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その七

 

 友吉はうつむいたまま、語り始めた。

「おいちとは祭の日に初めて会って、一目惚れしたんだけんど、どういうわけか、おいちの方もおいらを気に入ってくれて嫁に来てくれた。おいらは有頂天だった。バカなおいらは、嫁に来てからおいちがどんなに困っていたか、長いこと気づいていなかったし、知ってからも何もできなかった……最低だ……最低の奴においちは嫁いじまったんだ……」

 新十郎はおいちが困っていたのが何か、すぐに閃いた。

「新兵衛さんですね?新兵衛さんがおいちさんを困らせてたんですね?」

 友吉が新十郎に背を向けたまま頷いた。

「しばらくして新兵衛さんがおいちに言い寄ってることに気づいたのに、新兵衛さんをどうにもできなかった……金を借りてたから……おいちは新兵衛さんを拒み続けてた。そしたら、利子をあげると言ってきたらしい。卑怯な奴だ!今なら……金を借りてないし、今ならたぶん新兵衛さんを殴り倒すところだ。だが、その時のおいらにはそんな勇気がなかった……しかも、親父までがおいちに嫌がらせしてたんだ。さすがに息子の嫁に手を出すことはしなかったらしいが、よろめいた振りして抱きついたり、尻を触ったりという、ガキのようなことをしていたらしい。その上、お袋はそんな親父を見てみぬ振りだった……いくら親でもやっていいことと悪いことがある。そんなこともその頃のおいらは境目に自信がなくて、親に逆らっちゃいけない、親孝行しないといけないと思い込んでて、おいちが言いにくそうに俺に言ってきても、我慢しろと言っちまった……」

 新十郎はいちに深く同情した。


「手附様の饗応は、とどめだったんだ。おいちの我慢の……宴を仕切ってたおえんさんによると、おいちは宴会のある新兵衛さんの家に現れなかったらしい。手附様の饗応を手伝いに行くといって家を出たきり、おいちは行方知れずになった……」

 ()()とは新兵衛の正妻だ。ろくから聞いた話では、若い時からしっかりした、物事をてきぱきと片付けることのできる人物で、新兵衛が家督を継ぐ前から、家内のことだけでなく、村の催事も裏で仕切っていたという。

 新十郎の頭に嫌な想像が浮かんだ。現れていないというのが手附と手附に丸め込まれたえん達の嘘で、いちが歯向かったのに腹を立てた手附がいちを傷つけたという最悪の展開だ。いっそ、いち自身の意思で手附様の方が良いと、手附について村を去ってくれていた方が良い。友吉には悪いが、新十郎はそう思った。

「おいちがいなくなったとわかったとき、おいらもこの村も嫌になって手附様のもとへ行ってくれてたらと思ったよ……けど、違った……その後、手附様の周囲にも近くの村にも、おいちらしい女がいるという話は全く出てこなかった……」

 新十郎は、友吉が自分と同じように、いちが誰かの妻か妾になっていて構わない、とにかく無事であるよう願っていることに、共感を覚えた。

 確かに友吉の告白どおりなら、ちょっと気が弱すぎたと新十郎は思ったが、自分に見せた新兵衛への言動からすると、信じられない。驚きの変化だ。


「後添いを貰わないのは、おいちさんのことが忘れられないから?」

「それもあるけんど、おんなじことを繰り返したくねぇからだ……おんなじ間違いをしたくねぇ……」

「ご両親はお亡くなりになったし、新兵衛さんからわたくしを助けてくださったではありませんか。もう同じ過ちを犯したりしませんよ」

 友吉はかぶりを振った。

「おいらは何も変わっちゃいねぇ。あんたの前では不思議と勇気が出るんだ。自分でも驚いてる」

「それは……友吉さんが昔とは違うってことですよ」

「そうは思えねぇ。あんたのおかげだ」

 新十郎は思わず、友吉の背に手を伸ばした。

「もっと自信を持ってくださいな。大丈夫。今のあなた様なら、大丈夫」

 友吉を励まそうと、そう言いながら、つい新十郎は顔も友吉の背につけた。男に自信を持たせるには女が甘えてみせるのが良い。そんな考えがあったと、あとから新十郎はこのときの自分の行動を分析する。

 ――あ、いかん。背中に白粉をつけてしまった……

 新十郎はすぐに顔をあげ、友吉の背中についた白粉をぼかそうとした。だがぼかそうと伸ばした手は友吉の胸に当たり、新十郎はまた顔を着物につけていた。瞬時に、反射的に身体を固くしたが、起こったことに呆然とした。

 友吉が突然向きを変え、新十郎を、いや「おしん」を抱きしめたのだ。

 ――油断し過ぎてた……バレた。これはバレた……いや、前からわかってたんじゃ……

 新十郎の頭は混乱していた。櫛間村へ来てから、度々戸惑ったり、混乱することが起こっているが、混乱はこの時が一番酷かった。

 友吉は、しばらくの間、ただ「おしん」を抱き締めていた。そして、そっと頭を撫で、それから、ゆっくりと腕をほどいた。

「すまねえ。驚かしちまった。優しいこと、言ってくれるからだ。優しい言葉、この辺りで吐いちゃいけねぇ」

 友吉は「おしん」を見ることなく、立ち上がり、寝屋へと戻っていった。寝屋の戸を開ける前に言った。

「手附様の饗応、断らないっていうなら、宴会の時になんとか近くにいるようにするよ」

 新十郎は暫く動けなかった。どう解釈して良いのか、わからないことだらけだ。


 化粧を落とし、寝床に入った新十郎は、久しぶりに悪夢を見た。小人目付の探索のために初めて女装したときの夢だ。目覚めたときには全身に嫌な汗をかいていたが、目覚める直前に思わぬ人物が出てきたこともあり、目覚めてからも心の臓がなかなか落ち着かなかった。寝言を言っていないか、気になった。

 暫くじっと辺りの気配を窺った。物音は何もしない。友吉親子に聞かれなかったようだと心からホッとした。



 変な気分になりかけたことに動揺した新十郎は、宴のための稽古というだけでなく、いつもの調子を取り戻すために、友吉親子が出掛けた後に三味線を一刻ほど(約2時間)弾いた。友吉の家で毎夜、短い曲を親子に聴かせてきたが、夜ということもあり、軽いものばかりで、重厚な曲も長い曲も弾いていない。近くに家のないのがありがたかった。

 新十郎はのびのびと大曲の稽古をした。

「上手いねぇ!やっぱお江戸の人は違うよ」

 そう言いながら引戸をあけたろくは、次には「心張り棒かましとかないといけないじゃないか」と腰に手を当てた。

 新十郎はちょうどよかったと、いちが饗応するはずだった手附の名前と今度やって来る手附の名前をろくに尋ねた。まさかと思ったが、同一人物だった。

 実方勝五郎(さねかたかつごろう)という名の手附だ。自身の名前と似ていることに新十郎は嫌な気分になった。

「六年前にお江戸から赴任された手附様で、お役人としては良いお方だって、隣村の人も言ってるんだけどねぇ。明日、この村へやって来るのは、表向きには弥右衛門さん家を襲った賊のお調べってことになってるけど、絶対ホントの目的は違うよ。うちの田んぼ賭けたっていい」

 ろくは自信ありげに言った。

「それじゃ、本当の目的は何です?」

 ろくはビシッと新十郎を指差した。

「おしんさん、あんたに決まってるじゃない。櫛間村に綺麗どころが現れたって、御手附様の耳に入ったのさ。そういうことだけは、あっという間に伝わるからね。お役人としては良いお方ってのと、女好きかどうかってのは別モンだ」

 新十郎はどういう顔をしていいのかわからなかった。内心では、

 ――綺麗どころがいると、いそいそとやってきたら、そいつが男というだけでなく、小人目付だった……なんて、手附の奴、どんな顔をするやら。こいつは見物だぞ……

 と、愉快でワクワクしていたが、そんな素振りを見せるわけにはいかない。こういう場合はどういう態度を取るのが良いのか、咄嗟に浮かばず、新十郎はしばらく黙ってろくの顔を見つめた。

「そりゃ、あんたはお座敷に何度も出てて、厄介な客のあしらいにも慣れてるだろうけど、困ったら、大声で助け呼ぶんだよ、何せ相手は長い刃物を扱い慣れてるんだから」

 ろくの言い方を真似れば、新十郎も長い刃物の扱いには慣れている。

 ――本当に気がついていないのだろうか?

 頭の中が疑問だらけになりながら、新十郎は「ご心配ありがとうございます。そうします」と返すことしかできなかった。



 櫛間村を治めている在地の代官所の手附は六人、手代は十人いるが、今回櫛間村へ押込みの探索としてやってくるのは、手附の実方、手代の白石、その供の中間二人に、小者の計五人ということだった。手代と手附の職務は基本的には同じだが、まとめ役には手附が就いていることが多く、白石は実方の配下だった。御手附様の実方は、四人の供を従えて櫛間村へ来るのだ。

 座敷には手附、手代に新兵衛、負傷した弥右衛門の代わりに山嵐の二番手の実父である井澤の丹兵衛の四人がいると、友吉が聞き出してきた。この度も宴を仕切るのはえんだという。

「手附様と手代様の前だから、新兵衛さんも妙なことはしねぇと思うけど、給仕役を下がらせたら、男四人を相手にあんたは一人になっちまう。そんなことのねぇよう、給仕を仕切るおえんさんに頼んであるけんど、御手附様が他のものはさがれと命じたら、聞かねぇわけにいかねぇ。そんときは大声を出しなさせぇ。きっと駆けつけるから」

 友吉の真剣な目に、新十郎は申し訳ない気持ちになった。本気を出せば、侍と百姓混合の四人なら、あっという間に叩きのめすことのできる新十郎なのだ。

「ありがとう存じます。でも、たぶん大丈夫です。切り抜けられると思います」

 新十郎は安心させようと笑みを浮かべて言った。すると、友吉の顔が一段と険しくなった。

「強いんだな、おしんさんは……今までにも色々嫌な目に遭ってきたんだろうに……あんたのような人を好き者は放っておかない」

 それは確かにその通りなのだが、新十郎が男であるうえに、かなり腕のたつ武士だから、屈辱的な目にあったのは最初だけだ。その後は、好き者が絡んできたら、からかうだけからかって、煙に巻いてきた。

 たまに最初のことを思い出してしまうと、新十郎はうまく対処できなかった若い自分に腹を立てているくらいである。……と、思い返したところではたと気づいた。今朝方、悪夢を見ていた間に寝言を言い、それを友吉は聞いたのかもしれない、と。厚塗りの白粉で友吉にはわからなかっただろうが、恥ずかしさに新十郎は顔も耳も熱くなった。


 宴は七つ半(午後5時頃)から始まり、「おしん」の出番は暮れ六つ(午後6時頃)となった。

 新十郎は久しぶりに髪を島田に結い、紫の小紋に紺地の帯を締めて宴に臨むことにした。

 懸案だった見舞いにかこつけた弥右衛門の家の様子見は、家が新兵衛宅の隣なので、新十郎は友吉と共に新兵衛宅へ行く前に立ち寄った。

 弥右衛門は床をあげてはいなかったが、かなり元気になっていて、役人をもてなす宴に出席できないことを真剣に悔しがっていた。

 押し込んだ賊の風体を尋ねる時には役人風にならないよう、好奇心と用心から知りたがっていると思われるよう、新十郎は気を付けた。

「あんたは山嵐に襲われたんだったね。あの連中が女を襲うなんて珍しいことだよ。信じられないかもしれないが、ちゃんと法度をもってるんだ」

 新十郎はまたしても複雑な状況にどういう顔をしたら良いか咄嗟に判断がつかず、とりあえずうつむいて誤魔化すことにした。

 そんな新十郎の仕草をどう取ったのか、弥右衛門はもっぱら山嵐の弁護をし続け、押し込みについては山嵐ではない根拠を述べただけに終わった。

 そんな弥右衛門の長話でわかったのは、丹兵衛の長男、熊太郎はどうしようもないワルで勘当されたのが、山嵐に入ってからはそれまでより遥かにマシな人間になったこと。そのうえ、少なくとも熊太郎が仲間に入って以降、櫛間村の人々を山嵐だけでなく他の山賊もこの前まで襲うことがなかったから、丹兵衛も弥右衛門も山嵐に感謝する気持ちがあること、山嵐の頭は遠くから一度見たことがあるだけだが、弥右衛門は熊太郎と仲の良い下っ端三人の顔を知っていること。押込みの賊については、知った顔や声がなかったし、頭らしい男の背格好は山嵐の頭と違っていた、その点は間違いないと言い切った。

 その様子に裏で悪事を働いている雰囲気や、そうした連中によくある嘘臭いというか、どこか取って付けたような風は感じられなかったが、シロと判断するにはさらに調べないといけないと、新十郎は思った。


 弥右衛門の寝ている部屋からも屋根が見えた新兵衛の家は、二階建ての、一階部分だけでも友吉の家の五倍近くありそうな大きな家だった。畳を敷いた部屋も五つあるという。お役人のための宴会は、その畳を敷いた部屋の一つ、庭に面した六畳間で行われる。


 宴が始まるまでに七之助が現れることを期待していた新十郎だったが、影も形も見えない。

 ――何をやってるんだか。手附様御一行が櫛間村へ行くと聞いたら、一緒に来そうなものだ。

 友吉とは新兵衛宅の土間口で別れた。なにやら心を決めている様子なのが新十郎は気になり、再度「大丈夫ですから」と友吉に請け合ったが、友吉は「また来るから」とだけ返し、来た道を戻っていった。

 新十郎はえんだけでなく、裏方で働く女達全員に丁寧に挨拶し、それからえんとともに宴の場へと向かった。


 濡れ縁に座り、三味線を脇に置いたところでえんが障子を開けた。新十郎はまずは平伏した。

「おしんさん、堅苦しい挨拶はいいから、さぁ早く中へ」

 新兵衛の嬉しそうな声が聞こえた。

「あんたのことはもう実方様と白石様にお話ししてある」

 新十郎は頭を下げ気味のまま、座敷に入り、再度深く頭を下げてから、顔を上げた。

 そこで目に入った侍の目に、新十郎は唖然とした。その目に見覚えがあったのだ。






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