バイズの反乱
ここはアルタイ山中、有力皇族バイズの避暑地である。
夏になるとよく晴れた日が続く。
目の前には抜けるような青空の下、寒いほどの涼気を突き抜けて剣のように鋭く輝く雪峰があり、そこから雄大な氷河が流れ出ていた。
足元には高山植物の花咲く美しい緑の絨毯がどこまでも広がっていた。
天然温泉もあった。
ところがひどく寂れていた。
あまりに辺鄙で道には岩が露出していた。
交通の不便な所だったため観光客があまり来なかった。
微笑む美しい妃の前で神気みなぎる悠久の絶景を全否定するかのようにバイズは叫んだ。
「こんな所で朽ち果てるものか。皇位を自分の系統に取り返すのだ」
驚く妃を無視してバイズは心を決めた。
バイズはハーンとは少し離れた血筋の皇族で、かなり大きな地域を地盤とする有力者だ。
といっても散在する農牧地以外の大部分は草も生えない何のとりえも無い岩石沙漠だった。
領邦は貧しかったがしかし兵隊は強かった。
高靂三年六月、停戦したばかりのC国で反乱が起こった。
バイズの反乱と言われる。
そもそもハーンの即位には多少無理があったのを実力で異論を押さえつけていたのだ。
血の濃さからはバイズの方が若干皇位に近かった。
バイズは皇位簒奪という本心を隠し
「休戦したがハーンはまだまだやる気だ。これは間違った戦争だ。そもそも彼の統治は独裁的過ぎる。命令すれば物価だって好きなようにできると思っている。そのツケは我々に押し付ける」
と公言してハーンを批判し同調者を集めた。
ハーンが最初に説明した開戦理由は皆にあまり理解されていなかった。
それでも多くの人は軍事力において優位にあるハーンが楽に勝つと思った。
しかしバイズは本人がチムールの再来と自負するとおり政治的才能も軍事的才能も持っていた。
地方の有力者や近臣を巧みに篭絡されてハーンは困り、戦場では反乱軍がやたら強くて戦線がよく膠着した。
そんな時名将バヤンが登場すると膠着が打開された。
バヤンが来られないときはハーン自ら軍を率いた。
その時実は、この反乱に内通したと難癖をつけて地方の軍閥つぶしをバヤンにやらせていた。
そのころA国で側近が大統領に聞いた。
「我が国はバイズ殿下を支援すべきでは?」
「起つのが早すぎた。彼はきっと負ける。支援はしない」
やがて軍閥は動きを潜めた。
目障りな上級貴族が大人しくなった。
ハーン自ら軍を率いるときにはココジン姫もいて、姫の率いる部隊も大活躍した。
討伐に意外に時間が掛かっていると見えたので、ハーンが偉大でもバイズの才能はどうしようもないなという声が聞こえ始めた。
ところが善戦していたバイズは思わぬ怪我が原因であっけなく落命した。
頼朝と義経が同居したような英傑が死んだのだ。
それからハーンはあっという間に反乱を片付けた。
反乱鎮圧費用は1億両くらいだった。
皇帝の権力は一段と強くなった。
ココジン姫は凛々しい武人姿になっても優しい風情があった。
遊牧民古来の慣習に、降伏した敵の男は少数の職人を除いて皆殺し、女子供は全員奴隷として売り飛ばすというものがあった。
それが彼女の占領下では禁止された。
これには誰もが驚いた。
捕虜になった男たちは彼女の風貌を見て憧れるようになり忠実な持ち駒に変わった。
やがてその噂が伝わるに及び、ハーンは古くからのこの慣習を全土で禁止した。
彼女は一時期持ち駒の中から選抜して自分用の小さな護衛隊を作っていた。
ある日、宮殿の中庭にひとりの青年護衛兵がいた。
可憐な姿の美しい紫の花に見とれていると後ろから姫の声が掛かった。
「可愛いでしょ? その花、気に入った?」
振り向いた眉目秀麗な青年を見た姫は心の奥がぞわぞわした。
その涼やかな目に心が吸い込まれる想いだった。
「紫の花の露を一滴瞼にたらすと恋がはじまり、ピンクの花の露を一滴たらすと恋が成就する。西の方のさらに西の国にはこういう伝説があるのよ。でも地平線の彼方まで探してもこの国には実る恋かどうか判らない紫色の花しか見つけられないの」
青年は約束した。
「私が遠征地に行ったとき必ず違う色の花を見つけて皇女様に献上いたしましょう」
「無理しないでね。この花の乳液は有毒だから気を付けてね」
姫は青年に、花が見つかった場合生きた根を送るように頼んだ。
物静かなこの青年のそばに居ると姫は心の安らぎを覚え、ほのかな若者の香気は姫の心をとらえた。
あるとき重臣の誰かが思いついて姫の婿を世界から募集することになった。
ある競技で姫に勝てば婿になれる、ということにした。
姫の美貌を一目みればいかなる男も平静ではいられない。
ゆえに候補者には事欠かないだろう。
何となく遊牧社会の伝統を想わせる催しなのでハーンも許可した。
姫は最初出場を拒否したがあるとき急にやると言い出して老いた重臣達をほころばせた。
楽しい運動会が明るく挙行され、婿選び競技で最高に盛り上がった。
それは彼等の伝統相撲で、相撲は元々姫の得意種目だった。
競技会は進行してゆき出場した何人もの女に婿が決まり、最後に姫の番になった。
順に対戦する候補者を姫は一人で何十人も投げ飛ばした。
あまりに姫が強くて候補者はもういないと思われた時、控え席からニヤニヤ笑いながら見ていた青年を姫は指名した。
その青年はあの青年護衛兵だった。
あっという間に姫が負け、二人は地面に重なった。
下になった姫はドキドキするなかで喜びと幸福感がどっと押し寄せ、思わず青年を抱きしめた。
驚いた青年はすぐに離れて勝利の舞も忘れ、控えた。
これで姫の婿が決まったとおもいきや、ハーンは姫の場合だけなぜか認めなかった。
ハーン達が宮殿に戻った頃、異星人のマルコが滞在先のジパングから帰ってきた。
彼は肌が青白い点を除けば異星人とは思われなかった。
ハーンに仕え情報調略を担当する彼は臣でありかつ親しい友であった。
戦争が始まるよりずっと前、ハーンとマルコが二人だけで何か話しているのを姫はしきりに目撃した。
そのころからハーンの心が微妙に変わった気がしていた。
実は真の開戦理由はハーンの公言の裏に隠れている、マルコに吹き込まれた何か不純な動機ではないか、とココジン姫は密かに疑っていた。
この時期他の三か国は内外に大きな問題を抱えていなかった。
彼らがハーンのあの開戦理由だけで急に参戦するとはおかしい。
今ジパングを攻めなければならない強い理由は彼等の中には見当たらなかった。
マルコはしばらく前にジパングに潜伏しスパイ工作網を立ち上げていた。
それは謎めいた企業群を隠れ蓑にした人脈部隊で、ジパングの有力者と巧妙に接点を作っていた。
マルコのような異星人が登用されたのはC国人を表に出さないためと、C国人には昔から身内同郷以外の同僚と激しく潰し合いをする共食いの性癖があるからだ。
久しぶりに見たマルコはココジン姫が格段に麗しく女らしくなっていることに衝撃を受けた。
ジパングの大粒真珠を彼女に土産として捧げようとしたが姫はにこやかに断った。
マルコは姫の本心が判らなかった。
ハーンは前回のジパング戦の失敗を分析し、次の戦略を検討していた。
ジパング軍は前回の戦いで自信を深めている。
再び戦が起こる、世界もそう思っていた。
他の三国が今回の戦役で得をしたのかはっきりしない。
戦力の回復も遅れているので次回の戦役に誘ってもいずれも参戦しないと予想できた。
しかも大国であるR国は欧州方面で自ら起したいざこざに手を焼いて行った。
すると次回の戦争はC国だけになり、ジパングに核爆弾を落としたらC国の仕業であることは明白だ。
もしジパングに核爆弾が本当に落ちて核爆発が起ったならA国は同盟国の義務と言ってC国にめちゃくちゃ核報復するかもしれない。
なぜならC国のミサイルは全て宇宙の謎の兵器で落とされることがわかったからだ。
謎の兵器は恐ろしく精度がよくて有能だ。
内陸の移動式発射台を使おうが秘密の格納サイロを使おうが、飛んでいる途中でもれなく発見されて撃ち落とされる。
そんなことを考えていた時、宮廷人の子供たちがやってきて広間の隅に置いてある大きな地球儀を廻して遊び始めた。
それを見てハーンは地球が丸いことを忘れていた、と気づいた。
陸軍で育ったハーンらしかった。
ミサイルからジパングを守る謎の宇宙兵器は常時この近辺の上空にいるのだろう。
ということは地球の裏側にあるA国周辺はその謎の兵器には見えない。
A国の近海から撃てば核ミサイルは落とされることなくA国を攻撃できる。
すなわちC国の核搭載戦略原潜がA国の近くに居たら相互確証破壊が復活する。
A国に一発核爆発が起こるだけでも深刻な脅威だ。
所在不明の戦略原潜が一隻でも存在すればA国はジパングのための核報復はできない。
最初の軍の配置は
(1)戦略原潜をA国近海に潜らせる。
(2)核巡航ミサイル艦隊を太平洋沖、十分離れたミッドウェー島手前に配置する。
(3)空母部隊が輸送船団を護衛してジパングの大都市周辺に地上軍を上陸させ、核ミサイルの爆心点の遠くから包囲する。
その次に、北西方向を警戒しているジパングの秘密兵器の裏をかいて太平洋はるか沖から核巡航ミサイルを都市の真ん中に打ち込む。
核巡航ミサイルは分厚い大気で守られて飛ぶ。
地球の丸みと蜃気楼のせいでジパングの謎の衛星兵器からは発射が正確に見えないはずだ。
南の小島の国は全体がすでにC国の海軍基地となっていて、太平洋に出やすくなっていた。
最も急ぐべきは、敵の謎の衛星兵器を破壊する対衛星兵器の開発だ。
敵の衛星はどうやら高軌道に多数ある。
軌道はよく変わっているらしく、個別に大型ロケットで狙うのは効率が悪い。
一方、先に西沖綱海戦でA国航空部隊と戦った経験からミサイル技術の大きな革新、海戦の戦闘力向上も急がれる。
ハーンは自分の考えを専門部署に降ろし、そこで精密に検討・計画させた。
二年かけて宇宙の謎の兵器に対抗する武器の開発と他の武器の補充をした。
普通なら十年以上かかる。
早すぎる。
ハーンはC国の人口、規模の大きさを力にした。
一歩一歩実証しながら固めて順に進むのではなく、すべての選択肢を複数同時並行でやらせた。
すると夢のようなことが起った。
進捗が指数関数的に早くなったのだ。
ハーンは没になる研究にも金を惜しまず投入し督促した。
下品だろうが何だろうが開発手順がすっかり変わり開発期間が段違いに短くなった。
その前にハーンは不正を防止する仕組みを作った。
今まで上は皇帝側近から下は庶民まで漏れなく汚職がはびこっていた。
毎年国家予算に匹敵する額がピンハネされたり賄賂で飛び交っている、といわれていた。
放置すれば国家が悪徳に乗っ取られる。いや既に乗っ取られている。
そこでまず教育改革。
取り掛かる前に国民の倫理観を調べた。
すると正義や公平という言葉は人を騙すための言葉だと思っている人が多いこと、ルールが分かれば抜け道が分かる、と考えている国民が多いことが分った。
それまで国民は賄賂、ピンハネや横流しなどは悪いこととは思っていなかった。
これに対しハーンは、贈収賄については贈与の実行、贈与の要求、ほのめかしや嫌がらせも犯罪であるとした。
状況が変われば昔の贈賄でも処罰理由になった。
ハーンの命令があれば軽い犯罪でも臨機応変に罰が変わった。
毎日全国からハーンのもとに届く報告は詳細で膨大だったがハーンはいちいちきつい指摘をして返信していた。
しかも過去のやりとりをハーンは憶えていた。
平凡な皇帝にはできない。
ハーンはまた、約束は守らなければならないことを教え、計画的作業管理の仕方を訓練した。
次に組織を変革した。
身分を問わず個人への権力集中が生じないようにした。
これで今までのような意思決定の異常な早さは無くなったが汚職は大きく減った。
隠れた人脈や個人の身辺調査をする部隊を作ったが、その部隊自身も監視された。
組織を飛び越えた指示介入は金色燦然たる参謀肩章をつけた特定資格者に限るとした。
資格者になれるのはハーンの出身部族に限られた。
この参謀肩章を見ると荒くれ男たちでも喧嘩を止めた。
計画・実績と金の流れが文書に残るようにした。
記録上の給与と実際にもらった支給額が一致するかを確認させた。
査察はいつでも来た。
とりわけヤバいものは愛人と寝ている時に来た。
国営の美人局だった。
少なくとも表面的には正直者が増えた。
これによる思いがけない副作用があった。
ハーンの大号令によって農民も失業者も学生も老人も含め全国民が動員され働かされた。
経済制裁のためあらゆるものを自国で開発することが多くなった。
すると原理やからくりが解って楽しくなった。
普段は規制の多い国だったがハーンはしばしば意図的に常識外れのアイデアを提出させ、楽しんだ。
そのため開発される兵器の中には他国の考え及ばない珍兵器があった。
実現寸前までいって失敗した珍兵器は数千件あったと噂された。
開発の楽しさを知って仕事のプロセスを楽しむ人々が増えてきた。
異常に早く安く成果を見せようとするパクリや偽装は減った。
正直者が評価されることが浸透するとそのうちに国民に勤勉に働く癖が身についてきて無断欠勤も無くなり残業もするようになり、約束も守るようになった。
マネジメント能力も身に付いた。
気付いた人は少なかったがこれはあの国では未曾有の大変革だった。
ハーンはこの戦間期間の開発事業に五十億両をつぎ込んだ。
この後の最大の作戦における軍事費を超えている。
この休戦中、C国民の一部が謎の荷物とともに次々ジパングに送り出されていた。
彼等は北海道に以前からジパング人名義で買っていた広大な土地に入って棲み込んだ。
地元民には使い道のない不毛の地と思われていた。
警察も役人も入れず、自給自足している彼らが何のために来てそこで何をしているのか判らなかった。
皆健全でC国の闇社会のような臭いはなく、まるで若くて元気のいい人達の開拓団のような好印象を与えていた。
ジパングではそれまでに財政出動によって兵器産業が活発化していた。
既に石油備蓄量は大幅に増やしていた。
政府の指示により銀行は閉鎖されずインフラも動いていた。
ジパング経済は戦争慣れして何となく好況になりつつあった。
それに引き換え、航行の安全が不明な世界経済は貿易量が減少してリセッションに入り、同時にインフレが進んだ。




