その八
その目は山嵐の頭の目だった。
髭はないし、月代はあるし、もちろん髷も違うが、目が全く同じだ。体格もほぼ同じだ。二番手の熊太郎よりは小柄なものの、新十郎より三寸は背が高く、幅も厚みもある。
新十郎は驚きを一瞬で隠した。しかし、山嵐の頭と同じ目をした侍は、新十郎がつい見せてしまった一瞬の驚きを見逃しはしなかった。そう新十郎は感じた。
新兵衛は、山嵐の頭と同じ目をした侍を手附の実方勝五郎だと紹介した。その横に座る武士の格好をした丸顔の男が手代の白石徳右衛門だった。年齢は二人とも新兵衛と同じくらいの、三十半ばに見える。
――こりゃ、大事だ。手附が盗賊の御頭だなんて……まだ手代が盗賊の頭だという方が上の受ける衝撃は少ないだろうよ……
新十郎は内心では大いに驚くと同時に首を傾げていた。実方勝五郎という名を江戸にいる間に見聞きしたことがなかったからだ。
小人目付は御家人の監査もしている。素行の悪い者や逆に何かに秀でている者はひそかに名前を帳面に書き留められ、小人目付間で情報の共有が行われているのだ。新しく役職に任命される人物も大抵小人目付が素行調査をしている。
山嵐の頭になれるほどの力量のある男がそうした小人目付の帳面から漏れていたことが、監査を受けたことがないのか、何も記載されていないことが、あまりに意外すぎた。見た目も立派な体格をしている上に、七之助とともに襲撃された時に目にした戦いぶりからして、腕っぷしも強いのだ。
「そなたが噂のおしんか。確かに綺麗だ。うむ、綺麗だ」
実方の新十郎を見つめる目は、言葉とは裏腹にいたって冷静だった。
その実方の隣に座る手代は、呆けた顔で新十郎を見ている。その顔に新十郎は見覚えがなかった。
――盗賊は手附の実方だけか?
山嵐の二番手の父親である井澤の丹兵衛も、手代と同じく呆けた顔で新十郎を見ていた。五十過ぎくらいの、これまた大柄な男で、熊太郎と顔はよく似ている。
では、さっそく一曲と、新十郎は落ち着いた足取りで、下座の大きく空いた空間に進み、正座した。三味線を軽やかに奏でる。
実方のしらばっくれようでは、何がどう転ぶかわからない。新十郎は覚悟を決めざるを得なかった。
唄を聴いてるのかどうか怪しい手代や新兵衛と違い、実方は唄を聴いているのは間違いないが、その目は冷静なままだ。
一曲唄い終わった。
一瞬の間をおいて、思い出したように、拍手しまくる手代、新兵衛、丹兵衛と異なり、実方は軽く拍手し、ゆっくり酒を口に運んだ。目はじっと新十郎を見据えている。その目はやはり見惚れている新兵衛や手代の目とは違っていた。
事前に頼んでいたとおり、えんが新十郎の手元に湯飲みを置いた。
新十郎は礼を言って湯飲みの中の茶を二口飲んだ。
次の曲名を言って、新十郎はまた三味線を弾き始めた。
実方以外は今度も見惚れた顔つきだ。
二曲終えたところで、新兵衛が手招きした。
「さぁさ、こっちへ」
手振りからすると、自分と手附様の間に座れということらしい。
今日は手附の手前、「おしん」に言い寄ることはできないはずだが、近くに座るのは避けたい。
山嵐の頭としか思えない手附の実方も何を考えているかわからないから、新十郎は手附の前に座った。
新十郎が酌をしようとする前に実方が盃を新十郎に渡してきた。
一礼して盃を受け取り、盃に注がれる酒を見ているようで、新十郎は視界の隅では実方の表情を見ていた。
「御手附様はお江戸の御生まれですから、物足りなかったのではございませんか?」
そう言ってから、新十郎は酒が一杯に注がれた盃を口許へ持っていった。
実方はじっと新十郎を見つめている。
「そんなことはない。そなたの唄も三味線も見事だ」
盃を飲み干した新十郎は、盃についた紅を拭い、実方に盃を返した。もちろん徹底的に女振りである。
実方は盃を受け取り、今度は新十郎が酒を盃に注いだ。
「別の唄も聴かせてほしいな」
新十郎は実方との間の緊張が高まるのを感じた。
視界の隅では新兵衛が悔しげに身悶えしていた。
新兵衛には実方の言う「唄」を己の大好きなことにしか解釈できなかったろうが、新十郎は別の意味だと感じた。実方から静かな殺気を感じたのだ。
――こいつ、何者だ?
新十郎はそう思ったが、おそらく実方も同じことを思っている。
「芸妓としての名があるのだろう?」
「はい、新弥と申します。実方様はお江戸のどの辺りにお住まいで?」
「四谷だ。日当たりの良くない一角だ」
四谷生まれの御家人がどうしてこんな山奥を拠点にしている山賊の頭におさまったのか。そう考えている新十郎の頭にひっかかかるものがあった。大事なことをこれまでに耳にしている気がした。
「お主ら、気を利かせろ」
そう言った実方の口許は笑っていたが、目が笑っていない。
新兵衛は悔しそうに、惜しそうに新十郎を見てきた。
「それじゃ、おしんさん、またあとでね」
去り際に手を握ろうとするのをするりと新十郎はかわした。
手代や新兵衛達の足音が遠退いた時が勝負どきだ。
表面は穏やかさを装い、新十郎は実方と酒の注ぎ合いをした。実方も装っているに違いない。
人の気配が遠のいた瞬間、実方が新十郎の左腕をぐいと引っ張った。左腕で抱き寄せるように見せて、次の瞬間、右腕で首締めにきた。
新十郎は咄嗟に実方に左で肘鉄を食らわせ、首締めにきた手首を、内から手刀で払いつつ頭を低くし、その下をかい潜った。さらにその勢いで横転した。一瞬のことだ。繕に足が当たり、銚子から酒が溢れた。
「な、何をなさるんですか!」
新十郎は女振りに戻し、胸に手を当てて肩で息をしている振りをしながら言った。
「そっちこそ、何しにここへ来た?見事な女形ぶりだが、その身のこなしは役者ではあるまい。舞台に立てば、かなりの人気者になると思うがな。なんとも勿体ない」
「あなた様こそ、何者です?あなた様とは前にもお会いしましたよね?山中で」
実方と新十郎は睨みあった。
「わしの秘密を知ったとなると、生かしてはおけない」
実方が静かに脇差を抜いた。
新十郎はそっと後ろに手を回そうとしたが、実方の視線が見抜いていたため、途中でやめた。
路考結びした帯に小柄を三本隠しているのだ。使いたくはないが、三味線にも刃が仕込んである。
実方から冷たい殺気が立ち上る。
――こいつは強い……
これ程強い男と戦うことになるとは、新十郎は予想していなかった。これ程強い奴と知っていたら、なんとかして長脇差を持ち込んでいた。
一か八か、相討ち覚悟で挑むしかない。小人目付としての意地というよりは、武士としての、剣士としての意地だった。芸妓の格好をしていても。
睨み合いが続く。
わずかずつ二人は動いていた。間合いは変わっていない。
刃を仕込んである三味線を実方の近くに置いたままなのが、新十郎には失敗だった。実方が蹴飛ばさないか、つい気になった。
新十郎のその視線のわずかな動きを、気の散りを、実方は逃さなかった。その瞬間、脇差を突き出してきた。
新十郎は間一髪、避けた。
実方は間を置かず鋭い突きを次から次へと繰り出してくる。
新十郎はなんとか避け続けたが、避けるのに必死で帯に隠している小柄に手を伸ばすことはもちろん、声すら出せなかった。
しかし必死に避けながら、新十郎は実方の脇差の攻め方に戸惑いを感じていた。道場で師匠から習った剣術ではなく、自己流の喧嘩殺法という気がした。せっかくの鋭い突きの効果を活かしきれていない時があるのだ。そのお陰で新十郎は避けることができていた。
そして、鋭い突きを繰り返したら、バテてきそうなのに、その気配はない。
とうとう新十郎は部屋の隅に追い込まれた。
容赦なく脇差が新十郎の胸めがけて突き出される。新十郎は瞬時の判断で思い切り姿勢を低くし、実方の腰に飛び付いた。実方が右へ倒れるような角度だ。そこは細身であっても鍛えた武士の体当たりである。実方は体勢を崩した。
実方は倒れこみながらも脇差で新十郎を刺そうとしたが、突き刺せたのは路考結びしている帯だった。路考結びが崩れ、中に隠していた小柄が二本落ちた。
――買ったばかりなのに!
一瞬そんなことを思った新十郎だ。
飛び付く直前に新十郎は右手で帯から小柄を一本抜いていた。しかし、その小柄を実方に突き刺す前に新十郎は腰を実方の脚に挟まれた。
――しまった!
足でぐいぐいと腹を締め付けられる。腹の中の臓物が潰されるのではないかと思った。必死に腹に力をこめて潰されまいとしながら、小柄で実方の太股を刺した。
ウッという短い声が実方の口から漏れたが、新十郎を締め付ける足は緩まず、その左手が小柄を握る右手を掴みに来た。
その手を払おうとした瞬間、新十郎の身体が実方の足に締め付けられたまま、少し浮いた。と思ったら、ひっくり返された。
いつの間にか、実方は脇差を捨てていた。新十郎に馬乗りになり、その手が新十郎の首に伸びてきた。
新十郎は実方の顔をめがけて小柄を投げた。実方はさっと避けた。
首を絞めようとする実方の手をなんとか防ぐ。防ぎながら、新十郎は実方の背中から腰の辺りを膝でたて続けに蹴った。傍目からは格好よくとはいかない。大柄な相手ではそんなことを考えていられない。
しかし、実方の身体は少し震えるだけで、大きく崩れない。
とうとう実方に新十郎の両腕が掴まれた。その代わり首は絞められない。腕を振りほどこうとするが、ガッシリと手首を掴まれている。その手で顔をかきむしってやろうとした。実方の力が勝っている。ぶるぶると腕が震える。膝蹴りも続けているのに、こたえた様子がない。
――くっそー!なんて頑丈な奴だ!熊か!
新十郎はつい呻くような声を出しながら、もがき続けていた。心には悔しさが膨れ上がり、己の読みの甘さを悔やんでいた。
力比べでは小柄な新十郎は何時だって不利だ。その不利を覆す作戦が必要なのに、この時の新十郎には何も思い浮かばなかった。このまま力比べの状態が続けば、新十郎は負ける。
助けを呼べば、誰かが、友吉が駆け込んでくるかもしれない。それだけに助けを呼びづらかった。
――なんとかしなければ……何か手はないか?
必死に抵抗しながら、新十郎がそんなことを考えていると、突然、実方が動きを止めた。力は緩まなかった。
どうしたのかと思ったら、人の言い合う声が微かに聞こえた。台所の方だ。
直後に、実方は新十郎の両手を掴んだまま、新十郎にのし掛かっていた位置を下へずらした。
強い膝蹴りができなくなった。それが狙いだったのかと、新十郎は力尽きそうになるのをなんとからこらえて一矢報いようともがき続けた。
その時、濡れ縁を走ってくる足音がした。「待ちなさい!」という新兵衛の声も聞こえた。
天井にも人の気配がした。
新十郎は思わず動きを止めて耳を澄ました。実方も位置を下げただけで、その後はまた動きを止めていた。新十郎と同じく耳を澄ましている。
ガラリと腰高障子が開く音がした。と、同時に天井の板も動いた。
実方が後ろへ振り向いた。
次の瞬間、ゴンという固い物同士がぶつかる音がして、実方の重みが新十郎の上から消えた。新十郎は呆然と天井を見つめた。そこに一瞬、七之助の顔が覗いたのだ。
それまで必死に、目一杯の力を使って抵抗していたことと、天井に見えた馴染みの顔に、新十郎の全身から一気に力が抜けた。すぐには動けなかった。七之助の顔が天井に見えたのは見間違いだったかもしれないと思った。
腹だけでなく、肩と胸も大きく上下するほど荒い息をしながら、ぼうっと天井を見つめている新十郎の視界に友吉の顔が入ってきた。
「おしんさん、怪我はないか?大丈夫か?」
そう言いながら、友吉が何かしている。
新十郎の開いていた足を閉じて着物の裾を整えていたのだと気づくまでにさらに間があいた。
助かったと思う気持ちよりも、勝てなかったという悔しい気持ちが膨らんできた。さすがにこれで男とばれただろうと新十郎は思った。
――なのに「おしんさん」?
新十郎は笑いたくなった。笑い出したら止まらなくなりそうで、その衝動を押さえて新十郎は上体を起こそうとした。
すると、友吉が背中を支え起こしてくれた。
紺地の帯はほどけている。
友吉は上帯がほどけただけで、腰紐は大丈夫なのを確かめてから、あの川辺のときと同じように新十郎を抱えあげた。新十郎は驚いた。……が、この時は完全に気が挫けていた。力を入れようとしてもまだ入らなかった。
「もう大丈夫だ」
穏やかな友吉の言葉に新十郎は思わずその顔を見た。
これまでどおりの目をしていた。
――いや、さすがに気がついただろう……
実方はどうしたのかと下を見ると、俯せに倒れていた。
その姿にやっと新十郎は我を取り戻した。
「と、友吉さん、その男は山嵐の頭です!」
自分でも驚いたことに、ちゃんと作り声での女振りだった。
友吉は「え?」と困惑した顔で聞き返してきた。
「何を言ってるんだね、おしんさん」
新兵衛の声だ。
――新兵衛も「おしんさん」?
「実方様が山賊のわけがないじゃないか」
視界に入ってきた新兵衛の顔を新十郎は訝しく見つめた。
――こいつらはぐる?
それも新十郎が考えた仮説のひとつではあった。当たってほしくない仮説だ。
「わ、わたくしを殺そうとしたのですよ!わたくしが山嵐の頭だと見破ったからです!脇差でわたくしを刺そうとなさいました!ほら、そこに脇差が!」
新十郎は友吉に抱えられたまま、畳の上に転がる抜き身を指差した。
新兵衛は鋼の色を見せる脇差を見て、さすがに顔色を変えたが、
「いや……まさか、実方様にそんなお好みが……稀にいるとは聞いてたけども……」と呟き、かぶりを振った。
何勘違いして独り合点してやがるんだと新十郎は思ったが、殺伐としていた間は二人きりだったのだ。今となっては証明のしようがない。ましてや、かたや評判が良いらしい御手附様、こちらは女装した芸者*と見なされる。正体をばらせば、上に対しては五分五分になるが、四分六にするには確かな証拠がいる。そこでやっと、友吉や新兵衛が障子を開けたときに目にした光景を新十郎は思い浮かべることができた。
――それが位置をずらした奴の狙いだったのか?くそーっ!色事にして誤魔化す気か!開き直りやがった!
「おしんさん、あたしにはそんな好みはないから、安心しておくれ」
そう言って欲望丸出しの顔で新兵衛が手を握ろうとしてきたから、避けるために新十郎は友吉の首にさっと両腕を回した。
――おまえはソレしか考えられんのか!
心の中では思う存分罵っていた。
「それにしても、友吉、あんた、えらいことしたね。御手附様の頭を棒でなぐるなんて」
新十郎はハッとして友吉の顔を見た。
「覚悟はできてるよ。おいらは悪いことしたわけじゃねえ。相手が嫌がってるのに無理やり組みしいてたんだ。相手が誰であっても許されることじゃねぇ」
事態を把握できた新十郎の頭は目まぐるしく回り始めた。
「おいらは逃げも隠れもしねぇ。捕まえに来るなら捕まえに来ればいい」
友吉は新十郎を抱えて濡れ縁へと出た。
「飛び降りるから、しっかり捕まっててくれ」
一言、そう言って庭へ飛び降りた。
この時になって新十郎は友吉が草鞋を履いたままだったことに気がついた。
台所の方から聞こえた騒ぎは、草鞋を脱いで上がることを許されない友吉が起こした騒ぎだったのだ。なんとか隙をついて押し止める連中を退け、新十郎を助けに来たのだ。
そんな友吉が新十郎を庇ったことで罰せられるなど、絶対にあってはならない。相手は御家人の手附とはいえ、盗賊の頭なのだ。そう思ったところで、また新十郎は引っ掛かりを覚えた。
――七之助は何処だ?あれは幻や見間違いではない。天井に七之助はいた。七之助に大至急調べさせなければ……いや、七之助は既に掴んでいるのではないか……
* 念のための注: 江戸時代の「芸者」というのは男の「芸者」で、女の「芸者」は「芸妓」です。




