始まり
「んーあー!暇だー!」
さんさんと日の光が差し込む部屋。
後宮の中級妃、胡蘭は、自分の体には大きすぎる、天蓋が覗く寝台の上で、うーと唸っていた。
政治的意図で後宮に押し込まれ、早一年。齢十五で送り込まれたため、最初こそ両親の役に立とうとして、周りに舐められないようにしようとしていた。侍女たちの前では大人ぶって、妃同士のいざこざもそれなりに上手くやり退けたつもりだ。
だが、そんな気が苦しい生活、すぐに限界は来てしまう。
皇帝はそんな胡蘭に見向きもせず、ただただ無意味に時間が過ぎていった。
ごろんと勢いよく寝転がった事で朝侍女が丁寧に結った癖がある髪は櫛が通るか心配なほど崩れ、簪も一本抜け落ちて埋め込まれている水晶が煌めいていた。落としていることに気づいたのは、うっかり上に寝てしまってて痛かったからという訳だが、秘密にしておこう。
もう本当にやることがない。後宮内を歩くのは侍女を連れて行かねばならないから面倒だし、書物は暗唱できるほどには読み尽くした。それに暇を持て余し寝過ぎて、眠気なんてものはどこか遠くへ飛んでしまったようである。
その時こんこん、と扉を軽めに叩く音がした。昼餉だろうか。いや、いつもにしては早い気がする。
「失礼します。胡蘭妃に会いたいという女官がおります。通してもよろしいでしょうか?」
侍女頭の顔が扉の隙間から覗いていた。
一年経っているにも関わらず、女官の中に知り合いはいない。
何だろうかと疑問だが、暇つぶしにはちょうどいいと、その女官を通すことにした。
部屋へ通された女官はどこかおどおどとしていて、周囲の様子を伺っているように見えた。
「そんなに緊張しなくてもいいのですよ?どうされましたか?」
このままの状況はいつまで続くのだろうと思い、助け舟を出す。
すると、少しだけ安心したのか、女官の震えていた手がだんだんと落ち着いていく。
恐る恐る、いや、どうしてもと勇気を振り絞ったという方が正しいだろうか。女官は思っていたより大きい声を出して、要件を話した。
「いきなり来てしまってごめんなさい!実は、あの、えっと…お庭に簪が一本、落ちていませんでしたか…?大切な、母の形見なんです…」
手の代わりに声が震えていた。立場が上だからと緊張したのだろうか。上といっても中級妃なので、あまり気にすることでもないのだが。それでもわざわざこちらまでやって来るということは、本当に大切にしている物なのだろう。
「探してみることは可能です。折角なので、同行します」
「えぇっ!?それは、…おやめになった方がよろしいと存じます。大事な服や沓が汚れてしまいますし、何よりご自身の立場がお有りですので…」
むむっと頬を膨らませる。何もすることが無かったときに起こった、面白そうな出来事なのだ。今更首を突っ込むなという方が無理な話である。
だが、どれだけこちらが力説しても、この女官が言っていることは正論だ。確実に跳ね返されるし、間違っていない。
その時、ふっと考えが降ってきた。どうしても同行したい。それが故に生まれた、普段なら考えつかないような案。
面白そうだから。暇だったから。たったそれだけが理由なら、言わなかったであろう案。
このような形で自分の言い分を突き通すのは初めてだ。
「私と共に簪を探しなさい。これは命令です。よろしいですね?」
胡蘭はたとえ手はついてなくとも皇帝の妃だ。下女に対してであれば、多少は命令しても問題あるまい。
地位の差という強力な武器を、胡蘭は利用した。