蕎麦、血。
※残酷描写が入ります。
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男が目を覚ますと、己が地面へ転がっている事に気がついた。
建物の中ではあるらしく、木で出来た梁と天井がみえる。
ここはどこだと思考を巡らそうとした男だったが、集中力は一寸も持たなかった。
全身が痒い。痛い。熱い。
何かが身体の中を這いずる様な感覚、息をするのもやっとだった。
特に喉奥の違和感が酷く、男は掻きむしろうと己の首に爪を立てる。
「起きた?」
男が起きた気配を感じ取り声をかけたのは、先程まで天ぷらを揚げていた店主だった。
店主は頭に巻いていた手ぬぐいをとり、女受けの良さそうな相貌が良く見えた。
何故己はこんな目に遭っているのだろうか。
全く見当がつかない男は「みず、みずを……」と欲しいものを懇願する。
男の前に竹筒が転がった。
店主からではなく、店主の隣に影のように張り付く女が転がしたようだ。
男は上半身を起こし、震える手で竹筒を拾う。
震える手で栓を開け竹筒を傾けると、水が出てきた。男は口の端から零しながら水をごくりごくりと飲む。
「落ち着いた? んじゃ丁ちゃん、乙ちゃんとよーく話そうか」
男が水を飲んでいる様子を、胡座をかいて座り頬杖をつき眺めていた店主。
店主、いや乙に「丁」と呼ばれた男の頭に血が上る。
こいつら、蝶の里の奴らか!
男、丁は隠密集団【蝶】の里から追放された身だった。
男は修行の果てに丁という名を貰ったが、大変気に食わなかった。
理由は里で一番強い者が継ぐ甲の名を、己と同じ顔の弟が受け取ったから。
先に産まれたのは己だというのに、何故お前が甲を名乗れる?
腹が立った丁は甲に戦いを挑み、負けた。
ただそれだけなのに、里に混乱を招くとして追い出された。
逃げた丁の新たな主となった殿様は、髪を散切りにし、洋装を身にまとい、馬に跨り走り回るような人だった。
独特で人ではあったが、新しいものを受けいれ順応しようとする殿様の側仕えだ。不便も不満はあれど、目まぐるしくも平和な日々を丁は過ごしていた。
心火は燻り続けていた。
そんな火に気づいた殿様が言ったのだ。
『今のお前なら、甲になれるんじゃないか?』
『いいのか? 弟に全て奪われたままでも』
消そうともがいた火は煽られて、業火となった。
長年蝶の長を勤めている甲を、正攻法で殺すことは困難だった。
ならばと「己も歳を老い反省した。最後は兄弟仲良く在りたい」等と言って甲を江戸へと誘導した。
これっきりだからと、油断させて自ら作った飯を、天ぷらを振る舞った。
甲は丁が作った天ぷらを平らげた後、倒れたのだ。
『丁が食えぬものは、甲も食えぬだろうよ』
殿様が言った通りだった! と丁は喜んだ。
丁は己が食えぬ蕎麦の粉を、天ぷらの衣に纏わせたのだ。
ちょっとだけ触る、食うだけなら問題はなくとも、積み重ねればソレは毒となる。
蕎麦粉に気づきもしない甲は、丁が揚げたものを全て食べきり「美味かった」と微笑む。
丁は逸る気持ちを抑え、症状が現れるのを今か今かと待った。
だんだんと甲の顔や首筋へ現れ始めた赤い斑点に、丁の頬が緩んでいく。とうとう甲は胃の中に収めたものを全て吐き出した。
口元を汚しながら「おまえ、何を食わせた……?」と丁に問う弱々しい甲の姿に、大変興奮した。
異様な強さを誇る甲が、己の前で弱っていく。
こんな、こんなにも簡単だったのか!
丁は歯茎を剥き出しにして、笑った。
甲の意識がない時に殺すのは勿体ないと、丁は甲が起きるまで待つことにした。
起きたあと動かれても困るからと、丁は悩んだ末に足の腱を斬ったら甲は痛みで意識を取り戻した。
呼吸がままならず上手く動けもしない甲を、丁は滅多斬りにした。
楽しかった。
なのに、斬られているというのに、血も沢山出ているというのに。甲は叫ぶこともなく、泣きもしない。
それが、あまりにも、つまらなくて。
満身創痍ながらも息のある甲に、丁は天ぷらを揚げた後の油をかけて火をつけた。
燃え盛る炎を纏っても、甲は声を出さなかった。やっぱり面白くなかった。
丁は「じゃあな、弟よ」と甲に別れを告げ、外へと出てその場を離れた。
轟々と燃える建物を遠くで眺めた丁は、上唇を異様に上げ桃色の歯茎を見せつけるように、気味の悪い笑みを浮かべた。
丁は乙を見る。能面のような表情は、感情が読み取りにくい。殺気だけは隠す気も無いのか、丁に向けられていた。
天ぷら屋に扮していた乙は、甲の部下だったようだ。
己がやった事は、全て返ってくるのかと丁は怒りを覚えた。
己は本来持つべき名を取り戻しただけなのに。
昂る感情が発散出来ず、丁は顔を歪める。癇癪を起こし力を振り絞って暴れようとする丁だったが、控えていた女に身体を押さえつけられた。
乙は懐から紙を一枚取り出し、書かれた文字を淡々と読み上げる。
「アレルギー……っていってもわかんないか。えっと、甲先生は蕎麦に対して過敏症、過剰な免疫反応があった。症状は酷いと呼吸困難、意識障害。隠密だからこそ耐性はつけていたから、粉を吸ったりちょっと食べるだけなら問題はない。けど食わないに越したことはない」
甲先生は蕎麦を食いたくない、うどんの方がいい。と言ってたからね。と乙が言うと、丁を押さえつけている女も頷く。
「ずっと考えてたんだよね。お前のような弱っちいクソ野郎が、歳を取っても無駄に元気で、私も丙さんも勝てない強い先生を。どうやって殺したのか」
乙は手に持っていた紙を折り畳み、視線を丁へと向ける。
「甲先生の母親は毒によって死んだ、と里の記録に残っていた。実際は蕎麦湯を飲んで突然死んだようだけど。アレルギーが発症するかどうかなんて環境次第だから一概には言えないけどさ、甲先生のご家族は揃って蕎麦アレルギーのようだね」
乙は紙を懐にしまう。
「アレルギー持ちの人に原因となる物を食べさせるのは、御法度なんだよね。自分も蕎麦が食えないんだからさ、それくらいわかってるでしょ?」
乙は丁に問いかけると、丁は視線を泳がせる。
「なぜ甲先生を殺したのか聞いても?」
「い、言えば解放してくれるのか?」
「どうしようねぇ?」
丁の身体を押さえつけていた女に指示を出す。
女は手を放し、押さえつけられていた身体が自由になった丁は赤い斑点が目立つ顔を歪め、ガラガラとした嗄れ声で叫んだ。
「甲は、アイツはオレの居場所を奪ったんだ。アイツさえいなければ俺が一番、俺は蝶の長になれた!」
乙は溜息を大きく吐き出し、立ち上がる。
目立つ赤い鞘から刀を抜き、丁に向かって刀を振り下ろす。
ザクという音がしたのち、ボトリと丁の右肩から下の腕が落ちた。
斬られた瞬間は特に何事もなく、丁は何をされたのか理解出来ておらず無反応だった。
だが地面に落ちた腕を見て気づいてしまった。
丁の絶叫がこだまする。
声が癇に障ったのか、乙は丁の顔を刀の柄で殴った。丁は鼻血を出して地面へと沈む。
「聞いて損した」
「いたいいたいっ、ど、どうしてだよ、真っ当な理由だろ、お、俺ははアイツを殺したんだからな! 俺の方が強いんだ……!」
ブツブツと自分に言い聞かせるようにいう丁は、不気味だった。
「お、おれは本当の甲なんだ! お前は乙なんだろ?! 俺に従えよ、おれに、俺に!」
「癸、黙らせて」
「わかった」
女、癸は丁の顔を掴み、再び地面へと叩きつけた。衝撃で歯が何本か折れたのだろう、前歯が地面に転がる。
「痛い、痛い」と狂ったように呟く丁の口を、無理矢理上へ向かせた。癸は歯抜けの口内に粉を入れる。
乙や癸にとっては毒ではない、普通の蕎麦粉だ。
噎せる丁に対して二人が気を使うことはなく。癸は粉を吐き出さないよう手ぬぐいを口の中へ突っ込んだ後、丁から離れた。
支えがなくなった丁はその場に座り込む。
「ん、出来た」
満足気に言う癸。乙は「ありがとう癸」と伝えて、持っていた刀を握り直す。
「さぁ、両手両足を斬ってやるからな。動くんじゃねぇぞ」
刀を構え動くなという乙。
丁は乙が何を言っているのか理解できなかった。
己は甲の腕を切り落とすなんてしていない。
全身に傷をつけはしたが、足を切り落とすなんてしていない!
三度、刀は振り下ろされた。
左腕が落ちる。右足が落ちる。左足も落ちた。
泣き叫ぶ断末魔を、上げることは叶わず。
刀身についた鮮血を懐紙で拭った乙は懐紙をぐしゃりと握り潰し、投げ捨てる。
乙はいつもより時間をかけて、斬ろうと思えばもっと斬れるのだと丁に思わせるように、刀を赤い鞘へと戻した。
丁は癸の手によって申し訳程度の止血が施され、口の中に突っ込まれていた手ぬぐいが外された。
痛い、痛い、痛い。丁は叫びたいのに喉も痛い。苦しい。声も出ない。
腕と足を切られた痛みで息が出来ないのか、蕎麦粉のせい喉が焼かれたのか、丁にはもう分からなかった。
殺してくれ、頼むから殺してくれ。
涙と鼻水で汚れた顔面を気にする余裕は、丁にはなかった。
殺してくれ。丁の願い事に気づいた乙は、ふわりと微笑んだ。
その笑顔はとても美しく、とても冷たかった。
「苦しめクソ野郎」
次で幕末篇終わりになります~わー!書けた!
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