第2話「最初の拠点確保」
夜が明け、薄い靄が立ち込める村は、静かな絶望に満ちていた。
家々の壁には獣の爪痕が生々しく残り、乾いた血の跡が昨夜の惨劇を物語っている。村の外れでは、亡くなった者たちを弔うための穴が、静かに掘られていた。
村人たちの顔には深い疲労が刻まれている。だが、その瞳には諦めだけではない、確かな光が宿り始めていた。
彼らの視線は、村の中心で防衛の指揮を執る俺たち五人に注がれている。それは恐怖と、そして僅かな信頼と期待が混じり合った、複雑な色をしていた。
「あ、あの……!」
村長が、震える足でおずおずと俺の前に進み出た。
彼は深く、深く頭を下げる。
「昨夜は、誠にありがとうございました。……つきましては、どうか、もう一度だけ……我らにお力をお貸しいただけないでしょうか」
その声は、懇願に満ちていた。
俺は燃え残った家屋の梁を見つめながら、淡々と告げる。
「言ったはずだ。落ち着くまでの間だけだと」
「は、はい!もちろんです!ですが……!」
「この村を、一時的に拠点として利用させてもらう。だが、長居はしない。いいな?」
あくまで暫定的な措置。
俺たちは守護者でも救世主でもない。ただ、この未知の世界で次の一手を打つための足場を確保するだけだ。
村長は、その言葉に何度も何度も頷いた。
「はい!ありがとうございます……!」
(……また、同じか)
民に請われ、その地を守る。
前世で繰り返した光景が、脳裏を過ぎった。
◇
俺は感傷を振り払うように、即座に指示を飛ばした。
感傷に浸っている暇などない。次の襲撃は、いつ来るとも知れんのだ。
「アルフレッド」
「はっ」
「村の男衆を集めろ。戦える者、戦えずとも動ける者、全てだ」
「承知いたしました」
アルフレッドは村の広場に男たちを整列させると、その低い声で静かに、だが有無を言わせぬ力強さで命じた。
「これより、貴様らには武器を配る。槍を握れ。震えていても構わん。ただの棒きれよりは、マシなはずだ」
納屋から運び出された農具や、先の折れた槍が、男たちの手に渡されていく。その誰もが不安そうな顔をしていたが、アルフレッドという絶対的な指揮官の存在が、彼らに僅かな秩序を与えていた。
「老人と子供は弓を持て。矢を放てずとも、見張り台から敵の姿を知らせることはできるはずだ。交代で見張りを立てる。いいな!」
有無を言わせぬ命令。
村人たちは戸惑いながらも、その指示に従い始めた。
「セラフィーナ」
「はーい、レオン」
「村の周囲に結界を張れ。簡易的なものでいい。時間稼ぎができれば十分だ」
「任せて! ちょっとだけ魔力、借りるね」
セラフィーナは楽しそうに杖をくるりと回すと、地面に光の線を描き始めた。
彼女の足元から伸びる蒼い魔力の線が、村全体を囲むように広がっていく。やがて、淡い光の壁が立ち上がり、村全体を包み込んだ。
「ふぅ、こんなもんかな。あんまり強くないから、三回くらい突撃されたら壊れちゃうかも」
「三度もあれば十分だ。その間に、勝負は決まっている」
「だよね!」
俺の言葉に、セラフィーナは満足そうに笑った。
「リシア」
「はい、将軍」
「物資の確認を。食料、水、薬、全てだ。残量を把握し、配分を決めろ」
「承知いたしましたわ。飢えは、いかなる軍隊よりも先に士気を砕きますから」
リシアはすぐに村の女たちを集め、各家庭に残された食料や井戸水の量を確認させ始めた。
彼女の穏やかで理路整然とした指示は、パニックに陥っていた女子供に落ち着きを取り戻させていく。
「カイル」
「……ここに」
いつの間にか、俺の影からカイルが姿を現していた。
「村の内部を監視しろ。不穏分子は、芽のうちに摘み取れ」
「承知」
カイルは一言だけ応えると、再び影の中へと溶けるように消えた。
彼の仕事は、決して表には出ない。だが、組織の秩序を内側から守るためには、彼の存在が不可欠だ。
事実、カイルが動いた直後、村の路地裏で小さな騒ぎが起きた。
「今のうちに逃げ出すべきだ!」と他の者を扇動していた男や、火事場泥棒のように他人の家から食料を盗み出そうとしていた男が、音もなく地面に昏倒していたのだ。
カイルの仕業だと気づいた村人たちは、背筋を凍らせながらも、この新たな支配者たちに逆らえばどうなるかを即座に理解した。
恐怖による規律。それもまた、秩序の一つの形だった。
◇
昼過ぎ、最初の襲撃があった。
森の奥から現れたのは、狼に似た俊敏な魔獣。その数、十体ほど。
昨夜のオークの群れに比べれば、取るに足らない戦力だ。
魔獣の群れが、セラフィーナの張った結界に牙を剥いて突進する。
ガギンッ!
鈍い音と共に、光の壁が大きく揺れた。
村人たちから、悲鳴が上がる。
「うろたえるな! 槍を構えろ!」
アルフレッドの怒声が飛ぶ。
男たちは震える手で、それでも必死に槍を結界に向けて突き出した。
二度目の突撃。結界に、蜘蛛の巣のような亀裂が走る。
三度目。甲高い音を立てて、光の壁が砕け散った。
「うわああああ!」
結界を突破した魔獣が、村人たちめがけて殺到する。
恐怖に駆られた男たちが、後ずさろうとした。
その時、俺は一歩だけ前に出た。だが、剣は抜かない。
村人たちを真っ直ぐに見据え、静かに、だが村中に響き渡る声で言った。
「この程度の敵に、俺が出る必要はない。――お前たちで、仕留めろ」
「!」
村人たちの顔に、絶望の色が浮かぶ。
だが、アルフレッドの冷徹な声が、彼らの退路を断った。
「退くな! 将軍の御前であるぞ! 槍を突き出せ! ただ、前に突き出すことだけを考えろ!」
恐怖と命令の板挟みになった男が、やけくそになったように槍を突き出した。
その穂先が、偶然にも飛びかかってきた魔獣の喉を貫く。
「……あ」
魔獣を、倒した。
自分たちの力で。
その光景が、村人たちの心に小さな火を灯した。
「や、やった……!」
「俺たちでも、やれるのか……!?」
「火球、援護!」
セラフィーナの放った小さな火の玉が、別の魔獣の足を焼く。
「石を! 石を投げつけなさい!」
リシアの指示で、女子供たちが物資運搬用の石を投げつける。
アルフレッドの的確な指揮が、素人同然の村人たちを一つの軍隊のように機能させていく。
槍衾に阻まれ、火球に動きを封じられ、投石に気を取られた魔獣たちは、徐々にその数を減らしていった。
そして、最後の魔獣が村人の槍に貫かれて絶命した時。
一瞬の静寂の後、村中に歓声が響き渡った。
それは、恐怖に打ち勝った者たちだけが上げることのできる、勝利の雄叫びだった。
◇
「俺たちでも……魔物を倒せるのか……?」
「ああ……あの方々の指揮があれば……!」
戦闘の後、村人たちの顔つきは明らかに変わっていた。
昨夜までの、ただ助けを待つだけの被害者の顔ではない。自らの手で勝利を掴み取った、戦士の顔つきだ。
(人は、勝利の味を知れば変わる。良くも、悪もな)
俺は、その光景を冷静に観察していた。
「将軍様……!」
村長が、涙ながらに俺の前に駆け寄ってきた。
「どうか……どうか、もう少しだけ……この村に、いてはいただけないでしょうか。この村が、完全に安定するまでで結構ですので……!」
最初の懇願とは、明らかに違う。
そこには、俺たちへの絶対的な信頼と、依存があった。
「……この地が、安定するまでだ」
俺は短く、そう答えるしかなかった。
その言葉に、アルフレッドは静かに頷き、セラフィーナは「やったね!」と無邪気に笑い、リシアは「それがよろしいですわ」と微笑んだ。
カイルは、ただ黙って俺の影の中に控えている。
こうして、俺たちの最初の拠点は、徐々にその形を整え始めていた。
俺の意思とは、関係なく。
◇
その夜、俺はアルフレッドと二人、急ごしらえの見張り台に立っていた。
眼下では、村人たちが焚き火を囲み、ささやかな勝利を祝っている。
その光景は、まるで本当の平穏が訪れたかのようだった。
「……あの民は、すぐにあなたを王と仰ぐでしょうな」
アルフレッドが、静かに呟いた。
「王になるつもりはない。言ったはずだ。ここは、一時的な拠点にすぎん」
「ええ。ですが」
アルフレッドは、苦笑を浮かべた。
「歴史とは、いつだってそうやって、個人の意思とは関係なく形作られていくものです」
見張り台の松明が、夜風に揺れる。
その炎が、まるでこの村に灯った、新たな希望の光のように見えた。
(また、この椅子か……)
前世で背負ったはずのその重圧が、やけに生々しく俺の肩にのしかかってくるような気がした。