2-1. 新しい出会い
「え……?」
雪麗はゆっくりと周りを見回し、そして悟った。
―― いる。
若干透けている、今の雪麗と同じ女官服の娘が、腰に手を当ててこっちをにらみつけている。
【あんた! どごの誰だが知らねが、よぐもあだすの名ぁ使っだな?】
『あだすの名』 とは、皇太子にとっさに名乗ってしまった死体の名 『楊美雀』 のことだろうか。
返事をしようか一瞬迷ったが、雪麗は結局、この場では無視することを選んだ。
どうやら、通りを忙しく往来しているほかの者たちに、この娘は見えていないらしい。うっかり返事などすれば、頭が沸いてると思われてしまう。
皇太弟が教えてくれた北の方角へ、黙ったままスタスタと歩き出す雪麗。
案の定、美雀の幽霊 (推定) はすーっと足音も立てず移動しながら、わめき立てた。
【ちょっ、ごら、あんた! 黙殺はないっぺ! もう死んでても辛いっぺ!】
「…………」
すたすたすたすたすた。
【ちょっと、何とがしゃべれ、っつうのよ!】
「…………」
すたすたすたすたすた。
【今さら見えでないふりしても、遅いっぺ!】
「…………」
すたすたすたすたすた。
【もう! あんまり無視しでっと、乗り移っでやっからね!】
ついにキレた幽霊が、冷たい手をすっと雪麗の首筋にかけたとき。
ようやっと、仙泉宮の黒壁の垣にたどりつき、雪麗は足を止めた。
中では、香寧のよく響く声が 『雪麗さまとはぐれたですって? どうしてお探しせずにのこのこと帰ってきたの、この役立たず! だから奴婢の食堂になど行くなと止めたのよ!』 と怒鳴っている。
おそらく仙泉宮の名の元となった泉のほとりあたりで、明明がこっぴどく叱られているのだろう。
「楊美雀さん。名前を勝手にお借りして、ごめんなさいね。のっぴきならない事情がありまして」
雪麗は垣の入口から中には入らず、美雀を振り返った。
「それと、乗り移るのはあまり、オススメしません。わたしは将来、処刑される身ですので」
【ふんっ。おおがた、掃除どきに監督女官の目え誤魔化しで、お宝盗んだんだろ。当たっとうだろがね?】
「盗みは、あなたのほうでは……」
雪麗は首をかしげた。
先ほど食堂で雪麗が小耳に挟んだばかりの情報では、後宮の盗人は楊美雀だったはずだ。
だが、雪麗が最後まで言い終わらぬうちに、美雀は頭をぶんぶんと激しく横に振った。
【盗んでない! あれは、あだすの書を売っただけ! なのにあいつら、逆恨みしやがって……】
「あいつら? どなたですの?」
【きまっでるっぺ! 李の女狸と、あの女男だっぺ】
雪麗は思わず、目の前で怒りを持って振り上げられている女官服の袖を掴んだ。空振りだった。
「美雀さん。その話、詳しく聞きたいです」
後宮で李の女狸といえば、おそらくは李賢妃 ―― 春霞だ。
『あの女男』 はちょっとわからないが、まあその辺の宦官だろう。
特に推奨はされていないが、宦官が女官と付き合うことはままあるし、夫婦同然に暮らしている者も別に珍しくはない。
であれば、妃が宦官に特別なサービスを要求することも、当然あり得るわけで……
実際、先帝の時代には、公主と仲良しの妃が、《《そのサービスを堪能し尽くした》》宦官を 『とってもお具合がよろしいので、おねえさまもお試しになって♡』 『では、あたくしからも♡』 と贈呈しあったという話まである。
まぁここまで大らかだったのは先帝の時代までで、現帝の代になってからは、クーデターの混乱を収めるためだろうか。やたらと窮屈な道徳が宮廷に取り入れられ、重視されるようになった。
すなわち、皇帝の妻である妃が (たとえ宦官とはいえ) 男をくわえこむなど、婦徳に反する重罪だというので、不義密通に準ずる処罰が加えられることとなったのだ。
なのでもし、春霞がどこぞの宦官から《《特殊なサービス》》を受けていたことが明らかになれば間違いなく、今回の回帰で罰を受けるのは、雪麗ではなくて春霞になるだろう。
よくて奴婢落ち、悪ければ処刑。
美雀から詳しく話を聞いておき、時機がくればこれをネタに春霞をゆすろう ―― 雪麗はそう、考えたのである。
「……そしたらきっと、これまででも一番ラクに死ねるはずですね…… はあ、うっとり」
危ない思考が口からだだ漏れている雪麗を、美雀は気持ち悪そうに眺めた。
【あんだがなに考えでるのがは知らねえけど…… まあ、話しでもいいよ】
「本当ですか」
【うん。あだすもこのままじゃ、悔しすぎて死にきれないしね】
「では、わたしと一緒にいらしてくださいね」
雪麗は嬉しそうに美雀の袖を引っ張ろうとし…… また、空振りした。