2-4. 捜査か復讐か
尚寝局の女官として華桜宮の庭園を掃除していたときだった、と美雀は言った。
李賢妃こと春霞と宦官が、こっそり逢っているのを見てしまったのだという。
【華桜宮の瀧の裏で、昼間っからイチャイチャしでだっぺ】
「その宦官、誰だかわかりますか?」
【いや。仮面を付げで顔が見えながっだがらな。ともかく、掃除の邪魔だっぺ!】
その場は退散した美雀だが、あとで再び掃除に来てみると、そこに耳飾りが落ちていたという。
拾って馬鹿正直に、『李賢妃さまが落どされだっぺよ』 と届けたがために、逢い引き現場を見てしまったことがばれた。
「けど、その程度で…… ひどいです!」
【そうだっぺ! 絶対に言わね、っで約束もしだのに!】
「約束までしておきながら…… 許せません!」
【んだんだ! 約束破り、ダメだっぺ!】
雪麗は、生まれは風の吹くように自由気ままな李家の人間だが、育ちは法と正義を愛する苳家であるがために、半分は苳家の気質を継いでいる。
自由気ままでいたいと切望しながらも、法と正義を守らねばならない、という気持ちも同じくらい強いのだ。
つまり、自身が死ぬのはまあ、ラクでさえあれば理不尽でも全く無問題だが、他人が理不尽に殺されるのは我慢ならない性格だった。
「さっそく」 【さっそぐ】
「宮正院に再捜査を」 【復讐だっぺ!!!】
「……え?」 【……え?】
雪麗と美雀は、顔を見合せ、そして。
―― 互いの認識の違いを、改めて知ったのだった。
※※※※
青い竜胆が両脇にぽつりぽつりと咲いている宮正院への道を、明明は小走りに進んでいた。
しばしば、話を聞いているかのように、うなずいたり 『はい』 と返事してみたりしているのは、背後を歩く主が、周囲から奇異の目で見られないようにするためだ。
なんとなれば雪麗は、先ほど明明が紹介された 『見えない楊美雀さん』 と、道みち、喧々諤々の議論を重ねているのだから。
「復讐は何も生みません。虚しいだけですよ」
【はぁー!? だったら殺されでも黙っで泰山府へ行げっでが?】
「そう思う気持ちはとてもよくわかりますが……」
雪麗は困っていた。
美雀の気持ちもわからないではない。
同じような怒りと恨みを、雪麗も覚えたことがあるからだ。確か、3回目の処刑のときだった。
これまで処刑が、いずれも春霞の企みのせいだったことを、春霞自らが 『ざまぁご覧なさい』 と言わんばかりに明かしてくれたのだ。
―― 3回目の回帰で雪麗は、生き残るために恋を諦め、ひたすら品行方正に暮らしていた。
なのに春霞は、皇太弟、浩仁と雪麗の噂をたてた。雪麗と浩仁の間で手紙のやりとりがなされていたかのように細工し、浩仁と雪麗がふたりきりで会ってしまうように仕向けて、いかにもそれらしく騒ぎ立てたのである。
それを聞いた瞬間に、雪麗は死んでも消えない恨みと怒りを抱いたのだ。ゆえに4回目に回帰した瞬間的から雪麗が味わったのは、身の裡に毒蛇を飼うような感覚だった。
毒蛇は雪麗を喰いあらし、苦しめた。暴れまわる感情がおとなしくなるのは、春霞に憎しみを向け、復讐をするときだけだった。
あの回帰では、雪麗はひたすら復讐に生き、結果、春霞を自死に追いやることができた。
これでやっと終われる …… ほっとしたのは、束の間だった。
雪麗は、気づいたのだ。
春霞が死んでも、裡なる毒蛇は消えないことに。
復讐という行き場を失くしたら、憎悪も怒りも、全て己れに向かってしまうだけだった。
『復讐のあとが虚しい』 というのは、実はあまりにも優しすぎる言い方だ。
あの4回目の回帰では、春霞が亡くなったあとも暴れ続ける憎しみと憤怒の情に耐えられず、雪麗は次の復讐先を求めた。
度重なる回帰の記憶の中で、もっともおぞましい記憶…… それは、雪麗の最後をいつも飾る残虐な刑罰の、いずれでもない。
―― 己に向けられていた、疑うことを知らぬ茶色の瞳を思い出す。
伸ばされた弱々しい小さな手を思い出す。
その手は雪麗の袖の下でしばらくの間かすかに動いたあと、ぐったりと力を失った。
本当は、誰の子とて関係なかったのに。
それは、全ての人の子がそうであるべきように、慈しまれ、育まれなければならない存在だったのに。
憎しみと怒りに喰い荒らされた己の心が、いかに残虐にいかに無感情になれるか ―― 思い出すたびに恐ろしく、しかしまた、決して忘れることの許されない出来事として、あの記憶は雪麗に深く刻まれている。
幾度処刑され、幾度時を遡っても、罪は消えない。
―― まあ、そうはいっても……
その後、5度目6度目7度目と復讐はやめてひたすら防御に努めた挙げ句に失敗して春霞による残虐刑終結を迎えるたび、 『やっぱり復讐しておけば良かった』 と、つい後悔してしまっていたのだが。
雪麗でさえそうなのだから、回帰など1度も体験しないまま幽霊になった美雀が復讐に燃えるのは、当然というものだろう。
(けれど、復讐が己のためにならないことは明白…… 余計な親切かもしれませんが、美雀さんはやはり止めなければ)
なにか折衷案はないものか、と雪麗が考え込んでいるうち、一行は宮正院の門についた。
明るめの黄土色は皇帝の色で、後宮においてどの宮の派閥でもないことを示している。
【復讐だっぺ! 生まれでぎだのを後悔するぐらいに、ぐっちゃぐちゃにしでやるっぺ!】
美雀の叫びを聞きながら、雪麗は、迎え出た女官に美雀の遺品の閲覧を乞うた。
まずはこの目で事実確認を、というわけだ。
だが、遺品のある倉庫へはすんなりとは案内してもらえなかった。
案内の女官が引っ込み、しばらくして出てきたのは、やはりというべきか、宮正院の副長であった。彼女が実質、ここのトップなのである。
ちなみに院長は、皇帝づきの太監のひとりが兼任しているが、滅多にこちらには顔を見せない。
「楊美雀の件ですか? 今さらどうしてでしょう、苳貴妃さま」
「あの者は後宮のものを盗んで売りさばいていたのでしょう? 仙泉宮の書も盗まれていないか、確認したいのです」
「遺品の中にあった書は、華桜宮に返却するよう言われたので、あちらに渡っていると思いますが……」
「ええ、ですから念のために」
宮正副長は疑わしげに、雪麗を見た。