第8話「外部勢力の動き」
夜明けと共に、俺たちの拠点は新たな種類の喧騒に包まれた。
書記所には、近隣の三つの市から矢継ぎ早に照会状が届く。どれも不安を帯びていた。
「門外に巡礼の列! 歌も旗もありませんが……荷に、壺が多いようです!」
見張り兵の報告に、カイルが低い声で付け加える。
「……火持ちが混じっている」
「受け入れは、わたくしが仕切りますわ」
リシアは扇を畳むと、即座に指示を飛ばした。
「まずは、列を三つに分けさせなさい。登録、診療、そして持ち物検め、と」
「燃え物は預けさせろ。拒めば敵だ」
俺は短く命じた。
◇
門前の広場は、再び選別の場と化していた。
持ち物検めの列で、聖油の入った小瓶と、赤い封蝋で閉じられた“赦免状”が次々と見つかる。
「こ、これは清めのための聖油でして……!」
一人の男が、慌てて言い訳をする。
「あら」
その男の前に、セラフィーナがにこやかに立った。だが、その瞳は笑っていない。
「ここでは、そういうものは燃えない決まりになっているんです」
彼女が小瓶を指先で軽く弾くと、中の油は液体としての形を失い、ぱらぱらと黒い灰になって地面に落ちた。
男は、声もなく立ち尽くす。
「油と赦免状を同時に所持、三名。別室へ」
カイルが淡々と指示を出す。だが、俺はそれを制した。
「証拠は揃った。放火意図とみなす。処刑する」
広場に集まっていた群衆が、息を呑む。
鐘が、一度だけ鳴り響いた。縄の軋む音が、短く響く。
「皆様、祈りを捧げるのは自由ですわ」
リシアは、動揺する列に向かって、穏やかに、だが揺るぎない声で告げた。
「ですが、この地では、火と刃は固く禁じられておりますので」
その一言で、この地の絶対的な線引きが、人々の骨身にまで刻み込まれた。
◇
その日の午前、二つの異なる使節が、ほぼ同時に俺たちの元を訪れた。
一つは、複数の都市による交易都市連合の使者。穏やかな顔つきの文官だ。
もう一つは、山間に領地を持つ小侯国の使者。こちらは、半ば武装し、青ざめた顔をしていた。
「……対応を分ける必要がありますな」
アルフレッドの進言に、俺は頷いた。
「連合とは契約で繋ぐ。利を共有し、道を確保する」
俺は方針を示すと、リシアに視線を移した。
「承知いたしましたわ」
リシアは、即座にそれぞれの交渉方針を固める。
「連合には、“護証の相互承認・城内泊の無料化・禁制品の遵守”の三点を。侯国には、“庇護を受けるための費用”として、通行税の配分、有事の際の徴兵枠、あるいは城壁建設への労役提供、という三択を提示いたします」
頼まれて広がる。だが、決して安売りはしない。それが、俺たちのやり方だった。
◇
市の片隅で、香辛料を売っていた老人が、わざとらしく足を滑らせて転んだ。
懐から、三つの小さな油瓶が転がり落ち、地面に叩きつけられて割れる。
老人が隠し持っていた火打石から、火花が散った。
だが、炎は上がらない。
油が燃え広がる寸前、その上に蒼い魔力の薄膜が広がり、発火を防いでいた。
「ここでは燃えないよ」
少し離れた場所で粥を配っていたセラフィーナが、視線だけでその膜を厚くする。油は、瞬時にして黒い灰へと変わった。
カイルが、老人の手指を返し、その爪の黒ずみを見て短く頷く。
「火を触り慣れている。懐から赦免状。……共犯が二人、逃げるぞ」
共犯の男たちが、人混みをかき分けて逃走を図る。
だが、その進路の先にあった影から、音もなくカイルの刃が伸び、二人の喉を一度に断ち切った。
「放火は処刑だ。見せしめは要らない。この地の運用を、ただ示せ」
俺の言葉に、リシアが書記へ落ち着いた声で指示を出す。
「被害ゼロの通達文を。『蒼膜運用・密偵摘発・市場継続』の三点だけ、簡潔に」
◇
昼前、新たな一団が城壁の外に姿を現した。
赤い縁取りのある白い布を掲げた宣告官が、低い詠唱と共にこちらへ歩みを進めてくる。
「“災厄の庇護に与する者、浄火の適用対象と見なす”」
城壁の上から、リシアが穏やかに応じた。
「ここは庇護の地。祈りは歓迎いたしますが、火は禁じておりますの」
宣告官は、布告の“予告状”を地面に立てた杭に乱暴に打ち付け、無言で去っていった。その紙片には、赤い副印が二重に押されている。
カイルが、それを回収し、報告する。
「審問局“遠征監”の副印。本隊が動く前の、布石です」
「受け取った」
俺は、去っていく宣告官の背中に向かって言った。
「燃やせば敵として殺す。――そう伝えろ」
◇
夕刻、軍議が開かれた。
地図卓の上には、黒い糸で二重の防衛ラインが張られている。
「黒鷹線は二重に。第一は外郭の哨戒網、第二が野戦陣地。城壁は、最後の第三防衛線とします」
アルフレッドが、冷静に戦術を説明する。
「動員可能な兵力は、十人隊が十二。予備兵力は四隊」
「“静謡幕”を常時薄く張っておく。聖歌の効果を鈍らせる薄い結界だ」
セラフィーナが、珍しく不機嫌そうに言う。
「影路は二本、偽路は一つ。餌は用意した。斥候は、鈴の音で連動させる」
カイルの言葉に、俺は頷いた。
「そして、たとえ勝ったとしても、言葉が要りますわ」
リシアが、全員の顔を見渡す。
「“防衛の成功・放火未遂の阻止・取引の継続”。この三つの事実を、昼までには布告できるよう準備しておきます」
◇
交易都市連合の使者との条約は、その日のうちに締結された。
「護送の範囲は、どこまでですかな?」
「“護証(庇護証)”を提示した商隊に限り、この城内での宿泊は無料といたします。禁制遵守と引き換えに、税は軽く」
「道は約束で守る。掠め取る者が出れば、その道は閉ざす」
俺の言葉に、使者は深く頭を下げた。
「災厄ではない……秩序、ですな」
続いて、小侯国の使者が再び訪れる。
「庇護を……! ですが、財が……」
「払えるもので、払いなさい」
リシアは、三つの選択肢を提示した。
「通行税の一部か、兵を出すか、あるいは、この城壁を築くための労役か」
「労役が、最も双方のためになるでしょう。あなた方の民が、自らの手で自国を守るための壁を築く技術を覚えることになる」
「庇護は取引だ。払わぬ庇護は、長くは続かん」
使者は、何度も頷き、慌ただしく帰っていった。
◇
その直後だった。
監視用の鈴が、立て続けにけたたましく鳴り響いた。
倉庫群の裏手で、赤い火花が散っている。
「火壺だ!」
見張りの声に、俺は即座に命じた。
「倉の火を切れ。延焼線を断て。包囲で潰す」
セラフィーナの放った蒼炎が、倉庫と倉庫の間に“燃えない壁”を連続で作り出し、延焼線を完全に遮断する。
カイルは、火を放とうとしていた小隊の背後に回り、“赦免状”を掲げていた僧兵から先に、その喉を掻き切った。
「逃がすな! 正面から潰せ!」
アルフレッドの号令一下、十人隊が楔のように突撃し、抵抗する者はその場で斬り伏せられていく。
ほんの数呼吸で、辺りは静寂に包まれた。
◇
カイルが、奪い取った赦免状と審問印の写しを机に置く。
リシアは、それを見て即座に指示を出した。
「昼の布告は、“放火隊殲滅・商市継続・庇護運用”と変更しますわ」
書記が、慌ただしく走り出す。
広場では、何事もなかったかのように露店が再開し、物の値段も上がってはいない。
「恐怖で止めるな。商いを動かせ」
俺の言葉に、アルフレッドが頷いた。
◇
その日の夕刻。
北の村から、一人の男が髪を煤で汚し、半狂乱の状態で駆け込んできた。
「聖歌と、鐘の音が聞こえたと思ったら、火のついた矢が……家も、畑も……!」
その言葉に、セラフィーナの顔から、全ての表情が消えた。
彼女の声は、凍てつくように低い。
「……灰に、還す」
「掃討線を、前倒しにする」
アルフレッドの言葉に、俺は首を振った。
「いや、違う。――明朝、救援線を出す。遅れは許さん」
◇
その夜。
城外に打ち付けられていた宣告状の杭に、新たな布告が重ねて打ち付けられているのを、カイルが発見した。
赤い蝋で、厳重に封がされている。遠征監査官の署名入り。
本物の、聖戦布告だ。
「……本隊が、来る」
執務室に戻ったカイルの報告に、リシアが布告を読み上げる。
「“災厄の庇護下に入る全ての者は、異端者と見なす。よって、浄化の火を以て、その魂を救済することを、ここに布告する”」
「規定どおり夜は閉門だ。全隊、防衛配置」
俺は、低く、短く命じた。
「正面で迎え撃つ。――焼けば殺す」
蒼灯が帯になって城壁を走る。
配置完了。迎撃に移る。