欲ではない、この土地で生きる者特有の切実な願いがこもっていた。湿地という不安定な足場の上で、せめて家族が眠る場所だけは、揺るぎないものにしたいという、生存への執着。


 場に沈黙が流れる。その沈黙を破ったのは、ステインの重い声だった。


「……ラウス、あんたの気持ちは分かる。だが、欲張りすぎるな」


 ステインは、目の前の石材を忌々しげに指差した。


「石を切り出し、形を整え、ここへ運び込む。その手間と時間は、木材の数倍はかかる。今手元にあるこの量じゃ、家一軒の壁を作るのが精一杯だ。一度に全ての家を石造りにするなんて、物理的に不可能だぞ」


 村人たちの間に、落胆の溜息が漏れる。ラウスの表情も、険しさを増した。

 だが、フリドは逃げなかった。彼は、設計図の一点――水路と橋が交差する結節点を指先で示した。


「ラウス、そして皆さんに伝えておきたいことがある」


 フリプトの声は、感情を排した、しかし静かな熱を帯びていた。


「石材を、まず家ではなく、橋や水路の基盤に使う。……それが、皆さんの家を守るための唯一の道なんだ」


「……どういう意味だ?」


「家は“点”だ。だが、水路と橋は街全体を繋ぐ“線”になる。線が切れれば、点は全部孤立する」

「もし、橋が崩れれば、薬草も、塩も、道具も、この町には届かなくなる。物流が止まれば、食料も尽き、交易も途絶える」


 フリドは、さらに視線を広げていく。


「そして、もし排水路の護岸が、水の力に屈して決壊すれば……どうなる? 整備したばかりの盛土も、せっかく作った高地も、すべては再び泥の底へと沈む。家を石造りにしたところで、町全体が水に沈んでしまえば、意味がないんだ」


 フリドの論理は、あまりにも冷徹で、あまりにも構造的だった。

 インフラという「線」と「面」を先に完成させなければ、個別の「点」である家は、すべて無価値になる。


 ラウスが、何かを言い返そうと口を動かした。しかし、その言葉を遮るように、隣に控えていたラングが、静かに、だが力強く口を開いた。


「……ラウス。あんた、忘れたのか」


 ラングの声は低かった。


「橋が流された夜を。水路が溢れた時を。……あの時、家どころか村を守ることすらできなかったんだぞ」


 作業場が静まり返る。


「石の家が欲しい? そりゃ俺だって欲しいさ。だがな――」


 ラングは、水路の向こうを睨みつけた。


「あの水は、家一軒を壊して終わるような生易しいもんじゃねぇ。橋が死ねば、道が死ぬ。道が死ねば、街全部が死ぬんだ」


 ラングの言葉は、村人たちの心に、深く、重い楔を打ち込んだ。

 それは、フリドの「合理」を、村人たちの「経験」という言葉で補強する、避けては通れない説得だった。


 ラウスは、悔しげに拳を握りしめたが、やがて力なく視線を落とした。

 ステインは黙って、再び石の断面を見つめ直し、フリドは、設計図の先に広がる、まだ見ぬ「水の都」の構造を、その脳裏に描き直した。

ステインやラングが活躍し始めました。

中世のすごい都市と言えば、やはり石造りの橋とかですよねぇ。

……石垣と城が欲しい!


楽しんでいただければ幸いです。

よろしければ、何点でも構いませんので評価いただけると嬉しいです。

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