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その九


 新兵衛の屋敷地を出たところで「もう大丈夫です。おろしてください」と新十郎は友吉に頼んだ。

「草履を置いてきちまった。三味線と一緒に後でおろくにとってきてもらうよ」

「重いでしょう。足袋を履いてますから、草履なしでも大丈夫です。おろしてください」

 新十郎はもう一度頼んだ。そもそも抱えられるのは好きではない。

 友吉が実方をぶっ飛ばした時にどれだけ足を開いていたか、着物がどれだけめくれていたか、新十郎は覚えていなかったが、さすがにばれたに違いないと思っていた。女の脚と男の脚は肉付きも固さも違う。

 なのに、友吉の態度は全く変わらない。そうなると、新十郎も態度を変えづらい。戸惑いながらも、友吉の態度が変わるまで、「あんた男だろ」と言われるまで、女振りを続けるしかないと新十郎は思った。

 しかし、実方が山嵐の首領だとわかった今では、別の考えも湧いてくる。

 友吉の言動に嘘は感じられないが、もしも村ぐるみで実方の秘密を守っているとしたら、新十郎は騙されていることになる。考えたくないが、考えないわけにいかない可能性だ。悪党の面の皮の厚さには、これまでに何度も驚かされている。


 友吉は黙って歩き続けていた。

「友吉さん!」

 たまらず新十郎は強く名を呼んだ。

「おいらにこれ以上後悔させねぇでくれ。あんたを守ると約束したんだ。最後まで約束は守る」

「そんな約束をしてもらった覚えはありません」

「危ない目に遭ったら助けると言っていた」

「そんなこと、お約束になりました?……あ!あれはわたくしが助けを呼んだら、ではありませんか。わたくしは助けを呼ばなかったのですから……」

 段々、新十郎の声は小さくなった。

「ひとは助けを呼びたくっても声を出して呼べないことがある。おかしな音が聞こえたんだ。おいらはあんたが助けを呼んでると思った」

 新十郎は何も言い返せなくなった。強がりを言える状況ではなかった。一言、「ありがとうございます」とだけ言った。

 ふと、後ろからついてくる人物がいることに気づいた。気配を消そうとしている。

 ――七之助か?

 そっと新十郎は後ろを見た。

 満月に近い月明かりだから、目が慣れればかなり見える。

 後ろをついてくる人物はうまく隠れていた。姿は見えない。七之助だと新十郎は確信した。

 何も言わずとも、七之助は友吉の家にこっそりと現れるだろう。新十郎はそう思い、後ろを向いた格好から、友吉の肩に頭を乗せた。強い疲労を感じていた。同時に猶予はないとも感じていた。



 友吉はそっと奥の間前の上がり框に新十郎をおろした。

 めざとく友吉たちの帰宅に気がついたろくが、預かっていた辰吉を連れて、すぐに友吉の家に顔を見せた。

 ろくは新十郎がこれまでになく疲労しているのが一目でわかったらしい。島田も崩れているし、上帯を締めていないから、何事か、よろしからぬことがあったことは一目瞭然だ。

「何があったんだい?御手附様のもてなしは無事に終わらなかったのかい?」

 新十郎は俯いて友吉が答えるのを待った。頭の中には友吉を助けなければという気持ちと、櫛間村全体に対する疑いが渦巻いていた。

 村全体への疑いは晴れて欲しい。間違いであって欲しい。少なくとも、目の前の三人には全く預かり知らぬことであってほしい。新十郎は心の底から願っていた。


「おしんさんは手附様に殺されかけたらしい。おいらが障子を開けたときには手にしていなかったが、脇差が鞘から抜かれて傍に転がっていた」

「ええっ!おしんさんが言うことを聞かなかったからかい?」

 新十郎はろくの視線を感じた。

「本気じゃなかったろう?」

 その後にも沈黙が起きた。

 新十郎は友吉がなかなか話そうとしないので、やむを得ないと顔をあげ、友吉とろくの顔を見ながら言った。

「実方様は本気でわたくしを殺すおつもりでした。わたくしが正体を見抜いたからです」

 友吉がかぶりを振って、ようやく口を開いた。

「信じられねぇ……ほんとにあの実方という手附様が山嵐の頭だったのかい?」

「ええっ!」

 ろくがすっ頓狂な声を出した。


「おしんさん、似てるってだけじゃないのかい?」

 新十郎はきつい目つきにならないよう気をつけ、視界の隅に友吉の顔を置きながら、ろくに顔を向けて答えた。

「わたくしを殺そうとしたことが、同一人物だという証しです」

「友吉さん、あんたは見たのかい?手附様がおしんさんを殺そうとしてるのを……」

 友吉の顔が赤くなった。

「その……上に乗っかってるのを見た」

 ろくがなんとも言えない顔つきになり、こちらも顔に赤みがさした。

 新十郎もカッと顔が火照ったが、黙ってはいられなかった。

「あれは……友吉さんが障子を開ける直前に取った格好なんです!首を絞めにくるのを必死で防いでいたら両腕を掴まれ、膝蹴り……は、はしたないですけど、膝で実方様の背中から腰を蹴って抵抗していたから、わたくしは足音に気がつかなくて……それくらい上の方にあの人はいたんです。それが急に位置をずらすから、驚いて……そしたら、障子が開いて……」

 辰吉が不思議そうに、大人達を見ている。


「なんにせよ、手附様がしてはいけないことをしていたのは間違いない」

「友吉さんに見られて手附様はどいたのかい?」

「いや、手附様はおいらに背を向けてた。思わず手にしてた心張り棒でなぐっちまった。ちょうどおいらに振り向いたときに棒が当たったから、頭の横を思い切りなぐった……」

 ろくだけでなく辰吉の顔色も悪くなった。

「友吉さん、あんた……」

「父ちゃん、手附様をなぐって大丈夫なのか?」

 友吉は辰吉の頭を撫でた。

「わからねぇ。手附様次第だろうな」


 友吉とろくの様子からすると、二人は実方の秘密を全く知らず、山嵐とも関わってはいない。新十郎はほっとすると同時に、友吉が実方の申し立てによって刑罰を受けるかもしれないと思うと、感情を抑えることができなくなった。

「相手は山賊のお頭なんです。友吉さんが咎められる筋合いはありません。なんとしてもその証しを立てます。わたくごときの言うことは潰されるでしょうから、揺るがない確かな証しを見つけます」

 新十郎は膝の上でそっと拳を握りしめた。

「そんなことできるのかい?」

 おろくの不安そうな声に、新十郎は「なんとかできると思います」と答えた。

「なんとかできると思うって、どうやって?」

「お江戸にお役人の知り合いがおります。そのお方に事情を伝えます」

 ろくはいくぶん安心したようだった。しかし、すぐに呟いた。

「間に合うかね……」



 翌朝、友吉親子が田畑へ出掛けた直後に七之助が新十郎の前に姿を見せた。そして、新十郎の顔を見た途端、なぜか顔を赤らめた。

 新十郎は思わず「遅いぞ!」と言ってしまった。

「あの目で天方さんも気がついて、ああいうことになったんでしょう?それがしも気づきました。まさかと思いましたが……それで、調べないといけないことが多くて、ここへ戻るのがギリギリになったんです」

 七之助は悪びれず返してきた。

「あいつは山嵐の頭だ。そっくりさんではない。……で、証しを掴めたか?」

「いえ」

 七之助はあっさり答えた。


 新十郎は七之助を睨みつけた。

「丸一日は調べることができたろう。何もわからなかったというのか?」

「あの実方という手附が山嵐の首領だという証しは掴めなかったんです。手附としてはいたって優秀だという評判で、よく村の見廻りに出掛けていると。その見廻りに出掛けている間に山嵐の頭になっているのだとしたら、実方の動きと山嵐の動きが連動していれば、それが証しになります。そこで出掛けた実方の後をつけたら、なんのことはない、行き先は櫛間村だったんですよ。道中、山嵐の連中と出会うことはありませんでしたし、怪しい動きもなし、です。唯一怪しかったのが、天方さんと二人きりになった時で……」

 そこでまた七之助の顔が赤くなった。

 新十郎も苛立ちと恥ずかしさが混ざって頭に血が昇ってくるのを感じた。

「最初から天井に潜んでいたなら、援護しろ!」

「あの部屋の天井にたどり着いた時にはちょうど実方が首絞めしようとした時でした。あれを逃れた天方さんはさすがだなと……その後はどこから降りるかが問題でした。あんな激しい突きの連続を交わしながら部屋の中を動き回ってたんですから……それに、天方さんは武術には自信あるから助けはいらない、それよりも探索を進めろと、よく申されていたではないですか。なので、少し様子を見ようと……」

 七之助の言うとおりである。確かに日頃、そう言っていた。


「何、顔を赤らめている。言いたいことがあるなら、さっさと言え」

「あの実方って、いろんな意味ですごい奴だなと……大抵の男は途中からそのぉ……違うことになってたと思いますが、あの男は意図的にそう見せかけただけだったんですから。いや~思い出してもなんか、あのときの天方さんには、途中にこうゾクッとくるような……なんというか……」

「あんな奴を褒めるな!おまえも新兵衛の仲間だったのか!」

「断じて違います!!」

 七之助にまでそんなことを言われ、主導権を握れなかった醜態を後輩に見せてしまったことにムカムカしながらも、新十郎は腕組みしてなんとか頭を整理した。ずっと引っ掛かっていたことが何かは、今朝、起きた時に思い返してはっきりしている。


「あの実方が、本当に実方勝五郎かどうかが問題だ」

「え?」と、七之助が驚いた声を出した。

「おまんが頭は三年前に初めて江戸へ行って、初めて歌舞伎芝居を見たと言っていたのだ。だとしたら、江戸生まれ江戸育ちの実方であるはずがない。あいつは、俺が生まれを尋ねたら、四谷だとぬかしたがな」

「ですが、あの代官所に実方の知己がおりました。親しくはなかったようですが、顔は昔から知っていたという手附が。それに小者も江戸からついてきた、長く実方に仕えている男です。名は平八。年は五十手前。ちょうど自宅に戻っていた平八に道に迷ったふりをして話しかけ、内情を探ったのですが、あの男は間違いなく江戸の生まれです。実方勝五郎のこともずいぶん信頼していました。単身での赴任先では妾を置いている手附が多いのに、実方は小者と二人暮らしで、下女として近くの村から五十過ぎの女が通ってきているだけだそうです」

「偽実方に丸め込まれたんじゃないか、そいつら。落ち着いて考えてみろ。江戸に生まれ育った御家人が着任早々、簡単に山賊の頭になれるか?山賊の頭だった男が本物に入れ替わる方が簡単だ」

「……簡単ですかね……」

「山嵐の喧嘩殺法の凄さはおまえも身に染みているだろう。着任してきたところを自分たちがよく知る山中で襲えばいいんだ。土地鑑のない実方主従を降伏させるなんざ、奴らにとっては赤子の手を捻るようなものだったろう」

「実方勝五郎が稀に見る剣豪だったら、頭と入れ替わることができそうですが……」

「そんなにすごい奴なら、我々の耳目に入っている。急ぎ人相を含め、本物の実方勝五郎がどんな男だったか調べる必要がある。文は用意している。こいつで江戸へ早飛脚で問い合わせろ!」

 新十郎は七之助に封書を渡しながら、語気強く言った。


 七之助は立ち去りかけて、また天方に振り向いた。

「早飛脚でも江戸へは往復するだけで六日かかりますよ。その間、天方さんはどうするんです?」

「実方の動きを阻止するためにここにいる。もしも友吉さんを捕まえに来たら、なんとしても防ぐ」

 七之助の顔が驚いた顔になった。

「『友吉()()』?」

「早く行かないか!」

 そう言いながら、新十郎は七之助に向かって小柄を投げる素振りをした。そこで、はたと気づいた。

「七之助、その、実方を知っていた胞輩は、今はもう代官所にいないのか?さっき、『おりました』と言ったな?」

「はい、二月前に罷免になったそうです。勤めぶりがよくないと……実方は弁護したらしいですよ。罷免は待ってくれと」

 新十郎の頭の中で新たな仮説が組み立てられた。新十郎はその仮説に自信があった。



 昨夜のうちに新十郎は友吉とろくから実方の赴任が六年前のいつ頃だったか、この辺りの山賊の活動が沈静化したのはいつ頃だったかを聞き出していた。

 天方の予想どおり、時期がほぼ一致していた。実方が手附として代官所へ勤め始めて以降、櫛間村辺りの山賊の活動が静まったのだ。ただ、熊太郎が山嵐に入ったのも六年前の、実方が赴任するほんの二月前だから、熊太郎の加入が櫛間村辺りの山嵐の活動を押さえた可能性も残る。

 実方は夏に赴任するとすぐに受け持った村を見廻り、検見を行った。その年は干魃で不作の年だったから、村はいずこも窮状を必死に訴え、実方はその訴えを聞き入れて、年貢をほぼ名主達の望むとおりに下げたという。その代わり、名主達に私腹を肥やさないことを約束させた。もしも干魃を言い訳にして私腹を肥やしたなら、そのときは容赦しないと、名主達を睨み付け、名主達は震え上がった。

 友吉が新兵衛に借金を完済できたのも、実方の検見と土地の売買の仲介が大いに助けになっていた。

「みんな、前の手附様とは大違いだって言ってる。そんな御方だから、まさか、山嵐の頭だなんて……」


 友吉とろくの話から新十郎が感じたのは、実方が江戸生まれの江戸育ちにしては、村のことをよくわかっているということだ。そのことも新十郎の考えを後押ししている。

 手附を新設してから公儀が直面した問題は、手附よりも手代のほう方が仕事ができるという問題なのだが、考えてみれば、当然のことである。御家人は村の事情をよく知らない。一方、手代は大抵地元の百姓出身だ。土地の事情に精通している。交渉ごとは、村に対しても、代官に対しても、うまくことを進められる傾向があるのだ。

 あの実方が赴任直後にやってのけたことは、少なくとも新任の手附らしからぬことである。



 七之助が去ってまもなく、新兵衛がろくとともに戸口に現れた。

 正確には、新兵衛が一人で、一人でいる「おしん」を訪ねるつもりだったところを、ろくが割って入ったのだ。

 土間へ入ってきてもろくが場を仕切った。

「御手附様の怪我は大したことないってさ。ただ、友吉さんを捕まえる気だって……まさかあの実方様がそんな横暴なことをするとはね……」

 新十郎は顔から血の気がひくのを感じた。白粉でろくと新兵衛にはわからなかっただろうが。江戸からの返事を待っていては手遅れになる。

「友吉さんは今どこに?」

 新兵衛が横目でろくを睨んでから答えた。

「実方様も大きな騒ぎにはしたくないと、友吉の方からあたしの家へ出向くように伝えろってことでね、今、伝えてきた。友吉は、今日やらないといけない作業を終えたら、行くと答えたよ」

 新十郎はどうすれば友吉を救い、実方に真実を語らせることができるのかと、頭の中では様々なことを考え始めた。


「あたしもなんとかとりなしをしたいと思うけど、簡単じゃないからねぇ」と言いながら、新兵衛は考え込んでいる新十郎の目の前に座ろうとした。すかさずろくはガシッと新兵衛の腕を掴んで座らせなかった。

「簡単じゃないから、何?あんた、友吉さんを見捨てようってのかい?おいちさんが出ていったのもあんたのせいなんだよ!」

「それは言いがかりだよ、おろく」

「何が言いがかりさ!友吉さんのいない時にいそいそとやって来てたじゃないか!今日みたいに!」

 友吉の告白によると、いちが出ていったのは新兵衛のせいだけではないが、そう思わせておくほうがいいなと新十郎は思った。ろくももう少し詳しい事情を知っているから、新十郎と同じ考えなのだろう。


 新十郎は、ここは小人目付として実方と対峙するしかないと思った。……が、そこで羽織と袴を山嵐との戦いで失っていることを思い出した。麓の村へ行ったときに、あまり荷物を大きくするのも変に疑いを持たれるかもしれないと、迷った末に買わなかったことを後悔した。

 ――仕方がない……

 新十郎は開き直った。覚悟を決めた。




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