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枢木綾人の牽制

作者: XI

*****


 言ってみれば骨董品じみた黄色いスイフトスポーツっつーなんともダサくて情けなくて冴えねー小型でしかない車を転がすのが得意なのが泉さんちの伊織さんであり、今、俺は奴さんの隣のナビシートにでんと陣取っている、荒い運転がゆえに頭の上のアシストグリップは手放せない。当該チチデカ女は俺の相棒で、付き合いもそろそろ長くなってきた。おたがいにドライな関係であれば気楽だろうと考えていたはずなんだけど、まあ、男と女なわけだ。時に寝たりくらいはしてもなんらおかしなこっちゃないだろう――と、俺はディープになった間柄をそのうちわりと簡単に割り切るようになった。複雑な感情を簡単に処理しちまってこそのオトナだろ?


 一緒に寝て、起きて、でもって今日は朝からやってる飲み屋に出向いてやるつもりだった。二人して揃っての非番を謳歌、あるいは堪能してやるつもりだったんだけど上司から急の呼び出し。「本部においで」とのこと。ゆえに特に酒好きの伊織さんはご機嫌斜めのご様子で。ちっちちっちと細かく舌打ちしまくりながら左へ右へと車線変更をくり返し、前をゆく車をどんどんやりすごす。運転はうめーんだ、この女はホント、惚れ惚れしちまうとはこのことだ。


 デケー白い太鼓みたいなかたちをしていることからそのまんま「ホワイトドラム」って呼ばれるのが我が勤め先なんだけど、毎日通っているわけじゃあない。用事があるときにしか寄らない――あたりまえの話だ。実行部隊たる俺たちは外で活動するのが、これまた常でちくいちあたりまえの話だ。「来なさい」と言ってくるのは無論、しつこく、重ね重ね、上司だ。伊織がご自慢の黄色くちっこい車をホワイトドラムの地下駐車場に滑り込ませた。俺と二人してエレベーターに乗って上階へ四階へ。そう広くはないエレベーターホールを出て、右方へとなだらかに延々とカーブを描く通路を進む。目的の一室に行き着いた。伊織が正面に立つと引き戸はオートでスッと開いた。入室したくだんの女に俺も続く。薄暗く辛気臭く狭苦しくといった三重苦の部屋の真ん中でゴルフクラブをスイングしている男――えっらいのっぽなじいさまだ、優に百九十を超えていて、じつは晩年のクリント・イーストウッドに良く似ている。だからまあ、主に女が接待してくれる店ではえらくモテるらしいけど――んなこたどうだっていいな。伊織と俺をどうして呼び出してくれたのか、そのあたりが問題だ。


 左方に長い神々しいまでのマホガニーの机の上に山積みにされていた書類がどっと雪崩を起こした。のっぽな老人――後藤泰造という名の唯一にして無二の我らが上司は、その様子を「あらあら」と残念がると、クラブを本棚に立てかけ、こちらを振り向いてにこりと笑んだ。「やあ、伊織さんに朔夜くん、いらっしゃい」などととことん柔和なのだ。こういうじじいなのだ。いつでもお気楽――良い言い方をすればいつ何時も大らかな態度を崩すところがない。とにかく大物然としている――つーわけだ。


「今日はまともな仕事の話?」少々苛立たしげな伊織の口調、刺々しいとも言う。「いいかげん、遊びに付き合うのは飽き飽きしてるんだから」

「まともな仕事の話だよ、えっへんだ」後藤さんがガキみたいに胸を張った。「昨晩ね、官邸から出た官房長官の車列に弾丸が撃ち込まれた」

「弾丸? 撃ち込まれた?」いきなりの話題に俺は眉を寄せ、オウム返しに言った。「言葉どおりの意味ッスか?」

「うん」と簡単に答えた後藤さん。「もっと具体的に言うと、じつは長官が乗っている車に命中した。当然分厚い防弾だから、事無きを得たわけだけれど」


 俺は感覚的に、即興的に確信犯的に、我がボスに対して「後藤さんは犯人について、もう見当がついてるんスね?」と訊ねた。「おぉ、鋭い感性だね、朔夜くん」と褒められたりしたが、本気でそう思われたわけじゃあないだろう、社交辞令みてーな文言だっつーだけだ。


 とはいえ――。


「お察しのとおりだよ、お二人さん」後藤さんが言う。「きみたちには『クロ』を捕まえてもらいたんだ」

「それ、俺たちが関わらなくてもそのうち結果が出るんじゃないスか?」

「そうかもしれないけれど、個人的な興味が尽きなくてね」

「どういうことっスか?」

「話してみたいんだよ彼と、だから個人的に」


 俺は目線を宙で左右させ遊ばせた。

 なんと無邪気で自由奔放な物言いをする上司だろうか、後藤さんよ。


「言うことは聞くッスよ。横槍が入らないか、それだけが幾分、気になるっスね」

「入るだろうとして、それだけだ。どうにも不確定要素が多い案件なんだよ」

「それでもやれ、と?」

「横車くらいは押そう。僕にできることだからね」

「そんなふうに言われちゃ、やるしかないッスね」


 つっても、どこからどう探ればいいんスか?

 俺はそんなふうに訊ね――。


「きみたちに捕まえてもらいたいというのは、裏を返すとそうでないとマズいということなんだよ」


 俺の頭の上には「?」が浮かぶ。


「どういうことっスか?」

「クルルギ・アヤトという名だ」

「犯人――いや、容疑者が、ッスか?」

「うん。こっちで捕まえないと、きっとあまり良くない結果を見ることになるだろう」

「えっと」

「おや、みなまで言わせるのかい?」


 そんなつもりはねーんだよ、じいさまよ。

 背景なんかはまったくもって不明だが、剣呑な事案であることくらいは否が応でもわかんだよ。


「官房長官につけばいいんスかね?」

「いや、フツウに思考しよう。すなわち、彼のことはもう狙わないだろう。リスクが大きすぎる」

「本命は総理大臣あたりだと?」

「そうだとしても、条件は同じだ」


 俺は顎に手をやり、二度三度と頷いた。

 でも、まずは誰にアポをとったらよいのやら。

 あいにくと「俺は政治の世界には明るくないんスけど」と言い切ることができてしまう。


「誰と会えばいいのか、そのへんはノーヒントだよね、お二人さん」

「そうだよ、ボス、そのとおり」このタイミングで伊織が口を開いた。「仕事は速く片づけたいタチだから、何か手掛りがあるんだったら速やかに聞かせてもらいたいんだけど?」

「そう言うと思って、というわけではなくて」

「微妙すぎるモノの言い方だね。死ねば?」

「死なない。明後日の方角からコンタクトがあってね。CIAだ」


 伊織と俺は顔を見合わせた。


「どうしてCIAが絡んでくるの?」

「それはわかるんだけど」

「そうなら教えてよ」

「いや伊織さん、答え合わせは本人たちと話して得たほうがずっと早い」


 伊織は「本人? だとすると、まあ、そっか」と変に大人しく納得したようだ。


「どこで待てばいい?」

「じき、ここに来る。来客スペースで待っているといい」

「ちゃんとした根拠があればいいんだけど」

「あるんだろう。少なくとも本件について、自分たちで面倒を見たい理由が」


 行くよ、朔夜。

 そう言って部屋を後にする大先輩に、「へぇへぇ」と俺は続いた。



*****


 建物三階のフリースペースで客を迎えた。俺は持っててもくれてもやんねーけど、伊織はその限りじゃあない。何の話かって、名刺の話だ。おたがいに、それなりにきちんとした所作でその小さな紙ぺらを交換した。伊織が受け取ったそれを、俺は覗き込んだ。「CIA ササキ」とだけあった、冗談みてーにシンプルな識別子だ、まったく気持ちわりーな。


 三人で洒落っ気のない白い丸テーブルを囲んだ。「それで、あんたたちは何を知っていて、何をしようとしているの?」と早速伊織が突っ込んだことを訊いた。中肉中背、これといった特徴もないメガネの中年男ササキはうっすら浮かんでいる額の汗をハンカチで拭った。奴さんはへこへこ腰が低いながらもこれっぽっちも低く構えちゃいない。むしろ余裕綽々だ。したたかというか、現場慣れしている感がある。である以上、あまり愉快な人物だとは言えねーな、ああ、けっして言えねーよ、馬鹿野郎。


「もう一度訊くよ。クルルギ・アヤトだっけ?」

「ええ、そうですよ、泉伊織さん。我々はクルルギ・アヤトを探しています」

「ああ、そう――ってアンタ、名刺見なくても私のこと、知ってたでしょ?」

「その覚えはありませんよ」

「食えない男だね」伊織は小さく肩をすくめてみせた。「でもそのへん、答えろと私は言いたいんだよ」


 そうする義務はありません――と、ササキ。


「仲良くがんばろーって言ってるつもりなんだけど?」

「その必要はありません。我々はアメリカですから」


 俺はイラっとした、アメリカの一言を振りかざすあたりにイラっとした。

 それでも脊髄反射で反論しないあたり、成長したのかもしれない。


 それでも俺は「つってもだ」とやや横柄に口を利く。「あんたらが用があるってんで、ここまで来たんだろ? ガキの使いじゃねーんだ。そのへん、少しでも明かしてくれていーんじゃねーのか?」

「私の会社はわりと大きいと申し上げましたよ?」にぃと笑ったササキ。「それ以上でも以下でもありません。それでももう少し噛み砕いてわかりやすく話すなら、私どもは期待しています」

「俺たちに、か?」

「ええ。優秀なんでしょう? でしたら真っ先にクルルギ・アヤトにたどりつくのは」

「俺たちだろう、ってか?」俺は皮肉るように笑った。「買いかぶられたもんだな」


 まずは張りつかせてください。

 ササキは言うとにこりと笑んだ。


 後藤さんがなんとも言わず、またクライアントはCIAであるわけだ。

 とりあえず、従うよりほかにねーんだろうな、くそったれのあほったれ。



*****


 二日、一緒に動いた。愛車の後部座席に得体の知れない、あるいは気に食わないササキなる重りを乗せているせいだ、伊織は時折、しかめ面をかました。顔をゆがめてしたたかに舌打ちをくり返した。



*****


 三日目のその日はササキとホワイトドラムで落ち合った。待っていればホテルまで迎えに行ってやったのに、わざわざ出向いてきやがったのだ。柔和な表情を浮かべ、「いつでも礼は尽くさないと」などとホントかウソかわからないことをほざきやがる。慇懃無礼にしか映らねーよ、クソ野郎。例によってホワイトドラム三階の殺風景なフリースペースで白い丸テーブルを囲んで話をする。飽きてきたんだけど、そうも言ってらんねーだろう。いやしくも、俺は公務員なんだからな。


「手を尽くしていただいているという認識です。ええ、あなたたちはがんばってくだっさっている」


 親しげさがすぎる上から目線がなんともムカつく。

 ――が、そんなことを言い出したところでしょうがない。


「ああ、そうだ。がんばってやってるよ」俺はふんと鼻を鳴らした。

「そうありたいと願ったところで、恐らく彼には会えないでしょう」と、ササキ。

「だったらだったで、何か策はないの?」とは伊織。

「それも含めての『治安会』なのでは?」

「かもしれないけど、私たちは荒事が得意なの、調査うんぬんは好きじゃないの」

「好きじゃない、ですか。じつはそうでもないのでしょうが。まあ、情報の展開はやぶさかではありませんよ」

「そういうことなら、早くうたいな」


 マキタ・リョウタ。

 ヒトの、男の名だろう――が、ササキの口からもたらされた。


「誰だそいつは?」俺は訊いた。

「おや、ご存知ありませんか?」と返してきた。

「知らねーっつってんだよ」

「与党のニンゲンです」

「政治家か?」

「そう言っています」


 政治家、政治屋――奴さんらは格別に嫌いなので、俺はなかば呆れ顔を浮かべてしまう。背もたれにのけぞって溜息までついちまったくれーだ。喫煙に勤しみたいなと考えたのだが灰皿はないし、なにより禁煙だからとよしておく、偉いな俺は、まったくもって尊い。


「マキタ・リョウタ、青年局のリーダーだね」伊織は知っているらしい。「察するに、その彼が本件の参考人になりえるのかな? もしくはもっと深いところを知っている?」

「会えばわかる話です」とか、ササキはばっさり。「アポイントメントは? 私がとりましょうか?」


 伊織はスッと「要らない、こっちでやる」と答えた。どうあれ主導権を握られるのは忌々しいのだろう、同感だ。「さっさとやることやろうぜ」と言い、俺は誰より先に椅子から腰を上げた。



*****


 与党本部。青年局のリーダーとは俺が考えていたより高尚で高級な立場なのか、奴さんに与えられた一室は新しいながらも年季の感じられる空間だった、新しいながらも――当該役割を果たす建物がこの真新しい首都に移ってきてからまだそんなに時間は経ってねーからそのへん当然なんだけど。


 応接セット、木製の、重厚感のあるテカテカのテーブルはちっこいくせにしっかりちゃっかり自己主張してくれてやがる。勧められて伊織と並んで二人で座ると目当ての人物――マキタ・リョウタ、牧田涼太が正面の一人掛けに腰を下ろした。若いな、俺よりはけっこう年上だろうけど、つったって、まだ四十には程遠いんじゃねーの?


「コーヒー、それとも紅茶?」と、牧田。

「なにより先に、灰皿が欲しいな」とは伊織の言葉。

「この部屋は禁煙です」

「だろうね。言ってみただけだよ、ミスター」


 煙草がNGである以上、輪をかけて、俺はとっとと事を片したい。

 その旨、伊織にアイコンタクト。


「青年局のニンゲンって、やっぱり年寄りに文句ばっか言う連中なわけ?」

「そう思われがちですが、そうでもありませんよ。それより、泉さん」

「なあに?」

「本件、『治安会』が動くような事、なんですか?」

「おやまぁ、私たちをご存知なの」

「それはもう、もぐりでなければ」

「実際動いちゃってるから、そういう事、なんだろうね」


 『無の器』でしょう?

 そう問われた伊織はその長い脚を組み替えると「そう」と頷いた。「そういう組織名」と答えた。


「首魁の名は、クルルギ・アヤト。これってニッポン人ならある程度は知っている事実ですよね?」

「アンタは彼の知り合いなんでしょ、牧田局長?」

「ええ。大学生の折、弁論部で一緒でした。私が部長で、彼に肩書はなく。ゴルフサークルでもそうでしたね」

「目立たない存在だった?」

「そうではありません。表に立つのが好きではなかったというだけです」

「ふぅん。なるほどね」

「優秀であることは間違いありませんよ、かなり、です、あるいは私よりも、ずっと」


 週末になれば飲み歩く仲だった。

 ――ということらしい。


「フツウの大学生だった?」

「胸の内にただならぬ情熱の炎を秘めているように見えましたが――一般的な視点で言うとそうです」

「左派だった? それとも右派?」

「彼を分析しようとした場合、そこから入りたがるヒトが多いようですが」

「あるいは、どちらでもない?」

「というより、その議論は不毛だと思います」


 真っ赤だと追い込みやすいんだよ――と、伊織。

 それは理解できます――と、牧田。


 伊織が悪戯っぽく笑んでみせると、優男の牧田はクスッと笑った。


「ところで、そちらの方はどなたですか?」


 牧田が右方を向いて、そう言った。

 奴さんの視線の先には本棚の前に立ってなにやら中を観察しているササキの姿がある。


「ササキさん、何してるの?」と訊ねたのは伊織だ。

「いえ、立派なトロフィーだと思いましてね」とササキは答え。「なるほど。弁論大会優勝の勲章というわけだ」

「何かそれっぽい物を飾ったほうがいい。秘書からの進言でしてね」牧田が浮かべたのは苦笑いだろう。

「ほんとうにもう、付き合いはないんですか?」ササキは続ける。「たとえば、今でも親しいゴルフ仲間だ、とか」

「まるきり疎遠だとお伝えしたつもりですが?」文言のわりに、牧田の声に不機嫌な色はない。


 わかりました。

 ――と、ササキはあっさり引き下がった。


「話を逸らすつもりはないんスけど」と断りを入れた上で、俺は「今の党内の情勢――については、どんなふうに考えてるんスか?」と疑問を投げかけた。

「我が党のごたごたは醜く映りますか?」と、牧田。

「一度決めた、決まったことには従って、そうあれば全員一致でそっちを向く――それがおたくらの強みであることは知ってるつもりッスけど、だったら今の体たらくはなんなんスかね。まず、決めないんスか? それとも決められないんスか? いずれにしても、同僚の足ばっか引っ張ってるってのは見栄えが悪くって仕方ないッスよ」

「貴重で正しい意見だなぁ」感心したように、牧田。「ええ、否定のしようがありません。党勢が思わしくない時分にこそリーダーを盛り立てて一致団結、がんばるべきです」


 わかってんならとっととやれよ、タコスケ。

 ――なる罵詈雑言を、俺はすんでのところで飲み込んだ。



*****


「CIA、ひいてはアメリカさんが関わる理由がなおのこと、いっそ、わからなくなった」ステアリングを握っている伊織が言う。「そのへん、いいかげん教えてくれない? ササキさん、だよね?」

「ええ、言わずもがな、ササキです」明確に軽んじられたにもかかわらず、ササキは平然と答えた。「それこそそのへんは、兵隊にすぎないあなたたちが知るところではありませんよ」

「言ってくれるね。どこまでも私たちを使おうって気?」

「ええ。かねてよりそのつもりです」


 つくづく癪に障る物言いをしてくれるダンナだ。

 俺はバックミラーを調整して後部座席のササキを観察――勘がいいらしい、すぐに目が合った。


「ササキさんよ、ウチとしてはこの件、ほうりだしてもいいんだぜ?」

「あなたの上司である後藤さんには十二分に話を通してあります。今さら断るだなんて――」

「阿保ぅか、くそったれ。理解できねーのか? 納得できねー仕事はやんねーつってんだよ」

「朔夜」

「るせーんだ、大先輩の伊織さんだっつっても黙りやがれ。法で裁けねーのを裁けちまうっていうから俺は今、ここにいるんだよ。ああ、そうだ。どいつもこいつもふざけんな。俺様の行く先の邪魔しくさってんじゃねーぞ」


 数秒の間――。


「現状、何がどうとは言いかねます」とササキはしつこい。

「そのうち話してくれんのかよ?」と俺は訊いた。

「さあ」

「やっぱオメーは気に食わねーよ。そもそも片言の日本語が気色わりーんだよ」

「それは差別でしょう?」

「うるせー馬鹿、息すんな馬鹿、死にやがれ馬鹿」


 静かになった車内にて妙な音。誰かのケータイの鳴動音だとまもなく気づいた。伊織のだったらしい。漆黒のジャケットのサイドポケットからそいつを取り出した伊織。運転の片手間で発信者を確認したらしく――するとそいつを俺に手渡してきた。ディスプレイを確認。「クボクラ」とあった。まさか、あのクボクラか? 所属の部署は忘れちまったな――嘘だ。国の諜報機関としては名うての実力を誇る「公安四課」のいけすかねー野郎だ。


『泉さん、クボクラです』

「おおかた知ってんよ、馬鹿野郎」

『おや、本庄さんですね?』というセリフのわりには特段驚いた様子もないクボクラ。『仲がいいことですね』

「んなこた誰もほざいてねーだろうが」

『必然です』

「黙れってんだよ、まぬけ野郎」


 あるいは、CIAのニンゲンと一緒に?


 気持ちの悪いビンゴの指摘だった。

 なんでだ? 奴さんがどうして知ってる?

 その旨、口にはしなかったが、不思議に思っていることは雄弁に伝わっちまったらしい。


『正解、ですか』電話口でも得意げな感はありありと窺える。

「んなこと言い当てたところで俺は――」

『黙って。静かに聞いてください』

「あぁん?」


 真剣みを増したセリフが俺をひどく冷静にさせる。


『ササキ、正確にはササキ・アンドウという人物なのですが――』


 聞けば聞くほどいいかげんな名前だ。

 絶対に偽名、あるいは安易な識別子にすぎない。


『彼がニッポンを訪れた理由――あなたがたのために、お話ししておきたい』


 俺の眉間には皺が寄る。


「どういうこった?」

『彼をどこかに置き去りにして、どこかで私と会っていただけますか?』


 俺の眉はますます寄る。

 ただ、これ以上、話を続けることは得策ではない――くれーには考えた。

 得体が知れず気持ち悪く、ただ絶対的に鼻が利くらしいササキがいる前ではもう何も話したくない。


 俺はいかにもめんどくさくありながらも「いいぜ。場所を教えてくれ」となかば演技を打った。ササキには怪しまれたかもしれねーけど、最寄りの駅前のロータリーで降りてくれたわけだから、ま、こっちとしてはさしたる問題はねーってこった。


「朔夜、コーヒー」ロータリーにて停車中、伊織が少々前に首をもたげてパーラメントに火をつける。

「テメーで買ってこいよ」と突っぱねてやる。

「私、センパイなんだけど?」


 そう言われると、弱い。生まれてこの方、俺は縦社会なる社会性にめっぽう弱い、その道にどっぷり浸かっているともいう。スタバで無愛想な弱小サイズのアイスコーヒーを両手に、車に戻った。ドアくらいは開けてもらえた。俺の左手から伊織はしずしずとカップを受け取った、どうにもこのへんかわいらしいな、くそったれ。


「クボクラさんは? なんて?」

「今回の件について、情報を寄越してくれるってよ」

「CIAとかアメリカ絡み?」

「そうだって聞かされたつもりだ」

「どこに向かえばいい?」

「ウチの本部だ。出向いてくれるらしいぜ」


 了解。意外といい返事をすると、滑らせるようにして、伊織は気持ち良く車を出した。口には空になったカップをくわえていた。



*****


 本部――ホワイトドラムの「来客スペース」とは名ばかりの三階、フリースペース。


 グレーのスーツに赤ネクタイ。紅を塗ったように唇が赤い、女顔の男が丸テーブルを挟んで伊織の向かいにいる。誉れ高き? 悪名高い? なんにせよ、奴さんはかの「公安四課」のクボクラだ。


「おおもとの事件は、クルルギ・アヤト――枢木綾人なる人物が官房長官の車列に弾丸を撃ち込んだ、というものです。裏を返せば、たったそれだけのことなんですよ」


 いろいろとご存知であることについてはクボクラの組織を褒めるしかないとして、あらためて事実を整理するようなかっこうで事を告げられると、疑問しか湧いてこなかった。


「そうだよ。そうでしかない」煙草を吸いたいのか、なんだかイライラしているような伊織。「なのに、どうしてCIAが関わってくるの? 関わってきたの?」

「彼らは彼らで穏便に済ませたい事があるんです」

「穏便に済ませたい『事』?」

「『無の器』――枢木の組織です。どうやら彼らは、アメリカの左派組織とつながりがあるようなんですよ」


 情報の展開を受けて、俺はがんばって思考する。

 ――が、俺はあんまり賢くねーから、特に答えは見つからねー。


「本庄さんはダメでしょう?」

「オウ、コラ、クボクラ、ダメだってのはなんだ?」

「頭を使うことについて、ダメでしょう?」


 俺は大きく舌打ちした。

 ぐうの音も出ねーから黙り込むしかなかった。


「アメリカで、何かあったんだね?」伊織の口調は確信的だった。

「そうです」と答え、クボクラは深く頷いた。


 黙って先に耳を傾けるしかなさそうだ。


「アメリカではアメリカで、国防長官の車に狙撃が行われたんです」


 決定的に、初耳だった。


「待てよ」当然真っ向から口を挟んでやる。「そんな話、テレビはおろか、ブン屋ですらなんにも――」

「左派勢力の仕業だとの調べはついていると言いました」クボクラが続けた。「その事実を謳った上で連中を悪役だと罵り国民の支持を得ることは可能でしたが」

「しようとしなかったってのか?」

「弱味を見せるのは恥だと判断したようです。現アメリカ大統領が考えそうなことです」

「いわゆる明確な報道管制?」とは伊織。「ふぅん。やるじゃない」

「ええ。どれだけ強固な暗号コードだろうが、そのうちもたなくなるのは明白ですが」とクボクラは答えた。


 俺は足りない脳みそに鞭打った結果として、「だいたいわかったよ」と言った。


「アメリカさんはテメーんとこのテロリストもウチの国のどあほうも一気にまとめて消しちまうことで、事の収束だけを図ろうってんだな?」

「そのように見て取れるということです」

「乱暴な論理すぎんぜ。こっちからすりゃあ、それって完全に内政干渉だろうが」

「だとしても、アメリカに逆らえる国が組織がありますか?」

「つまるところ、どういうこった?」

「ニッポンに英雄など必要ない、おたがいの現体制が守られればそれでいい――アメリカの確固たる主張です」


 アメリカさん、言ってくれんじゃんかよ。

 なるほどなと納得するしかなく、これまた黙るしかない。


「左右を問わず、ポピュリズムとは元来気色の悪いものですよ」

「つっても、んなこた市民の総意の顕れなんだろ? 政治の参考資料そのものなんだろうが」

「だからこそ、民意を得るのは容易なんです。耳障りのいいことばかりを並べればそれはそれで美しい」

「異議はねーよ」

「この国に絶望感を抱くわけです」

「知るかよ馬鹿、おまえの律義さなんざ知らねーよ」


「しかし」クボクラは先を紡ぐらしい。「そんなこと、誰の目にも明らかです」

「そうだね」と伊織。「だったらどうして、ウチのボスはアメリカの、CIAの、ササキの活動を許容しているんだろうね」

「決まっています。あの老獪すぎる老人、後藤さんは枢木の身柄を自らの手で押さえた上で、連中には寄越さないつもりなんですよ」

「それはもう聞いたんだ。だからだろうね。惚れちゃうよね、まったく」伊織は穏やかに笑んだ。「彼にとってはアメリカのことはアメリカのことで、ニッポンのことはニッポンのことってわけだね、あくまでも」

「申し訳ありませんが、これ以上、協力できることはありません。ここまでの情報共有のみです」


 ケリ、つけるのは簡単だな。

 俺は皮肉満々に笑むとそう言って――。


「くそったれの大統領のどたまにはいつかタマぁぶちこんでやんよ。そしたらもちっと世の中、幸せになんだろ」

「冗談に聞こえないから恐ろしい」クボクラは心底おかしそうに、でもクスッとしか笑わなかった。



*****


 所轄にまで情報をばらまいた成果だ。そのうち我が情報部の声紋検索に枢木綾人が引っ掛かった。本部――ホワイトドラムでその旨を知った俺と伊織は当然、大至急、向かう。「おやぁ、そんなに急がなくても。ちょっと待ってもらえませんかねぇ」などとのんびりほざきやがるササキに、俺は「テメーはそこで待ってろ!」と強く告げた。死体袋を持ち帰らせてやるつもりだった。



*****


 追い詰めた、繁華街にありながらの廃ビル、その屋上。暗闇の中にあって、髪は藍色だ、長髪。ウェーブがかかっている。とことんトリートメントが効いているように見えた。優男だ、美男子でもある。若い。学生だと言われても疑わない。ちょっと気色悪い。得体が知れないからだ。俺も伊織も拳銃を向けているわけだけれど、奴さんは口元をシニカルに歪めたまま、微動だにしない。ヤな感じだ、ヤな感じ。軽んじられているのは確かなのに、そう簡単に動けない、トリガーも引けない。なんだよこの得体の知れねープレッシャーは。


 辛抱しきれなくなった俺は、「撃つぜっ!」と声を張った。するとだ、なんとまあ、男は――その若者は向こうを向くなりこの屋上から飛び降りた。追うように駆け、屋上のふちに立って、見下ろす。見下ろした瞬間、弾丸が飛んできた。当たりゃあせず、そいつは夜空に吸い込まれた。「朔夜っ!!」と伊織の呼びかけの声は聞こえたんだけれど、俺は奴さんを追うべく屋上から飛び降りた、一般的に言うところの三階ほどの高さだけれど無鉄砲に飛び降りた。俺のタフな足腰は見事着地に耐えてくれた、嘘だ、骨や靭帯の数々はいくぶんイッたかも。「待ちやがれ!!」と叫びつつ、拳銃を前に構えつつ、走ってあとを追う。袋小路に追い込んだ。たぶん奴も、俺だって息を切らしてる。奴さんはこっちを振り返ると、やっぱり皮肉るような笑みを浮かべた。もはや気に食わない――とかはない。只者でないのはわかった。だからこそ知りたい。おまえが起こす過激な行動の意味を理由を背景を。


 枢木は左の懐から抜き払った拳銃を、俺に向けた。


「撃てよ。でも、当たんねーぞ」

「どうして、そう?」


 それが初めて聞く奴さんの声だった。


「枢木だな? 合ってっか?」

「間違いだったら、えらいことです」

「そりゃそうだ」なんだか笑えた。「投降しやがれ。今なら便宜くらいは図ってやる」

「狩人の言葉は信じられませんよ」

「アメリカだって、追ってんだぜ?」

「なんとかしてみせますよ、今すぐに」


 頭上に高々と、右手を掲げた枢木。

 パチンと指を鳴らした。


 途端、いきなりだ。

 真っ暗になった、周囲が勢いよく、真っ暗に、だ。


 俺は「あぁ?!」と顔を歪めた。暗闇すぎる、目が慣れてねーもんだから、一気に枢木のことを見失う。撃ってこられたらそれまでだったように思うんだけど、あいにくと逃げの一手らしい。五秒程度、目をつむった。少しは闇に慣れた。あてずっぽう、それでも追跡しようとする。「朔夜!!」と名を呼ばれた、伊織だ。「追わなくていい!!」とのことだった。理由はわかる。枢木からすれば所定の行動なのかもしれない。そうだった場合、追った先に何が待ち受けているかわからない。危険がたっぷりだから、伊織は呼び止めてくれたというわけだ。


 忌々しさに俺が舌打ちをくり返していると、おしゃぶりでもくわえさせるようにして、伊織は俺の口に煙草を捻じ込んだ。やむなく俺は一つ息を吸い、煙を吐いた。だいぶん冷静になることができた。大したもんだ、タバコってのは、しかしマズいなパーラメントは。


「やるじゃない、枢木綾人。ちょっとくらいは見直したよ」

「伊織さんはこの上なくのんきなこって」

「逃げ場はないんだよ、もはや、彼には」

「んなこたわかってる。官房長官の車列にタマぁ撃ち込む以上のことなんて、やっぱできるわきゃねー」

「だったら、何をなそうとしているのか」

「なんだってんだ?」


 シンパがいるんだよ、どこかに。

 そんなふうに、伊織は切り出して。


「シンパだぁ?」

「そう。枢木には私たちの行動が筒抜けになってる。実際、今だって煙に巻かれたような気分でしょ?」

「そりゃそうだけど」

「追うよ」

「は? 追うなって話じゃねーのかよ?」

「待って」


 そう言うなり、伊織がいちだんと真剣な顔になった。今、気がついた。ワイヤレスのイヤホンをつけている。何か悪いしらせが得られたのだろう、険しい顔で舌打ちすると、苦々しい表情のまま、「逃げられた」と言った。それだけじゃあ何言ってんのかわからねーから、「なんのことだ?」って正直に訊ねた。


「ササキが姿を消したんだよ。ずっと行確させてたんだけど」

「あぁ?」

「説明が必要なら後からしてあげる。マズったかも」

「だから、何をだよ?」

「本件を俯瞰し、すべてを把握してるのはササキだけなんだよ」


 俺は拳銃を懐にしまうとを顎にやり、考えた。

 すぐに一つの結論に行き着いた。


 伊織のほうを見ると、「そうだよ」と返してきた。


「ササキの役割はあくまでも枢木を消すことに終始してる。それ以上でも、それ以下でもないんだよ」



*****


 明くる日、市内のとある――らしくもなく純喫茶にて。


 並んで座っている俺と伊織は同じくフツウのブラックをすすり、ササキは――なんとまあササキはウインナーコーヒーなんてこじゃれたもんを口にしてる。ササキの第一声は「枢木を捕らえました」というものだった。俺は左方の伊織にちらと目をやった。すると伊織はキツい目つきで「捕らえて、どうしたの?」とササキに訊ねた。「ニッポンで裁かせてくれるの?」と続けた。


「そうすることが――あるべき姿――なのかもしれませんが、それは少し難しいですね」

「難しい? その理由は?」


 待てよ。

 ――と、俺は口を挟んだ。


「おまえ、ひょっとしてもう、奴さんのこと、消したんじゃねーのか?」

「それはまた、どうしてそんな理屈になるんですか?」

「決まってんだろ。それで重畳だからだ」

「重畳ですか」くつくつと喉を鳴らすようにして、ササキは気色悪く笑った。「まあ、そのとおりかもしれない、しれませんね」

「否定はしねーんだな」

「ええ、しませんよ」


 俺はカッとなって、椅子から腰を上げた。

 懐から抜き払った拳銃をササキの眉間に突きつける。


 ササキは微動だにせず、強い目だけを向けてきた。


「貴国に英雄は必要がない。アメリカに従順な市民がいればそれでいい」

「テメー、俺が撃てねーと思ってんのか?」

「朔夜」

「るせーよ、大先輩殿。俺は今、腹が立ってんだ」

「殺すわけにはいかない。それだけは言える」


 俺は伊織に目をやった。


「枢木のことか? まだ生きてるってのか?」

「ホントに消したっていうなら、ササキさんはもうこの国にいないよ。違う?」


 ……違わねーな。

 ああ、違わねー。


 俺が引いた拳銃を懐におさめると、ササキは「まったく、あなたは鋭い」と伊織のことをだろう、賞賛した。


「枢木には、もう打つ手がないはず」伊織が言う。「何がしたくても何もできないはず」

「でしたらあなたがたで処理されますか?」

「そうしたいね。もはやボスの厳命だから」

「私の役割を理解していただきたい」

「そうだとしても、ここからは早い者勝ち」

「負けませんよ」

「こっちのセリフ」


 ササキがジャケットのサイドポケットからおもむろにケータイを取り出し、相手に対して「やっていいですよ」と告げた。「()っていいですよ」だろう。


「伊織」俺は咄嗟にそちらを向いた。

「大丈夫。もう悠くんが動いてる」


 悠くん。

 忍足悠センパイ。


 元マトリで、しかも「特別強行班」なるまさに特別な組織にいた。厚生省麻薬取締局の最強部隊だ、んなこたモグリでなきゃ誰でも知ってる。


「ええ。ここからは競争です」と言うなり、ササキは立ち上がった。「被疑者が生きるか死ぬか、それは私たちの立ち居振る舞いにかかっている」

「こっちがもらうぜ」

「おや本庄さん、何を根拠に、そう?」

「うっせー馬鹿。勝つから勝つんだよ、馬鹿」



*****


 悠センパイの追跡は確実でカンペキだ。メチャクチャうまいこと立ち回っちゃってくれた。一目散に違いない逃げを打った枢木のことを路地裏にまで追い込んだ。悠センパイと合流した。「もう任せていい?」となんとも眠たげな悠センパイ。さっさと帰って飼い猫とじゃれ合いたいらしい。愛猫というやつだ。「ありがと」と言って、伊織が悠センパイの頬にキスをした。


「タバコ臭いです」

「嫌だった?」

「そうでもないですよ」


 じゃ。

 それだけ言って、悠センパイは立ち去った。


 真正面に、枢木はいる。

 どうしてかね、袋小路を前にして両膝をついて向こうを向いていて、両手を広げて、夜空を仰いでいた。


 万一に備え、俺も伊織も奴さんの後頭部に拳銃の照準を合わせている。

 反撃してくる様子は、やっぱりまったくない。


 何かをやり遂げたのだろうか。

 それとも追い詰められて、人生を諦めた?


 どちらにせよ、殺すわけにはいかない。

 じつはそれこそが、我らがボスからのお達しなんだからな。


 俺は近づき、枢木の後頭部にいよいよ銃口を押し当てた。


「おら、チェックメイトだよ、くそったれ。気の利いたセリフがあるなら言ってみろ、カス」

「逃げきれる自信があったんです。たとえ相手が、忍足悠であっても」

「情報はあったのか。知ってたのか」

「それくらいの諜報能力は」

「付き合えよ。ウチのボスが待ってる」


 後藤泰造さん、ですね?

 ああ、そうだ、違いない。


「会わせてやるよ。大らかなヒトだからな」

「楽しみです」と軽い調子で言って、だけど夜空を仰いだまま微動だにしなかった。


 部下にあたる連中に奴さんの身を引き渡し、無論、身柄を我らがボスである後藤さんのところに連れて行くよう指示した。もうやることはない。あとは後藤さんが判断する。司法の手にゆだねることだろうが、案外、その危険性から話し合いの結果としてその場で殺してしまうかもしれない。そうあってもごまかすだけの力とコネがあるのが後藤さんだ。どう転んだとしても、俺はボスの判断を尊重するだろう、だって俺はしょせんリーマンみてーなもんだからな――。



*****


 本部の通称「101号室」。

 主に拷問に使われる一室だが、その限りではないことも確かだ。


 後ろ手で両の手首を後ろ手に拘束されている枢木が椅子に腰掛けていて、俺は部屋の隅に立って奴さんを観察してる。後藤さんはテーブルを挟んで向き合う位置にある椅子に腰掛け、念願が叶ったことを喜んでいるように見えた。


「さあさぁ、僕は幸せ者だとはじめに謳っておこう。なにせ君に会えたんだからね」

「僕が想像していた後藤さんとはずいぶんと違います」

「おぉっ、それはどういうことだい、枢木くん」

「もっと、言わばチャラい人物だと思っていました」

「八十の老人がチャラいってことはないだろうなぁ」後藤さんは朗らかに笑い。「我が組織の力量は知ってもらえたかい?」

「嫌というほど。でも、僕を捕まえたところで、凶行ですか? なくなりませんよ」


 白い壁に背を預けている俺は「どういうこったよ」と訊ねた。「言葉どおりの意味ですよ」と返ってきた。


「ちょっとわかんねーな」

「それでも事は起こるんですよ」


 それからすぐに部屋の戸が開け放たれた、けっこうな勢いで。興を削がれたような気分になって、俺は慌てた様子で入ってきた若い男に目を向けた。俺の顔はイラつきが露わだったからだろう、男は「ひっ」と身を引いた。


「どうしたんだい?」優しい口調で訊いたのは後藤さんだ。

「そそ、それが」やはり慌てふためいている様子の若人。「また官房長官の車列が狙撃されたそうです」


 ……は?

 どういうこった?


 ククククク。

 そんなふうに、喉を鳴らして、枢木は笑った。


「おかしな話ですよね。主犯である僕を捕まえたのにまた犯行が起きた。いったい、どういうことなんでしょうね」

「待ってよ、ミスター」と、すぐに口を開いたのは俺の隣に立つ伊織さんだ。「私の場合、ピンと勘が働くんだな」

「というと?」

「枢木綾人は二人以上、いるんじゃない?」


 枢木綾人はこれでもかというくらい、邪に笑んだ。


「すばらしいです、泉さん。じつはそのとおりなんですよ。ですから――」

「あんたを捕まえたところで、用は足さないってことだね?」

「そのとおりです」


 はあぁ……。

 大きくため息をついたのは後藤さんだ。


「ねぇボス、この事実、ササキは知ってるのかな?」

「知っているに決まってるよ。アメリカなんだからね」

「まあ、だろうね」

「で、どうすんだよ、どうするんスか?」俺はイライラしながら二人に訊ねた。

「ササキさんが全部狩りとってくれるなら、それはそれでめでたいのかもしれないさ」とは後藤さん。

「でも――」と俺はあらためて問う。


 ああ、この件、ちょっと根が深い。

 後藤さんはそう応えた。


「ちぃとばかし、時間がかかるんスかね」と俺は問うた。

「そのようだ」と後藤さん。「そうである以上、無理はよそう」

「アメリカさんとタイマンはれる組織ができるといいッスね」

「それが叶えば嬉しいなぁ」


 このたび、官房長官の車列を狙い撃ったのは、どうでもいいニンゲンだ。とっつかまえたところで核心的な部分を吐かせられるとは考えにくい。枢木綾人が何人いるかが問題だ――否、奴さんらの集合体で我がニッポンがどれほどの苦境に立たされるのか、じつはそのへんがもっとも危ぶまれるところだ。



*****


 枢木綾人の全貌は明らかにならず、ササキも「いったんですよ」などとほざいてアメリカに帰った。「また来ます。我々の任務は終わっていない」とのことでもあった。やっぱり枢木という個性をぶち殺すことが目標であり、目的なんだろう。まったくもって剣呑な話だ。そこにアメリカの本気を見ることもできる。


 枢木綾人はこれからもきっとはっちゃけるよ。

 意味もなく高速を流す黄色いスイフトスポーツの中にて、伊織さんはそんなふうにのたまい――。


「殺しても殺してもコピーキャットが出てくる。彼らこそ、市民の総意なのかもしれないね。それこそ『器』で反政府組織の象徴。彼らはもはや大義すら手にしようとしてる」

「つっても犯罪者だ」俺は真っ向から意見をぶつける。「そうである以上、確保だろうが」

「でも、奴さんたち、現状、誰も殺してないんだよ?」

「始末が悪いなとは思ってるよ」


 本音だった。


「まあ、敵さんと長いあいだ向き合うのは今に始まったことじゃないし、だったら付き合ってやろうってね」

「テメーはのんきすぎんよ。俺はドキドキしっぱなしだってのによ」

「それでもいざとなったらやりきるのがアンタ。期待してるよ」伊織さんがはっはっはと笑った。「で、これからどうする? まだ朝だけど、とことんまでキツい性行為に勤しむ?」

「そんな気分じゃねーよ。酒、あおりに行こうぜ」

「それも悪くないね」


 朝から鰻で酒を飲ませる店がある。立ち食いだから疲れるっちゃ疲れるんだけど、そんなマイナス因子を覆すだけの気の利いた風貌の店であるものだから、何事にも代えがたい価値と悦が、そこにはある。


「鰻はいいね、精がつくから。だから、セックスセックス」

「しつけーんだよ、おめーはよ」


 俺は左手で頭上のアシストグリップを握り、次の乱暴な車線変更に備えた。


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