天ぷら、蕎麦。
夜、人々が寝静まっている丑三つ時。
仕事を終えて自分の寝床へと帰路に着いていた男は、視線の先に淡く光る提灯をみつける。
天麩羅と書かれた提灯の文字に、夕餉に握り飯を一つ食べただけの男の腹が「ぐー」と鳴く。
腹を空かせたまま寝るのもな。と考えた男は、天麩羅とかかれた屋台を覗き込んだ。
「やってるかい?」
男が声をかけると頭に手ぬぐいを被った店主がひとり、鍋の中へ串に刺さった何かを沈めていた。ジュワリと油のはねる音がする。他に客は居ないようだ。
「いらっしゃい」
「何がおすすめだ?」
季節が変わり暖かくなっては来たが、今だ寒い風が体に吹き付けてくる。
出来れば揚げたてを食べたいと思いつつ、男は店主に聞いた。
「この時期だど菜っ葉と芋だな、鱈を揚げたやつもんめぇぞ」
「じゃそれと、酒はないよな?」
「あー......しかだね、オレの燗をわげでやっが」
店主の足元には火鉢があった。
火鉢の上には鉄鍋が置いてあり、中には湯が張られている。その湯で店主用の猪口と燗徳利を温めていたらしい。
店主は温かい猪口と燗徳利を男の前にある台の上へ置いた。
「自分でついでけろな」
奥羽訛りが強い店主に男は違和感を覚えたが、酒を分けてくれると言われ違和感はどこかへ消える。
男は急ぎ猪口に酒を注ぎ、口へと運んだ。
キュッと口をすぼめた後、酒を嚥下した男は「あったけぇ」と呟いた。
「あんちゃんは仕事帰りが?」
「あぁ、やっと帰っていいと言われてな」
「こんな時間まで大変だなぁ、天ぷらだけじゃ足りねぇべ。うちは蕎麦もあっからな」
「あーいや、俺は蕎麦を食えなくてな。気持ちだけ貰っとく」
「んだかー」と少し残念そうな店主の声。
男は申し訳なさを感じたが、食えないものを食えると言えない性分だったので「すまんね」と謝るしか無かった。
「んだば天ぷらを腹一杯けぇ、芋の天ぷらは腹に溜まるからおすすめだぁ」
「ほれ、けぇ」と店主は男の前に置いた皿の上に、揚げたての天ぷらをおく。
俵型の天ぷらは黄色味を帯びた薄い衣を纏っていた。男が江戸で食べた天ぷらよりも美味そうな見た目をしていて、男は色めき立つ。
唾を飲み込んだ男は、箸を手に取り天ぷらを持ち上げた。
先ずはこのまま食べようとしたが「塩で食うと美味いんだ」と店主に塩がのった小皿を渡されて、男は天ぷらに塩をちょんとつけてから口へ運んだ。
噛むと、ザクっと良い音。
そのあと馬鈴薯のような芋がホクリと口の中で崩れる。歯型が付いた断面をみると、刻んだ芋のようだった。
芋の天ぷらは食ったことがなかったが、かなり美味い。これならつゆより塩で食うのもわかるが、なにをつけても美味しく食べられるだろう。
店主は芋の天ぷらを三つほど男の前に置いたあと、別のものを揚げ始めた。
男は芋の天ぷらを全てペロリとたいらげて、口に残った油を酒で腹に流し込む。
こりゃ次の天ぷらも期待できるな。
菜っ葉というと、菜の花か?
当たりの店だったからちゃんと店を覚えておかねば。
そんな事をつらつら考えていると、男は喉に違和感を覚え咳をする。
喉奥の痒みだけではない、口の周りが熱を持ち腫れる感覚。
上手く呼吸が出来ず息苦しくなりはじめた。ぜぃぜぃと呼吸する度に音がする。
身に覚えのある症状に「食ってないはずなのに、どうして」と心の内で叫んだ。芋は問題ないはずで、天ぷらも今まで食べても問題はなかった。
店主は蕎麦もあると言っていた、そのせいか?
少しくらい、粉がちょっとつく程度なら問題はないはずなのに。
男は立っていられなくなり、地面へ倒れる。
倒れた拍子にぶつかったのだろう、木の皿が落ちて割れた音と箸が落ちる音がした。
男は店主に迷惑を掛けてしまうと思いつつ意識を手放す。
突然苦しみ出す客に店主は慌てる素振りはない。
動くことはなく、ただジッと客を見つめていた。
※他人が食べられないものを勧めるのはやめましょう。
下の☆をポチポチして頂けると、やる気の燃料になります!




