その四
明け方の櫛間村に押込みがあった二日後の昼前、洗い立ての小紋を片手に様子を見に来たろくに、新十郎はどこかで馬を借りれないか尋ねてみた。
「馬借りてどうすんの?」
「わたくし、馬に乗れますので、麓の町へ行って買い物をしてこようかと。お陰さまで足の怪我はかなり良くなりましたし、お世話になった友吉さんやおろくさんにお礼の何かを買ってきたいなと……。必ず戻って参ります」
「へ~ぇ、馬に乗れるのかい!いろいろ芸事ができるんだねぇ」
ろくは感心した顔つきだ。
やっとうも得意でござんすよと新十郎は心の中で続けていた。
「芸事だなんて……普通に乗ることができるだけでございます」
因みに馬を走らせながら弓で的を射る流鏑馬もわりと得意な方の新十郎である。
「馬を走らせれば、明日の夜までに戻ってこれましょう」
「人をおとなしく乗せて走るような馬はこの村にいないと思うよ……気性の荒いのでも乗りこなせるなら、隣ん家にいるけど……」
それからおよそ一刻(約2時間)後、洗い立ての紫の小紋に着替えた新十郎は、頬かむりに尻端折りで馬に跨がり、麓の町へと馬を走らせていた。村を出るまではしおらしく横座りで馬を操っていたが、村人から見えなくなった頃に、しおらしさをかなぐり捨てた。
髪型は垂髪、着物は女の着付けのまま、体つきをごまかすのをやめているから、遠くからは女の成りで馬を駈る総髪の男に見えるだろう。三味線は必ず戻ってくる証しに友吉の家に残していた。杖を背負い、小柄は帯に挟んである。
村から十二分に離れたところで川辺に降り、素早く化粧を落として帯の結び方を変えた。
女物の帯を締めた男になるが、新十郎は、山中ではどう見えようと気にしていなかった。急ぐことが肝要なのだ。
ろくの隣に住む権太郎の雄馬は、日頃農耕に使われていて、人を乗せることに馴れていない風があったが、新十郎はすぐに手の内に入れてしまった。馬は人を見る。扱い馴れているかどうか、すぐに見極める。
小人目付といった御家人は歩兵部隊だ。しかし新十郎は同じ剣術道場に通っていた気の弱い旗本の子息の代わりに馬術を習っていた。別の旗本の子息が、旗本でなければ人と思っていないような頗る嫌な奴で、そいつの鼻をへし折ってやるという、負けず嫌いの気性からだ。馬場で颯爽と馬を走らせ、そいつを悔しがらせるのが楽しかった。そいつは生まれを嵩にきて偉そうにしていたが、何をやっても新十郎が上だった。新十郎から見たら、旗本の面汚しと思える愚かな奴だったが、そんな奴でも生まれた家の格から今では大御番士の役目についている。
馬に息を入れるために歩かせている時には、探索のことを考えた。友吉の家で七之助の戻りを待つ間にも考えていたが、何か見落としていること、考え落としていることはないかと考え直してみた。
目安箱の訴状。山賊である山嵐の二番手が名主一族の出であること。そのせいなのか、他にも理由があるのか、十年近く続いているらしい山嵐と櫛間村との関係。名主一族の弥右衛門の家が山嵐ではない賊の押込みにあったこと。少なくとも弥右衛門はそう主張していること。櫛間村を目前に新十郎と七之助が山嵐の襲撃に遭ったこと。そうした事実から出てくる様々な疑問をまとめて解決できる仮説をいくつか立てるのだ。仮説を立てたら、事実や出来事と矛盾や齟齬がないか確認し、次は仮説を裏付ける証しを見つける。
証を見つけるのが一番大変なのだが、これまでも新十郎はそうやっていくつもの厄介な探索を片付けてきた。
今回、幾つか立てた仮説に全て共通した点があった。代官所か、代官所に関わる人物が山嵐と繋がっているという仮説だ。山嵐から賄賂をもらっているのかもしれないし、弱みを握られているのかもしれないが、とにかく山嵐と代官所が何らかの形で繋がっているとしか考えられない。
そもそも山嵐の名は、事前に調べた時に全く出てこず、賊については、どこの土地でもあるように、櫛間村辺りでも時々追い剥ぎがあるという程度の話だった。麓の町でも山嵐の名を耳にすることはなかった。それが櫛間村へ近づいた途端に現れ、櫛間村では有名だった。
その状況をうまく説明できる仮説を、新十郎はまだ思いついていない。その点までも事情を説明できた時、訴状にあった村の秘密も不正もすべて明るみになるのかもしれない。ともかくも、七之助を見つけたら、代官所へ探りに行かせるつもりでいた。
――櫛間村へ来て以来、どうも調子が狂っているが、ここらでいつもの自分に戻らなければ……
そんなことも新十郎は思いながら、ポクポク歩く馬の背に揺られていた。
日が暮れる頃に新十郎は麓の町に着いた。そこは小さいながらも街道が通る宿場町で、旅籠と居酒屋は複数あり、日用品が一通り手に入る。
着くなり、新十郎は町に一軒しかない閉店間際の白粉や紅を売る店に駆け込んだ。白粉と紅を買っただけでなく、七之助が店に現れていないかも確認した。
「そんな感じの御方なら、確か……三日前にいらっしゃいましたよ」
旅籠に宿をとった後には、居酒屋を三件梯子して、七之助の行方と山賊の噂をそれとなく訊ねた。七之助らしい男は三日前に見かけた気がするという話しか出てこず、山賊の横行は、北の方ではあるようだが、この辺りではあまり無いという結果だった。
新十郎は旅籠の主人にも七之助の行方を尋ねた。行方が掴めるまで宿を片っ端から訪ねるつもりだったが、最初に尋ねた、新十郎が泊まることにした旅籠に七之助も泊まっていた。
「その御方なら、二日前の朝にお発ちになりました」
やはり真面目な七之助である。新十郎に使いを頼まれたその足で櫛間村からこの麓の町へ向かったのだ。そして丸一日町で過ごし、翌朝には櫛間村へ戻ろうと宿を出た。
となると、遅くとも昨日のうちに櫛間村に現れなかったのはおかしい。
――まさか、山賊に襲われた?
新十郎ほどでなくとも、それなりに武道に秀でた七之助が拘束されたか、動けないほどの怪我を負ったとなると、相手はよっぽど腕のたつ侍か、得物を持つ集団だ。この辺りでは盗賊ぐらいしか思い浮かばない。
山嵐か、弥右衛門一家を襲った賊か。後者は山嵐よりもっと荒くれ者揃いかもしれない。七之助は帰り道にそんな集団と運悪く鉢合わせて逃げ損ねたのか。殺られたとは新十郎に思えなかった。まだ若いが、七之助は既に何度も危ない目を潜り抜けてきているのだ。それだけの機転と技を備えている。
仕事が一つ増えたと、新十郎は思った。七之助を探す仕事が。
翌朝、旅籠を出た新十郎は、男物の着物と子供向きの着物を一着ずつ、古着屋で購入した。友吉と辰吉への贈り物だ。
自身のためには男女のどちらもよく着ている茶系の縞の着物と女帯としては細目、男帯としてはやや太めの紺地の帯を選んだ。紫の小紋にも合うと思っての選択だ。古着屋の隣にあった古道具屋では脇差と笠も手に入れた。脇差は、博徒が持つような二尺(約60㎝)近い長脇差だ。ろくのためには柘植の櫛を買い、馬を貸してくれた権太郎への礼には、ろくの助言に従って刻み煙草を買った。
それから新十郎は買ったばかりの着物に着替えて脇差と杖を腰に差し、笠を被って贈り物と小紋をくるんだ荷を背負い、再び馬に跨がった。
櫛間村へ戻る道をゆっくりと、七之助の痕跡がないか探しながら新十郎は馬を進めた。
道程の三分の一ほど進んだ頃に、前方を歩く三味線を抱えた女の二人連れが見えてきた。後ろ姿に見覚えがあった。二人とも七之助と共に加わった一座にいた女だ。
どうして今頃こんなところを歩いているのか。怪しいばかりである。
新十郎は馬に乗ったまま二人に近づいた。
二人の女は一斉に振り向いた。そして、新十郎の顔を見て目が輝いた。……と、新十郎は思った。よくあることなのだ。素顔の新十郎は、女達の大半が好感を持つ。新十郎があのしんとは気づいていない。
新十郎は女達を見下ろした。その時になって名前を思い出した。確か、紺と茶色の縞の着物を着た年上の方がまんで、青系でまとめた縞の着物を着た若い方はせんだ。前に会ったときに名前を聞いた新十郎は、語呂合わせでつけた芸名かと思わず聞き返してしまった。二人からは本名で、全くの偶然だという答えが返ってきた。
「どこへ向かっているんだい?この先に稼げる村はないと思うがね」
「旦那こそ、どこへ行こうとしてるんです?」
新十郎はにこやかに答えた。
「櫛間村だ」
「あんな村へ何しに?」
「面白そうな村だからさ」
女二人が顔を見合わせた。新十郎に向き直った二人の顔つきにはなにやら思惑がある。
「面白そうって?」
「なんでも山嵐という盗賊の拠点だそうじゃないか。そのお頭に会ってみたくてね」
「盗賊のお頭に会ってどうするんです?まさか仲間に入ろうなんて思ってらっしゃるんじゃないですよね?」
「そのとおり。ただし、頭と馬が合いそうならば、だ」
新十郎は女たちの思惑に乗った振りをして、こちらの思惑どおりにことを動かそうと思っていた。
女達はまた顔を見合わせた。向き直ると、
「旦那なら、お頭の方はきっと気に入るわ。その点はあたし達に任せて。あとは旦那の方が気に入るかどうかね」
「ほーう。お前さん達はお頭を知っているのだね」
新十郎は驚いてみせた。
「この辺りで商売しようと思ったら、挨拶しておかないといけないもの」
「それじゃ、繋ぎを頼む。手間が省ける」
自分達に任せろ、お頭の方はきっと気に入るというのには嫌な予感がしないではなかったが、七之助が盗賊のどちらかに囚われている可能性を考えると、まずはうまく伝手に出くわした山嵐のねぐらへ行ってみるしかない。
女達に名前を尋ねたら、前回同様、まんとせんだと返ってきた。本名なのだが、できすぎた組み合わせに誰も彼もが本名かと質してくると笑顔でつけ加えた。どうやら、少なくとも名前に関しては、嘘はないらしい。
一座の他の者達がどうしたのか知るために、新十郎はしれっと女二人で旅するのは危ないだろう、どこかの一座に入ろうとは思わなかったのかと、尋ねてみた。
「一座に入ってますよ。今は別に動いてるだけ。あたし達以外は、今日辺り向こうの山を越えて海辺の町に出てるわ。そこはあたし達の行きたくないところなの」
二人はあっけらかんと答えた。
「生まれ育った町か?」
新十郎の追及に、まんもせんも笑顔を見せただけで、答えなかった。
二人が新十郎を案内したのは、町から一山超えた所に現れる三叉路を、櫛間村へ向かう道とは反対方向にしばらく辿ったあとに林に入りこみ、獣道のような細い道を歩いた先に見えてきた廃寺だった。
寺は本堂と庫裡らしい建物が二棟建っているだけで、どちらもいくらか傾いて見える。
女達はまっすぐ庫裡へ向かった。
二人が踏み石から腰高障子が開いたままの部屋へ入っていくのを横目に、新十郎は井戸端に馬を繋いで水を与えてから、庫裡に向かった。庫裡に盗賊の連中がいるのかと思いきや、誰もいない。気配がない。不思議に思いながら庫裡へ上がると、まんが化粧箱のような箱を持って奥から現れた。
新十郎はあまりに見覚えのありすぎる箱に不吉な予感がした。
せんが新十郎の袖を引っ張り、まんの側へ行く。
「そいつはなんだい?」
答えを知っていながら、万が一のことがあると、新十郎は尋ねた。
「うふふ。あたし達が使ってるお化粧箱よ」
万が一はなかった。
「そんなもの、どうするんだい?」
成り行きが見えていたが、あえて新十郎は尋ねた。
「あなた様にお化粧してもらうの」
「冗談としては、イマイチだな」
「本気よ」
「何のために?」
「お頭に気に入られたいでしょ?」
「お頭にそんな趣味があるのか?」
「綺麗なら男でもお好きよ。本当のところは、女より好きかも……」
そんなことを言うまんと、横で頷いているせんの顔を新十郎は注意深く見ていた。そんな観察から出した結論を告げた。
「お頭ではなく、お前達の趣味ではないのか?」
まんとせんは、直後には驚いた顔を見せたが、すぐにキャーハッハッハッと高い声で笑い出した。
「旦那、鋭いですわね」
笑いやんだまんが言った。目は茶目っ気で輝いている。
「さぁ、用意しましょうよ。旦那なら、きっと綺麗に化けるわ」
綺麗に化ける。新十郎が前にも聞いたセリフだ。
新十郎が二人の本音を見抜いたのは、妻が同じような目をしているからだ。新十郎に化粧するときに。
同じく小人目付の家に生まれた、同い年で幼い頃からよく知る娘を妻に迎えて半年ほどたった頃、新十郎は小人目付の役目で初めて女装する羽目に陥った。夫が女装するなど嫌がるかと思いきや、新妻は嬉々として、手伝うというより、すべて仕切った。化粧から髪型から、着物に小物まで懲りに懲り、妻に色々と試されて着せ替え人形状態になった新十郎は呆気にとられ続けた。
その後、女装の楽しさにはまりこみ、自身でも化粧できるようになったが、今でも、ここぞというときの化粧は妻に任せている。今では三人の母親である妻は相変わらず嬉しそうに楽しそうに新十郎の顔に紅を塗ってくる。
一度、夫が女装するのがそんなに楽しいかと尋ねたら、
「あなたの化粧は楽しいわ。綺麗に化けるんですもの。悔しいくらい」
新十郎は妻の言葉に不気味なものを感じた。
――実は嫌がらせ?
女装した新十郎は、男にも言い寄られるが、女にも言い寄られる。面白いことに、そんな女達に男の姿で会いたいと言われることは稀で、むしろ化粧直しされたり、今度はこんな着物を着てはどうか、簪はこんなのが良いなどと煽ってくる。
人は皆、綺麗なものが好きなのだと言えばそうなのだろうが、そこには複雑な鬱屈した感情があるのではないかと、最近の新十郎は思っていた。
この男尊女卑の時代、女はなにかと虐げられている。虐げられているのは、女だけでもないのだが、とにかく成人の男中心に世の中が動いている。
女達の何割かはわからないが、普段偉そうにしている男が日頃軽んじている女の成りをすることに、町人が侍の失敗を喜ぶような、そんな気分になっているのではないか。十割当たっていないとしても、何割かは当たっていると、新十郎は思っている。
まんは化粧箱の蓋を開けて白粉をとき始めた。せんはしっかり両腕で新十郎の左腕を抱えている。腕に当たるせんの乳房の感触に新十郎の中の雄が反応していたが、絶対に二人の作戦にはまりこんではいけない、あのおしんだとバレてもいけないと気を引き締めた。
新十郎は目の前の二人の楽しそうな様子に、どうやったらこの窮地から脱することができるだろうかと、内心では天を仰いでいた。
ここは実力行使しかないかと、新十郎はついに心を決め、唐突に「やっぱり女装はごめんだ」と言い放ち、せんの腕を振り払った。そのまま素早く踵を返し、庫裡を出ようとした。追いかけてきたら、手刀を落とすか投げ飛ばすかして、気を失わせるつもりでいた。だがその時、複数の人の気配が近づいてくるのを感じた。
ピタリと腰高障子の手前で止まった新十郎の背中にせんの声がした。
「旦那は、なかなかできるお方のようですね」
まもなく十人近い男がぞろぞろと荒れ庭に現れた。山嵐の面々だ。全員、髭を蓄えている。前に出くわした時に賊の三番手だと思った浪人風体が先頭で、その後ろに目つきの鋭い頭と二番手の大男がいた。
やれやれ、これで化粧は免れたと、新十郎は思った。
頭は踏み石から庫裡にあがりながら、新十郎の顔をじっと見つめてきた。
新十郎は冷ややかにその目を見返した。
「化粧ばえしそうな優男じゃねぇか」
頭の予想外の言葉に、新十郎は思わず「は?」と間抜けな声が出た。




