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その六

* 今回は少し短めです。当初の予定からは、8000字を越えたので、分割しました。

 

 丸二日会わなかっただけだが、田んぼから「おしん」を見つけた辰吉は嬉しそうだった。「お帰りなさい!」という声も弾んでいた。「昨日のうちに帰ってこないから心配したよ。アラクレがついてるから、大丈夫だって、おろくさん言ったけど……」

 アラクレが権太郎の雄馬の名前というか、渾名だ。

 近くにいた友吉は軽く会釈しただけだが、表情は少し照れくさそうな笑顔に見えた。

 二人の様子に新十郎は嬉しくなった。馬の背から女振りで手を振った。

「お土産があるから、楽しみにしててね」


 新十郎はろくの家で馬を返すつもりだったが、ろくは馬で友吉の家へ行くように、自分がついていって馬を引き取ると言い張った。

 我慢できる程度だったが、確かに右足首にまだ痛みがある。新十郎は無理せず、ろくの親切に頼ることにした。ちゃんとお礼の品は買ってある。


 馬からとびおりずに済むよう、ろくは馬を平屋の中へ入れ、上がり框にそわせて止めた。

「ホントに色々助けていただいて、なんとお礼を申し上げていいやら……」

「困った時はお互い様だって言ってるじゃないか。それに大したことはしてないし。気にすることはないよ」

 新十郎はすぐに荷物から柘植の櫛を取り出してろくに渡した。

「お気に入るかどうかわかりませんけど、どうぞ使ってください」

 ろくは目を丸くした。

「いやだ、こんな高い櫛をおらなんかにもったいない!気を遣わなくていいって、言ってんのに」

 顔は綻んでいる。

「古道具屋で買ったので、高いものじゃございません。こんなものしか差し上げられず、心苦しいくらいです。本当におろくさんには助けてもらってますから」

 新十郎は笑みを浮かべて言葉を返した。

 おろくは嬉しそうに櫛を眺めたが、急に表情が固くなった。

「でもね、もうすぐ助けられなくなるよ。アレが来ちまうから。ま、五、六日で終わるけどさ」

 ろくが何を言っているか、姉妹がいて、妻帯者でもある新十郎はすぐにわかった。嫌な予感がした。

「あんたはいつぐらいからだい?アレが来ると、村外れの小屋に行かなきゃならないんだよ。一緒に来たら、一緒に行けて心配ないけどさ」

 ――本気で言ってるのか?本当に気づいてないのか?

 と思うと同時に、別の問題に焦る気持ちが湧いた。

 ――このままの状態が続くなら、一月以内に片をつけなければ、友吉さんがあらぬ疑いをかけられてしまう……

 この前終わったところなので、当分大丈夫ですと答える間、冷たい汗が出ていた新十郎である。



 すぐに友吉親子が中食に帰ってくるとわかっていたのに、寝不足が祟り、二人が引戸を開ける直前まで、新十郎は襖にもたれて眠りこんでいた。慌てて頭や顔を手鏡で確認し「お帰りなさい」と腰高障子を開けた。

「起こしたようだな。たった二日で麓の町まで行って戻ってきたんだ。疲れて当たり前だ。今日はゆっくりしてるといい。夜も俺たちでやるから」

 友吉も辰吉も明るい顔で、さっさと中食の準備を始めた。

 新十郎は少し申し訳ない気持ちになりながら、それではと、二人が膳の用意をしている間に土産を見せる準備をした。

 三人が膳についたところで、新十郎は風呂敷を広げ、買ってきた古着を披露した。古着といえども、売っているくらいだから、仕立て直しした、布に問題のない着物である。親子が着ている着物からしたら、限りなく新品に近い。

 二人とも嬉しそうに着物を広げ、祭りの日に着ようという父親に息子は大きく頷いていた。なんとも微笑ましい光景だった。新十郎もいつの間にか笑顔になっていた。

 ふと、こんな暮らしもあと少しだと思い、新十郎の胸に複雑な思いが湧いた。二人を騙している後ろめたさも湧いた。これまで感じなかったことだ。


 だが、そんな微笑ましい雰囲気も、新十郎の複雑な思いや気分も、新兵衛の登場で吹っ飛んだ。

 友吉親子が田畑へ戻ろうとした時、新兵衛が開けたままにしてあった戸口から、せかせかとした歩きで入ってきたのだ。用は四日前に「大事な話がある」と言っていた件だった。

「明後日に御手附様(おてつきさま)がこの村へお見えになるから、おしんさんに唄と三味線でもてなしてもらいたいんだ。もちろん礼金を出すよ」


 手附とは、代官の配下である幕臣だ。この頃から二十年ほど前の寛政年間に新設された役で、それまでにもあった手代と職務は同じである。

 手代はわかりやすくいうと、後の世でいう契約社員のような立場で、年貢徴収という公儀にとって大事な役目の割に給金は安く、いつ失職してもおかしくなかったため、不正を行って蓄財するという問題が多く起こっていた。

 そこで生涯扶持の約束されている御家人ならば不正が減るのではないかと、無役の御家人減らしを兼ねて手附役が増設されたのだ。手代には地元の百姓や町民出身が多いのと異なり、幕臣、御家人であることが条件だから、ほとんどが江戸生まれの江戸育ちである。

 そして、この辺りを治める代官はほぼ江戸にいて、現地の対応は手附と手代に任せているから、責任は重いが、やろうと思えば好き勝手しやすい立場だ。それくらいのことは江戸を発つ前に新十郎は把握していた。


 新十郎の驚いたことに、新兵衛の話を聞いた友吉の顔に怒りが見えた。

「唄と三味線を聞かせるだけですね?」

 怒りの顔つきで新兵衛に詰め寄るように言った。

「そ、それは、もちろん……」

 新兵衛は友吉の怒りの気に気圧されている。

「おしんさん、気が進まなければ断っていいんですよ」

 新十郎に話しかける友吉の顔は心配そうな顔だった。手附が気に入れば、唄と演奏だけで済まなくなると心配しているのだ。

 ――前にもそんなことがあったということか……おいちさんは美人だったと、おろくさん、言ってたな……それが家出した原因?

「ご心配、ありがとうございます。唄と三味線を生計としておりますし、酔ったお客のあしらいもそれなりに慣れておりますから、たぶん、大丈夫です」

 視界の隅に伸びてくる新兵衛の手が見えていた。その手が己の手に触れる直前に、新十郎はピシリと叩いた。

「ほら、こんな風に」

 ニッコリと友吉に笑顔を向けた。

 新兵衛は友吉親子が田畑へ戻るのを待つつもりでいたようだが、友吉は用が済んだのだからと、新兵衛を自分たちよりも先に家から追い出した。

 友吉は見張るように戸口に立って新兵衛を見送っていたが、しばらくすると、おそらく新兵衛の姿が見えなくなったところで、新十郎に振り向いた。何か言いたげな顔だった。

 そんな父親を辰吉が不思議そうに見上げて言った。

「父ちゃん、急がないと今日中に終わらないよ」

「そうだな」

 友吉は辰吉の頭を一撫でし、一緒に外へ出た。

 最近の常でしっかりと引戸が閉められた。


 二人を見送ると、すぐに新十郎は奥の部屋に引っ込んだ。まだまだ眠くて仕方がない。

 手附や手代とは遅かれ早かれ会わねばならないと思っていたから、向こうからやって来るのはこちらの手間が省けたと、新兵衛の話を聞いたとき、新十郎は内心では喜んでいた。それに大体、出先の方が口を割らせやすい。

 ――明日は見舞いを口実に弥右衛門の家へ行こうと思っていたが、変更だな。三味線の稽古をしなければ……友吉さんはしなくていいと言ってくれたけども、居候の身だ。夜食の用意はしなければ……早めに戻ってきそうだしな……

 そんなことを考えながら、新十郎は布団を敷いて横になった。あっという間に寝入ったらしく、次に気がついた時には日が西の山の端に消える直前だった。



 新十郎の予想どおり、いつもより少し早めに友吉親子は帰ってきた。

 ゆっくりできる夜食時、辰吉は麓の町の様子を色々と新十郎に尋ねてきた。詳しく聞きたがる辰吉に、新十郎は、母のいちが麓の町にいるかもしれないと思っているのだと、気づいた。

 冷静に考えると、この時代に女が一人で婚家を出て実家や親戚の家に現れていないとなると、今頃、元気且つ幸せに暮らしている可能性はかなり低い。婚家を出た後に出会う人の人柄次第になるのだが、確率的には悪い奴に捕まる方が圧倒的に高いのだ。女衒のような輩がいちのような女を待ち構えている。その上、奥深い山の一人歩きは、獣に襲われる可能性も高くなる。


 友吉親子が引戸側の寝屋に入るのを見届け、新十郎が奥の部屋へ入ろうとしたら、さっと友吉が再び寝屋から上がり框へ現れた。怪訝に思い振り向いた新十郎に、そこにいてくれと言う合図を送ってきた。

 新十郎も気になっていることを確かめる良い機会だと上がり框に座った。

 新十郎の目の前に座った友吉は、昼間、新兵衛の前で見せた、心配している顔だった。

「手附様の饗応だけど、おいらは断った方がええと思う。思いもよらない嫌な目に遭うかもしれねぇんだ。今度、御見えになる手附様に悪い噂はねぇけど、手代様は隣村のお人だ。お江戸や都とはここらは人が違うけぇ……」

 新十郎はそう言う友吉の顔をじっと見つめていた。

「ひょっとして、おいちさんがここを出ていったのは、手附様の饗応に駆り出されたから、なんですか?」

 友吉の顔が強ばり、さっと土間へ身体の向きを変えた。

「手附様じゃねぇ……おいらが悪いんだ……おいちを守ってやれなかったおいらが悪いんだ……」

 友吉の肩が震え始めた。

「わたくしで良かったら、お聞かせください。あなた様が心に溜め込んでいるものを……」

 新十郎は穏やかに友吉の震える背に声をかけた。






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