12-1. 朗報と凶報
黄鳳国の宮廷には、時を同じくして、2つの朗報と2つの凶報がもたらされることとなった。
良いことの1つめは、浩仁皇太弟と蕣徳妃の凱旋である。だがその知らせと同時に、清林宮の薇皇太后のもとにはもう1つの悪い知らせが届いていた。
―― 火器隊による皇太弟の暗殺を指示したのは、皇帝の信頼厚い宦官・暁龍 ――
良いことの2つめは、春霞の皇子出産である。半日に及ぶ苦闘の末、夜明け前にやっと生まれてきた赤子は色素が抜けたように白く、最初、息をしていなかった。
宮医は、皇子は長くもたないだろう、と告げた。
―― これが、凶報の2つめである。
その日から、雪麗は清林宮に泊まり込み、明明と交代で、春霞と皇子に付ききりになった。
明明には 「春霞が不安定なので」 と、くれぐれもひとりにしないよう言いつけてある。
もちろん、皇子を殺さないよう見張るためであるが、付き添ってみると実際のところ、春霞は驚くほど不安定だった。
「お姉様、どうして暁龍は1度も会いに来ないのかしら」
「暁龍は今、2つの罪に問われており、軟禁が続いているのですよ。会うのは無理でしょう」
この会話が、幾度も繰り返される。
暁龍が問われている罪のうち、1つは李賢妃との密通の件。
雪麗と浩仁が同じ疑いで処刑されたことを考えれば、軟禁は甘い措置といえようが、まあ、ことさらに騒ぎ立てる者がいなければこの程度だ。なにしろ皇帝のお気に入りだし。いろんな意味で。
ともかくも暁龍は、タイミングを見計らって赦免される予定であった。
が、そこに、2つめの罪 ―― 皇太弟暗殺未遂の疑いがかかり、軟禁はさらに続くこととなったのである。
だが、春霞の脳内では、雪麗=悪役 説が進行中らしい。
「うそ! お姉様が追い払ってるんでしょ!? 会わせてよ!」
【なぜそうなるんだっぺ!】
美雀が (見えても聞こえてもいないが) 春霞に向かって、あかんべーをした。
ちなみに浩仁の無事が確認できたのちも美雀がここにいるのは、 【雪麗さんが幸せにならないうちは、恩返しが不十分だっぺ!】 と泰山府君を踏みつけながら説得した結果だそうだ。
「まあまあ、春霞。それより、お乳の時間ですよ」
「もう眠いのに! どうして乳母をつけてくれないのよ……! どこまで意地悪する気なの!?」
ぶつぶつといくらでも不満がでてきそうな春霞だが、皇子を抱かせてやると、その表情は少々やわらいだ。
「ね、ちゃんと飲んでるのよ。弱いだなんて、ウソよね」
「そうですよ、春霞。あなたの力があれば、この子を立派に育てることもできますとも」
「わたくしの力…… あるのかしら、そんなもの」
「もちろんです。苦痛に耐え御子を生むだけでも、立派なことではないですか」
「ほんっとに大変だったわよ、あれは。お姉様には無理ね!」
「そうそう。乗り越えられたのは、春霞だからこそですよ。その力をもってすれば、きっと皇子も丈夫に育つことでしょう」
ほめておだてて適切にサポートして子育てさせる ――
これが、雪麗の作戦であった。
―― あまり知られていないが、歴代皇帝の子たちの死亡率は、実はけっこう高い。
母親が高貴な身分であれば乳母をつけるのが普通だが、乳母とて四六時中、赤子に付き合っているわけではない。
その結果、放置されて寒さで死ぬ、逆に寒いから窓を閉めたまま火を焚いて煙を吸ったあげくの中毒死、その他原因不明の死亡 (うち他の妃嬪の差し金が疑われるもの多数) …… と、とにかく、後宮で育てられる赤子はよく死ぬのである。
その死を有効活用しようと、ライバルに罪を被せて処刑させるなんてことも、宮正の過去の資料を調べてみたら怪しい事例が山ほど出てきた。後宮こわい。
防ぐためにはどうすればいいかを、これまでの回帰の中で研究してきて、雪麗がようやく得た結論が、これ。
すなわち、春霞自身の手で皇子を育ててもらうことだったのである。
春霞の現在の身分は側室としては最下位の才人。しかも行状を咎められて清林宮で軟禁中ではあるが、宮の主の皇太后は、子を生んだばかりの女をひどく扱うようなことはしない。
新しい帳の張られた清潔な室内で焚かれるのは、煙の出にくい上質の炭。
朝暮の膳や間食も賢妃であったころのものに戻し、女官も2人つけて、下にも置かぬ、と言ってよいほどのもてなしをしているのだ。
そのそばに皇子を置けば環境的にも安全であるし、春霞もやがては情が移って殺しにくくなるだろう ―― 雪麗はそう、予想したのである。
その効果は産後まもなくにして、すでに出ているようだった。
「―― あら、もう寝ちゃったわ」
もっと飲んでくれればいいのに、と赤子を見つめる表情は優しく、常日頃から身勝手に後宮を騒がせている女と同一人物とは、とても思えぬほどだった。
(このまま、しっかり見張りつつ適当におだてておけば、皇子殺害冤罪終結も回避ですね)
このたびはどうあっても回避しなければ、と、袖の下でそっと両手を握りしめて決意を新たにする雪麗。
―― 泰山府君に回帰体質を治してもらった今となっては、『ラクに死ねればそれで良い』 などとはもう絶対に言えない。
一度しかない人生だ。
あれもこれもと欲張ってあがいて、もっと生きたいと思いながら死んでいくような最期を迎えたい。
―― 具体的にどうするかは、まだ決まっていないけれど。
とりあえずは、目の前の望みを叶えるために、ひとつひとつ動いていくのだ。
もし失敗したら、きっと、てんこ盛り後悔するには違いないが ―― それでも、なにもせずただ処刑されるのを待つよりは、大いにマシな人生になることだろう。
「お疲れさま、春霞」
春霞から皇子を受け取り、しばらく注意深く抱いたあと、春霞のかたわらの小さな牀に寝かせた。
「あなたも、喉が乾いたでしょう。白湯がいいですか、それともお茶?」
「―― ねえ、お姉様。お姉様は疑わないの?」
「なにをです?」
「この子の父親…… 皇帝陛下も皇太后さまも、疑ってるから、一度も見にこないんでしょ?」
「さあ? それは知りませんが……」
雪麗はあらためて、小さな寝息をたてる赤子を眺めた。
赤子というが、どこをとっても色が白く、髪の色は陽光に透けるような金色だ。いまは閉ざされているまぶたの下の瞳も、明るく澄んだ色をしているのを、雪麗は知っている。
「誰が父親であろうと、この子には関係ないことですよ」
はい、と春霞に茶碗を渡す。
「白湯に、金柑の蜂蜜漬けを入れてみました。気に入るといいのですが」
「お姉様……」
「―― ん? どうしましたか?」
「ありがとう」
「どういたしまして」
ニッコリ微笑む雪麗の心のうちは、もちろん。
(やりました! 冤罪終結回避成功率、急上昇中ですね!) である。
そのとき、バタバタと忙しい足音が聞こえてきて、 「大変です、大変です!」 と明明が顔をのぞかせた。
「どうしたのですか?」
「さっきっ、そこで聞いてきたんですけど……っ」
息を切らしているところをみると、相当急いだようだ。
「なんと、なんとですねっ、もしかしたら間違いかもなんですけどっ」
「落ち着いてください、明明。はい、深呼吸」
言われたとおり、すーはーと呼吸を整えて、明明はなぜかキメ顔を作った。
「未明、皇帝陛下が、みまかられたそうです!」
【それ、実は本当だっぺ!】
―― 今度は、雪麗と春霞が驚く番だった。