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その三

 

 七之助は黙々と麓の町へ向かう山道を下った。

 友吉の家を出たのは八つ(午後2時頃)近くだったが、ここ数日野宿続きだから、朝まで待たず、夜を徹して歩き、翌朝に町へたどり着く方を選んだ。麓の町には大きな宿があり、風呂にも入れるのだ。

 ――天方さん、人を使うことにかけては御目付様より荒いよ、まったく!

 新十郎が渡してきた銭は白粉と紅を買ったら、たぶん、ほんの少ししか余らない。決して七之助の町での飲食を奢ろうというのではないのだ。足らないよりはマシだと思うしかない。

 村から麓の町までは片道だけで七之助の鍛えた足でも丸一日かかる。往復二日だ。その間、探索はもちろん停滞する。

 すぐ上の上司である徒目付からは十日以内に探索の目処を立てろと言われている。既に二日経ち、さらに二日間が町への往復で消えるのだ。しかもその間相方の天方は足首を挫いて動けそうにない。

 ――白粉や紅など、今回の探索に不要ではないか!

 七之助は命じられたことをきっちりと、余計なことはせずにやりたい真面目な性格だ。なのに、天方ときたら、いつも出だしはのらりくらりで、探索する気がないようにすら見える。女装に磨きをかけ、女に化けた姿に男達が涎を垂らすのを面白がっている。しかも、もともと整った顔立ちをしているから、素顔では……いや、女装していても、女達までも男と見抜いて天方にすり寄る。

 そんな女達も天方は男達同様に適当にあしらい、手を出すことはないようだが、そのとばっちりが時として様々な形で七之助に振ってくるのが腹立たしい。

 七之助が思うに、どう考えても天方とは性格的に合わない。なのに、上はよく天方と組ませる。


 七之助は十九で家督を継ぎ、小人目付として働き始めてまもなく天方と組んで探索を行うことになった。当時、四才年上の天方は、既に小人目付でも指折りの優秀な男と言われていた。

 優秀な先輩と組めるのはお前が見込まれているからだと父親に言われ、そうなのかと期待に胸膨らませて待っていた七之助の目の前に現れたのは、恐ろしく美人だが、恐ろしく厚化粧の芸妓で、さんざんからかわれた挙げ句に、その芸妓が先輩の天方だと名乗ってきた。

 男だということはすぐにわかったが、まさか先輩の天方とは思わず、最後の方はかなりきつい言葉をかけてしまったから、以後、七之助は天方に頭があがらなくなってしまった。

 そして、それが天方が芸妓姿で現れた理由だったと知った。

 探索自体は大きな問題なくこなせたが、天方にさんざんからかわれた七之助は、探索担当の小人目付としてやっていく自信がなくなってしまった。探索以外にも小人目付の役目は色々あるから、そちらに回してもらおうとまで考えた。

 ところが、上司の徒目付からも、小人目付の組頭からも、その要望は却下され、以後も何かと天方と組まされている。

 上の命令には逆らえない。

 そして、十五俵一人扶持という微禄の小人目付であっても、自分で家を絶やすことは気が咎めた。

 弟に家督を譲ることも考えたが、そんな兄の考えを察した、ただ一人生き残っていた弟は、さっさとある大名の家臣、陪臣の家へ婿養子に入ってしまった。

 七之助に残されたお役目と家督から逃れる道は、早く子供を作り、その子に家督を譲ることである。

 家督を継ぐ直前に親戚の紹介を素直に受けて嫁をもらっていたが、皮肉にもまだ子供はうまれていない。

「なんなら、うちの次男を養子に出そうか?」

 天方の申し出が七之助には脅しに聞こえた。言葉だけは丁重に、きっぱり断った。


 現状、天方から逃れる術は、さっさと白粉と紅を買って探索を再開し、一刻も早く村の秘密を突き止めることである。

 七之助は怒りと苛立ちを走る力に変え、山を駆け降りていった。



 七之助を麓の町へ使いに出した翌日、足首の腫れもいくぶん引いてきたので、新十郎は白々しくもまめまめしく、自分の汚れ物と共に友吉と辰吉の汚れ物を洗って干し、ざっと平屋の掃除をした。

 荷物は山賊に襲われた時に失ったから、着替えは持っていない。この時代の女の下着は腰巻きだから、ろくが持ってきてくれた替えの下着も腰巻きだ。下帯、いわゆる褌はない。

 女装時に何日も同じ下帯を身につけたままなのは気分的に良くないが、着けないのはもっと悪いと、替えは手拭いと髷を結っていた紐でなんとか対応した。そのあたりはやたらと機転のきく新十郎である。

 絞る時には、周囲に誰もいないことを確かめ、それなりに鍛えてきた男ならではの力を発揮して絞り上げた。特に自分のは早く乾かしてさっさと隠したい。

 辰吉の寝間着がほころびていたが、裁縫は大の苦手なので、素直にそう友吉に言い、放置している。


 友吉親子は質素な暮らしをしているから、新十郎にできることは少ない。余計なことをして迷惑をかけたくないと、新十郎は思っていた。もっとも、女装にかける手間は苦にならないが、他のことには面倒くさがりの新十郎だから、余計なことをする可能性はもともと低い。


 八つ半頃(午後3時頃)に無事に洗いたて、乾きたての畚褌を身につけ、着物を整えた時に人が近づく気配がした。

 歩き方で誰かわかった。新兵衛だ。

 ――一人で何しに来たんだ、あの助平野郎

 そう思いながら、新十郎は見当をつけていた。


「おしんさん、いるかね?」

 返事を待たずに新兵衛はさっさと引戸を開けて土間へ入ってきた。

 新十郎は杖を使い、ゆっくりと上がり框へ出て座った。

「これは新兵衛様。今日は何用でございましょう」

 新兵衛は新十郎の顔を見ると、涎を垂らしそうな顔つきになり、また慌てて股間に手をやった。

「いや、なにね、近くまできたものだから、どうしているかと思ってね」

 ――この近くにどんな用があるというのか。もう少しうまい嘘をついたらどうだ。

 新十郎は笑いだしたくなるのを必死に堪えた。

「足の具合はどうかね?」

「はい、おかげさまで少しずつ腫れがひいてきております」

「それは良かった」と嫌らしさ満点の笑顔で言いながら、新兵衛は新十郎の目の前に、振り向けば手が届く近さに腰かけた。

 思わず新十郎は少し後ろへ下がった。そのために上がり框についた左手に、素早く新兵衛が半身の体勢で左手を重ねてきた。顔つきは考えていること、丸出しである。

 ゾワッと新十郎に悪寒が走った。せっかちな野郎だと、心の中で罵りながら、張り手を食らわせたい衝動を必死に押さえ、新兵衛の左手の甲を右手でつねった。

「いてて……」

「お内儀さまに言いつけますよ」

 新十郎の言葉にも新兵衛は欲望丸出しの顔のまま「あれは大丈夫だよ」といい、さらに新十郎に迫ってきた。

 げーっと口から出そうになるのをなんとか堪えて新十郎は言った。

「あ!人が!」

 新十郎のとっさの嘘にも、新兵衛は視線を新十郎からそらさず、上がり框に四つん這いの格好であがってきた。さらに新十郎は後ろへ下がる。新兵衛は前に出る。

「おしんさん、あたしゃ、あんたを一目見た時からもう……」

 ――投げ飛ばしたい。こいつなんか、軽く投げ飛ばせる……殴りたい……殴り倒せる……しかし、それをやったら、不味い……俺の裸を見たら、盛り上がってる気分もナニも一気に萎えるだろうに、それをやるわけにいかん……

 さすがの新十郎も新兵衛の厚かましい助平ぶりにとっさにうまい手が浮かばない。もう殴り倒すしかないかと思った時、突然、新兵衛の顔が後ろへ下がった。

「な、何をする!」

 何が起こったかと思ったら、新兵衛は襟首を誰かにつかまれ、後ろへ引き戻されたのだ。

 新兵衛の後ろに立っていたのは、友吉だった。

「新兵衛さん、真っ昼間からひとん家で何をやろうとしてなさる?」

「と、友吉、おまえなんで、ここに……」

「忘れ物を取りに戻ったんですけどね、まさかうちの客人に……」

「お、おまえだけ良い目してるのは卑怯だろうが!」

 新兵衛の言葉の意味することがすぐにはわからず、新十郎はぽかんと口が開いたが、友吉もぽかんと口を開けて新兵衛を見下ろした。

 ようやく新十郎は日頃の自分を取り戻した。

「ちょっと、名主様、大きな勘違いなさってますよ。友吉さんはわたくしに名主様のように迫ってきたことなど、一度もございません」

「信じられるか!そんなこと!」

 ――お前は自分の尺度でしか他人を見れんのか!

 と言いたいのはなんとか我慢できた新十郎だったが、一言、言わずにいられなかった。

「友吉さんは、あなたさまとは違います」

 新十郎はぷいと横を向いた。

「おしんさんは嫌がってたんですから、無理強いはいけません」

 友吉は言葉は穏やだったが、新十郎が顔を戻すと、目つきは鋭く、新兵衛を完全に睨み付けていた。

 その迫力に新兵衛は怖くなったらしい。

「お、おしんさん、ま、また来るよ。大事な話もあるんだ」

「大事な話?おしんさんにどんな大事な話があると言うんです?」

 友吉が聞き返した。

「悪い話じゃないよ。生業に関わることだからね。それじゃ……」

 ――大事な話があるなら、手を握ろうとするよりそっちが先だろう……

 新兵衛は振り向かず、引戸は閉めずに足早に出ていった。

 そんな新兵衛の姿が見えなくなった頃にようやく友吉は新十郎に向いた。向いたと思ったら、頭を下げた。礼を言うつもりだった新十郎は先を越された。

「すまねぇ。あの人は、ほんっとになんというか……明日はおろくに新兵衛さんを見張ってもらうよ」

 ろく一家の田畑は、友吉の田畑と違って家の周囲に固まっている。友吉の家から見える田畑のほとんどがろく一家の田畑だ。友吉が何かとろくを頼るのはそのためだ。ろくなら農作業をしながら、この家を見張ることもできる。

「とんでもございません。お顔をおあげくださいまし。わたくしこそ助けていただきありがとう存じます」

 新十郎は両手をついて深く頭を下げた。頭をあげてから、友吉の顔を見つめて言った。

「ひょっとして、わたくしがここにいることで、友吉さんにご迷惑がかかっているのでしょうか?」

 友吉の顔が赤くなった。

「迷惑ということはないよ。勝手に話を作って楽しんでる連中がいるだけだ。新兵衛さんみたいにね」

「それは、そのぉ……」

「おいらは気にしてねぇから。じゃ、また田んぼへ行ってくる。そうそう、新兵衛さんは少なくとも今日のうちにはもう来ねぇと思うが、別の奴が来るといけねぇ。おいらが出ていったら、戸に心張り棒を噛ませておきなせぇ。戻ってきたら声をかけるから、すまねぇが心張り棒を外してくれろ。急がなくていいから。せっかく治ってきた足をまた痛めちゃいけねぇ」

「友吉さん……」

 その後には新十郎と目を合わすことなく、友吉はしっかり引戸を閉めて出ていった。


 友吉の足音が遠ざかっていくのを聴きながら、新十郎はここを出た方がよさそうだと思った。

 今さら男だとは言いづらいし、今度新兵衛が迫ってきたら、間違いなく張り飛ばしてしまうだろう。あの顔を思い出しただけで、虫酸が走るようになってしまった。

 ――探索のためにもその方が良いだろうな……

 そこで、探索が全く捗っていないことを思い出した。

 ――色々とマズい……七之助が戻ってきたら、本格的に動くか……


 新兵衛の厚かましさには、芸能で生きている者達への偏見があると新十郎は思った。この時代の芸能民は低い身分とみなされていたし、『おしん』が三味線と唄を生業としていると聞き、金を積めば芸だけでなく、身体も売ることがあると思い込んでいるのだ。金を持っている奴ほどそんな風に思い込んでいたりする。

 確かに中にはそんな芸妓もいる。だが、大半は金を積まれただけでは承諾しない。

 そして、新十郎はもちろん相手が誰であっても、女であっても、そんなことはしない。好きでもない相手との交わりがどんなに苦痛か、心の傷が後々まで残ることを知っているし、本気の女の恐ろしさも知っているからだ。


 素朴な夕飯だから、支度は味噌汁を作るくらいである。すぐに終わる。

 新十郎は土間にある釜で味噌汁をつくりながら、友吉親子の帰りを待った。

 内心では七之助の戻りを一番心待ちにしていたが、早くてもこの村に戻ってこれるのは明日の夜である。

 明日は、自分の目で少しでも村の様子を見ようと思った。昼時に友吉親子に握り飯を届けることを言い訳に。



 しかしその夜、村に大きな事件が起こった。押込みがあったのだ。押し込んだ賊は櫛間村出身のいる山嵐ではない。別の賊だという。山賊ではなく、単なる盗賊と思われた。慣れた手際からして、各地を渡りながら、裕福な家を襲撃し、盗みを働いている輩と思われるからだ。

 襲われたのが友吉の家からは村のほぼ反対側にある、半里(約2km)近く離れている家だったため、友吉親子も新十郎も、騒ぎを知ったのは夜が明けてからだった。

 襲われたのは年寄役のあの弥右衛門一家だ。幸い死人は出なかったが、弥右衛門もその妻も頭部を殴打され、暫くは安静にしていなくてはならないという。

 弥右衛門は賊について、少なくとも五人いたが、山嵐の連中ならば何人かの顔や声を知っているし、二番手の親戚である自分を襲うわけがないから、山嵐ではないと主張していた。被害額については、貯めていた金、五十両を奪われたと嘆いているのだが、全部盗られたのではなく、どうやら溜め込んでいる金の一部らしい。

 そんな事件の詳細を友吉親子と新十郎に伝えてきたのはろくだった。

 ろくによると、櫛間村が賊に襲われたのは約十年ぶりだそうで、事件を伝えるろくの顔色も悪かった。

「まさか、この村が盗賊に襲われるなんて!みんな信じられないでいるよ」

 友吉は深刻な顔をしたものの、事件の詳細を聞いても落ち着いていた。

「今まで運が良かっただけだ。ちゃんとおいら達で村を守る仕組みを作らねぇとな」

 その友吉の言葉に、新十郎は櫛間村は山嵐に守られていると、少なくとも村人はそう思っていたのだと知った。

 辰吉が言っていたとおり、山嵐は櫛間村を襲わない。と、同時に、あるいは結果的に、なのかもしれないが、村を守っていたようだ。

 新十郎と七之助を襲ったのも自分達と村を守ろうとしたから、かもしれない。

 ――すると、昨夜、盗賊が村に入り込んだということは、山嵐に何かあったということか?目安箱のあの訴状にあった村の秘密とは、そんな山賊と村との癒着?……を、わざわざ江戸へ出てきて訴えるか?

 新十郎の頭の中は疑問だらけになった。盗賊が荒らした現場を見たかったが、治りきらない足で半里近くも離れた家へ行く、上手い言い訳が思いつかない。片付けられた後になってしまうだろうが、七之助が戻ってきたら、調べさせようと思った。

 ところがその七之助、新十郎が村へ戻ると予想していたその日の夜も、翌日になっても姿を見せなかった。

 ――麓の町で羽を伸ばしてやがるか。

 と一瞬は思った新十郎だが、そんな行動は七之助らしくない。何か問題が起こったのだ。

 白粉はもう少ししか残っていない。

 悪いことはえてして重なるものである。






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