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ハーンのミサイル  作者: 有嶺 哲史
第一章 十数年前
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ハーンの回想

あちこちに数字が出てきますが、憶える必要はありません。

このエピソードだけ読みやすく書き換えました。2026.5.25

 今から数年前、C国の第三代皇帝(ハーン)が崩御する少し前のことである。

大宮殿の煌びやかな一室で七十六才になったハーンの話を十二才の少年が聞いていた。

少年はハーンの孫で、遠い国の第二皇子である。

大きな祭礼が終わった直後で、二人は華やかな伝統的正装をしていた。


 皇帝でも家族と会話するときは一般人と同じで、〝(ちん)〟という自称は使わない。

高齢の皇帝は聡明で可愛い少年に昔語りするのをずっと心待ちにしていた。

その願いが叶った今日、本当に言いたいことは最後まで取っておこうと思っていた。

彼が亡くなる少し前のことである。


「ワシがお前より小さかった七才のとき初めて部族の狩に参加したのじゃ。獲物にトドメを刺す様子をワシの祖父はしげしげと見ながら


『この子の福は、はかりしれない』


と言ってくれた。お前にとって高祖父になるそのお方は当時大族長での、その時ワシの中指に獲物の血脂を塗ってくれた」


「血脂を塗るのはどういう意味ですか」


「たくましい獲物から命を貰って自分の生命力を高めるという昔からのまじないじゃよ。狩が終わると日没が山の向こうの空を紅に染めた。大草原を流れる川面は茜色に光っておった。薄明の中、大勢が篝火(かかりび)を囲み踊った。氷点下の寒さであったが祭りの興奮で体が火照った。思い出せば何十年経った今でも心が躍り懐かしいわい」


ハーンの昔語りは帝国の歴史に移った。


「その当時、ワシらは北方の高原で昔ながらの暮らしをしておった。そのころ大陸の中央には別の巨大な国家が出来ておった。先の大戦直後に建国されて共和国と称して皇帝はいなかった。たった一人の独裁者によって三十年近く統治されたが民衆はひどく貧しいままじゃった。その独裁者が死ぬと内乱状態になった」


「共和国というのに独裁制だったとは変ですね。ひどい政権だったのですか」


「ある意味そうじゃった。ワシが十才のとき、その状況を横目で見ていた我らが突然疾風のように高原から駆けおりて広大な地域を瞬く間に席巻し、新たな支配者として入れ替わった」


少年の目が輝いた。


「へえー、心が躍ります」


「うむ。お前の高祖父は新しい国名に遠い昔あった大帝国の始祖、お前にとってもご先祖さまじゃ、の名を付け帝国と宣言し、自らを皇帝(ハーン)と呼ばせた」


この新しい帝国を、諸外国は頭文字をとってC国と略称した。

C国の支配者は広大な地を迅速に統治するために前政権の民衆統治機構(徴税役人など)を当面そのまま利用した。

国家レベルの居抜きであり、庶民や諸外国は国の名前が変わっただけのように思った。


「同じ独裁政権に見えてものっ、腐敗し夢想的じゃった前政権とは違う。建国の父、初代皇帝は六十代で偉業を成し遂げた。質素を好む彼であったが、そのとき自分が膨大な貧乏人達を抱え込んでしまったことに気づきハタと困惑したのじゃ」


そこに知恵者が現れた。

その提案を採用して諸外国に門戸開放宣言をした。


「初代皇帝は、我々は前政権のように閉鎖的夢想的ではないと言って資本や技術を大いに呼び込んだ。政権は強力じゃゆえ植民地化される懸念もなく、そのうち地下資源も発見されて開放政策の狙いは大当たりじゃ。時とともに国の経済規模がどんどん大きくなって税収も大幅に増えたのじゃ。十年後、二代目に代わった」


「二代目皇帝は何をされましたか?」


「二代目皇帝に代わると派手な事業がどんどん行われた。あちこちに立派な宮殿を建て、街並みが古い欧州のようにきれいになった。軍事にも関心を向け、潤沢になった財力で軍備を休むことなく近代化し増強した。滅びた前の独裁政権が既に核実験を成功させていたので二代目皇帝はICBM(大陸間弾道ミサイル)を開発し有力な核保有国となった」


少年は少し微笑んで


「素晴らしいです。でも資金は十分あったのですか?」


「二代目の始めの頃大飢饉により収入不足が発生した。このとき初めて国債を発行した。ICBMの開発費は十億両に達した。このため再び国債を発行した。以後しばしば国債を発行するようになったのじゃ」


軍事費は国家予算を揺るがせた。

しかも多くの公共事業を行ったのに二代目皇帝は経済政策に無関心だった。

〝神の見えざる手〟に任せた自由主義的経済に近いものがいつのまにか独裁国家に実現していた。

その経済をいつでも制約できる皇帝の大権は担保されていたが、幸運にも大恐慌のような経済問題はまだ生じていなかった。

二代目皇帝は最後に先祖の故地に近い場所を選び上都(シャンドゥ)と名付け、夏の離宮の建設に着手したが基礎工事を終えた所で亡くなった。


「そしてワシが即位して三代目皇帝になったとき、帝国は建国三十年目に入っておった」


ハーンの表情には明らかに自慢げな感情が見えた。

言わなかったがすんなり即位できたのではなかった。

競合する皇子たちがいて実力で帝位を得ていたのだ。

まだ北方の高原にいた少年のころから彼は祖父の初代皇帝にことのほか愛され、自らも祖父を尊敬していたので以前から望んでいたことだった。

彼は即位当時気力充実した四十才の中年でありしかも先代、先々代と違って豊かな教養があった。


「全体として節約しながらも軍備増強は休まなかった。海外投資や外交を成功させ世界に大きな影響を与えるようになっていた。前の邪悪な共和国時代より言論ほか自由が多かったと思う。やがて帝国の軍事力が世界のトップクラスに躍り出たのじゃ。そして世界最大の軍事大国であるA国と対峙するようになった」


資源や経済力では少なからぬ差があったものの、軍事的には両国の勢力が均衡し、核兵器による相互確証破壊(MAD)の状態で平和が保たれていた。


「即位してみると一見豊かな帝国も永年の軍拡によって既に国の貯金は底を尽いておった」


「そうなると国は何もできなくなってしまうのですか?」


「貯金が無くても税収が十分あれば心配することは無い」


「国債は全て返済したのですか。債務はたまっていましたか」


「当時、実は正確に判らなかった。大体の見当はついていたが」


 初代皇帝の始めの頃の予算規模はGDPのだいたい六分の一、二億両が国の一般会計の規模だった。

両とはテールと読むC国の通貨単位で、一両は三万円くらいだった。

門戸開放宣言のあと高度成長を続け、建国十年目で二代目皇帝に代わるころには十億両の国家予算が組めた。

その二十年後の三代目皇帝即位時には百億両になり、三代目の十年目までは毎年経済成長が続き百五十億両に達した。

そこで成長は頭打ちになった。

一方債務の方は先代皇帝以来溜まっているはずだったがなぜか統計が公表されなかった。

建国以来の徴税吏に蔓延(まんえん)するネコババ、かつては高い倫理性を誇っていた遊牧系支配階級の腐敗による桁外れの収賄など、計算することもできなかった。


「産業は盛んとなり国全体が繁栄を享受し中間層が増えてきた。とくにもとは高原の民族であった上級貴族と地方軍閥に富が集まる傾向があった。国家が痩せ細る中でかれらは蓄財で腹いっぱい」


元遊牧民族の彼等は人口比が小さい支配的少数者だった。

軽い特権を与えられることもあった。

外国の専門家の中には、近代的な都市風景にも関わらず先進国と認めない者もいた。

問題は出ていた。

時が経ち、先代の自由放任的経済政策の弊害が目立つようになり、その調整が必要と思われたがそれだけではない。

順風満帆としか見えない帝国の三代目皇帝である彼の眼は債務以外の、もっと根本的な問題が静かに潜行して広がりつつある様子を見ていた。


「ここで恐ろしいことに気付いたのじゃ。普通の経済活動に見えていたものが、実は……」


〝神の見えざる手〟がいつのまにか〝外国の見えざる手〟に変わろうとしていたことに気付いたことを言うつもりだった。

あの戦争はそれに関連していた。


「そしていよいよあの戦争のこと、そして帝国に潜む難題を語ろう。難題の解決のためには皇帝の大権さえ躊躇なく捨ててよいと思う」


少年皇子は眼を丸くして驚いた。

そこに老いた忠実な丞相バヤンが入ってきて


「陛下、急用でございます」


皇帝は話を中断して出て行った。



これは皇帝が崩御する少し前のことだった。

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