第6話「聖旗来襲」
暁の闇を破り、鋭い警鐘が二度、村に鳴り響いた。
門上の見張りが、遠くの丘に連なる灯りの列を視認したのだ。
「遠灯、列を成して接近! 十字輪の旗、そして香煙……微かに、聖歌が聞こえます!」
その報告に、城壁を走る蒼灯が帯のように繋がり、警戒の色を強める。
アルフレッドの怒声が、眠気を吹き飛ばした。
「全隊起床! 列は十人隊で組め! 矢は、俺の合図があるまで放つな!」
リシアは書記へ冷静に指示を出す。
「布告の準備を。“防衛”の語を前に。恐怖を煽る言葉は禁止ですわ」
「歌、ね……」
セラフィーナが眠たげな声で呟き、その瞳が一瞬で冷たく光る。
「黙らせる準備は、もうできてる」
俺は、東の空を見据えた。ゆっくりと白み始めている。
「正面で迎え撃つ。非戦闘民は守れ。刃を向けた者だけ討て」
◇
夜が完全に明ける前、先行していたカイルが音もなく帰投した。
その報告は、常に簡潔で正確だ。
「旗は三。槍歩兵およそ五百、僧兵が百五十、鋤や鍬を手にした農兵が二百、軽騎兵が百。後方に、祈祷台を載せた戦車を確認。破魔の槍が十五、聖油の火壺を多数携帯」
「聖油は、延焼を促進させるためのものですわね」
リシアの言葉に、セラフィーナが頷く。
「燃やされる前に、“灰”に還してあげる」
「布陣は三列の薄壁」
アルフレッドが、広げられた地図を指し示す。
「正面で受け止め、半歩ずつ押し引きを繰り返す。敵の歌台の前に“道”を作り、そこから心臓を刺す」
「鐘の索を断てば、歌は乱れます。旗は、折るより“奪う”方が後々使えますな」
カイルの提案に、俺は頷いた。
「降伏受理の通達文は、わたくしが用意しておきます。ただし、武器を捨てた者のみを対象といたしましょう」
「交戦規定を聞け」
俺は、全員に最終確認を促した。
「審問官と僧兵、放火隊は殲滅。投降は、武器を捨てた者のみとする」
◇
やがて、敵の軍勢が村の前に布陣を終え、一人の宣告官が赤い封蝋を掲げて馬を進めてきた。
「“災厄の庇護”は異端である! 汝らに、聖なる浄化の火を適用する!」
その高圧的な物言いに、城壁の上のリシアが、穏やかな笑みで応じた。
「ここは庇護の地。祈りは自由ですが、火を灯すことは禁じておりますわ」
宣告官は、その言葉を鼻で笑うと、持っていた布告を地面に立てた杭に乱暴に打ち付け、無言で去っていった。
俺は、門の外へ展開する自軍に、背中だけで合図を送った。
「――外で、終わらせる」
◇
土塁と木柵の外側に、俺たちの全兵力が展開する。
といっても、村人と難民で構成された、付け焼き刃の軍隊だ。十人隊が三列。二列目に弓兵、三列目は予備兵力。数では、圧倒的に不利だった。
「列は壁だ。壁は動かない。いいか、絶対に足を乱すな」
アルフレッドの声が、兵たちの恐怖を規律で縛り付けていく。
「聖油、ここで死になさい」
セラフィーナが杖の先で地面に触れると、地表に蒼い魔力の薄膜が走り、敵が撒くであろう聖油が触れた瞬間に不活性化して白灰へと変わる準備が整った。
「頭だけ折る。――始めるぞ」
◇
敵の角笛が、甲高く鳴り響いた。
槍歩兵が前進し、僧兵たちが構える破魔の槍の穂先が、俺たちの張った結界を突き、甲高い音を立てて軋ませる。
「半歩だけ退け! 敵との間合いを殺せ!」
アルフレッドの号令が飛ぶ。
二列目の弓兵から、頼りないながらも矢の雨が放たれた。
敵の前列が僅かに怯んだ、その瞬間。
「黒槍、道を穿て」
俺は、地面を強く踏みしめた。
黒槍の列が、足元の地面から噴出し、敵陣を縦に引き裂く。兵士たちが悲鳴を上げて倒れ、分厚かったはずの隊列が、あっけなく割れた。
側面から、敵の軽騎兵が回り込もうとする。
「側面、通すな。蒼炎で切れ」
俺の合図に、セラフィーナが応じる。
蒼炎の帯が地を横へ走り、馬と騎手だけを正確に包み込み、一息で焼き落とす。延焼は一切広がらず、炭化した影だけが地面に沈んだ。
敵の足が、止まる。
そして、後方の歌台の前に、一瞬の空白が生まれた。
◇
「鐘索、視認。落とす」
影から躍り出たカイルが、祈祷台で打ち鳴らされていた鐘の索を、一閃のもとに断ち切った。
戦場に響き渡っていた不気味な聖歌が途切れ、敵陣の気勢が明らかに崩れる。
「宣告台を落とす。頭を折る」
俺の言葉に応じ、黒槍が歌台の車輪と床板を同時に貫いた。祈祷台はバランスを失い、轟音を立てて横転する。中にいた僧たちが、無様に地面に投げ出された。
「き、貴様ぁぁぁ!」
敵の指揮官である騎士長が、怒号を上げて俺に突進してくる。
俺は一歩でその間合いを潰すと、金眼を閃かせた。
閃光と共に、騎士長の兜の継ぎ目に刃が吸い込まれ、一息でその首を刎ね飛ばす。
兜が、ごとりと地に転がった。
「旗、落ちた! ――今だ! 前へ一歩、押せ!」
アルフレッドの檄が飛んだ。
◇
「殉教を! 聖なる火を!」
指揮官を失った僧兵たちが、狂気に駆られて突撃してくる。
セラフィーナは、彼らの周囲に円環状の蒼炎の壁を立て、逃げ場を完全に塞いだ。
「灰に還れ」
円環の内側で、僧兵たちが次々と崩れ落ちていく。
その凄惨な光景とは裏腹に、炎は外周の畑にも森にも、一切燃え移ることはなかった。
「武器を捨てて伏せろ。再武装はその場で討つ」
俺は、全軍に聞こえるように宣言した。
「武器を捨てた者は、その場で伏せろ! 動けば射るぞ!」
アルフレッドの声が、戦場に響き渡る。
数十の兵がその場に槍を捨てて伏せ、抵抗を続けた僅かな小隊は、俺が放った黒槍の雨に沈んだ。
◇
「武器を全て集めろ。十人ごとに整列させろ。戦死者は、敵味方の区別なく記録を分けろ」
アルフレッドが、戦後の処理を淡々と進めていく。
セラフィーナは、火傷を負った兵士に冷却の魔術を施していた。生かす価値がないと判断した僧兵には、確認の上で静かに止めを刺していく。
カイルは、敵の死体から審問印や赦免状の束、そして火壺の目録を回収していた。
「印と公文書、押さえました。見せるための“写し”も作っておきます」
「見出しは“聖旗来襲、撃退”と」
リシアが、書記に命じる。
「歌台の破壊、指揮官の首級、僧兵の殲滅、そして放火未遂の無力化。ただ事実を並べるだけで、結構ですわ」
俺は、地面に伏せた投降者たちを一瞥した。
「立て。武器は没収し、身柄は労役へ回す。もし、再び武装することがあれば、その場で斬る」
◇
その時、斥候が血相を変えて報告に来た。
「北の小道より、火壺を抱えた一隊が退却中との報せ!」
「放火隊を追え。皆殺しだ」
俺は、即座に命じた。
カイルを先導に、アルフレッドが率いる十人隊が二つ、敵の退路を塞ぐ。
セラフィーナの蒼炎の輪が、逃げる僧兵たちを外側から焼き絞っていった。
俺は、断罪の楔で小道を断ち切り、分断された小隊を順に斬り捨てていく。
短い悲鳴の後、森に静けさが戻った。
「火壺、全て没収完了。印も確認済みです」
「……戻る」
◇
城門前には、戦果を記した布告板が、既に打ち付けられていた。
リシアが、集まった民衆の前で、その内容を静かに読み上げる。
「“聖旗来襲、これを撃退。指揮官は首級を挙げ、僧兵は壊滅。放火隊は、全員を殲滅。非戦闘民の被害、一切なし。庇護下における通商は、これを継続する”」
「夜警は、今夜から二重とする。鐘三打は、非常時だ」
アルフレッドが、兵たちに新たな規律を告げる。
「歌が消えると、静かでいいね」
セラフィーナが、杖を肩に担いで夜空を見上げた。
カイルが、遠眼鏡を畳む。
「……遠方に、新たな旗影。先遣隊は、まだ来るようです」
俺は、短く応えた。
「門は開けたまま。通商は通せ」
その言葉に応えるかのように、城壁の蒼灯が一斉に、その輝きを増した。
夜の帳が、静かに降りる。