味噌、山鯨。
グツグツと音。
味噌と甘くてしょっぱい匂い。
火鉢の上に乗せられた鉄製の鍋の中には既に里芋が入っていてコロコロと踊っている。
勝は白と赤の鮮やかな色合いの薄切り肉を箸で持ち上げ、意を決して鍋の中にしずめた。
「次! 深山君、葱と蒟蒻を!」
「勝先生、これってなんの儀式です?」
「山鯨鍋のお儀式様だよ! 江戸っ子はみんなやってる!」
「江戸っ子への風評被害」
「あぁッ、深山君もっと優しく入れてッ!」
鍋の中へ葱と蒟蒻を入れる深山だが勢いが良すぎたらしく勝の悲鳴が上がった。
美味しい匂いに深山の腹が鳴る。
勝は「まだよ」と深山を制す。
鍋奉行勝海舟に「これ豆腐入れたら美味いんじゃ?」と深山はボソリ呟くと「その手があったか?!」と勢いよく立あがり「まだ! まだ駄目だからね! 僕が来るまで待って!」と叫び部屋から転げるように飛び出して行った。
元気なおじさんの背を見送った深山は長く息を吐き出す。
深山の隣に黒い影がひとつ落ちた。
「癸か、どしたの」
「若様に気づかれた、一旦戻って」
「わかった。癸と壬に見てきて欲しい場所と、探して欲しい人がいるんだけど」
「ん、承る」
深山は小さな紙を癸に渡す。
癸は中身を確認し頷いたのち「きのこも入れると美味しい」と呟き姿を消した。
「きのこ、椎茸? いや江戸時代の椎茸って高級品だからマツタケ?」
深山は鍋の中で焦げそうになっている里芋を転がすと、息を切らした勝が豆腐を手に戻ってきた。
「あ、勝先生。きのこも入れると美味いと思うんですけど」
「ま、まとめて言ってよぉ! とりあえず1回食べてからぁ!」
先に入れていた肉とクタクタになった葱を自分と深山の椀に取り分けた勝は「頂きます!」と手を合わせる。
深山も習って手を合わせた後、山鯨の肉を一口食べた。
豚肉に近い味だがくどくなく、ちょっと煮すぎたかもと思っていた身はやわらかく美味しい。
「んまいなぁ、やっぱり山鯨は秋から冬が旬だな。木の実を食って肥えるから脂も美味い」
「へぇ、山鯨ってこんなに美味いんですね、前に食ったのは臭かった記憶があったもんで……」
「ふっふっふ、この山鯨はね知り合いの猟師にお願いして取ってきてもらった、特に美味しい季節物! 今年は食べることが出来て良かった、深山君のお陰だよ」
江戸にある勝の邸宅で山鯨鍋をつつく二人は、先程京から江戸までの旅を終えたばかりだ。
敵が多い勝はいつも背後の心配をしていたものだったが、深山の護衛のお陰で毎夜よく眠れたし、気が利いて余計な考えを巡らせたりもしなくて済んだ。
深山は学もあるようで難しい話が出来て、勝は大変満足していた。
深山は隠密にするには勿体ない、使い捨てるには惜しい人物。
モグモグとゆっくり咀嚼する深山は肉が美味いのか頬をゆるませている。
勝は鍋の中に豆腐を足し、残っていた葱も入れる。
「甲君は、まだ見つからない感じ?」
「んですね。勝先生のお陰で京から江戸までは追えたので、江戸から何処へ向かったのか探してみます」
「美味しいもの巡りをするって言ってたから、途中で甲君に追いつくと思ったんだけどなぁ」
「あの人も一応隠密の頭領なので、花畑で蝶々を探すようなもんですよ」
「見ていたはずなのに、見失っちゃう感じ?」
「そんな感じです」
肉と蒟蒻と豆腐を深山の椀にのせた勝は、里芋に箸を突き刺し固さを確認。里芋は少し固かった。
勝は「まだかぁ」と里芋を諦め、自分の椀に豆腐だけのせた。
「僕としてはね、今後も深山君にね、護衛をお願いしたいんだけどね?」
「すんません」
「若者には長生きして欲しいわけよ。これからこの国は荒れるだろうし」
「御上が大嵐だとしても、雲の下は割と静かなもんです」
「もー、生き急ぎはしないように」
「承知しました」
笑って誤魔化した深山は豆腐を一口食べる。
「勝先生、豆腐も美味いですね」
深山に言われた勝も豆腐を食べる。
「ん、美味しいけど焼いてから入れれば良かったかもなぁ。ちょっと水っぽいぞぉ」
「そうですか? あ、きのこはどうします? 買ってきましょうか?」
「きのこは今度。ほら、この里芋は煮えたよ」
「ありがとうございます。ホクホク、あっつ!」
「あー、酒が欲しい。とってくるか」
「私が行きますか?」
深山は立ち上がろうとするが勝は深山を遮り「お客様は座ってなさい」と言って酒を取りに部屋を出ていった。
山鯨=猪
江戸時代あたりは大体味噌味だと思います。
守貞謾稿とか豆腐百珍とかみると面白いのでぜひ。
幕末ぽい人を出したくて、勝先生にご出演頂きました。




