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10-4. 天誅③

「千本紅桃李、照灼緑野辺 (たくさんの桃や李の花がまぶしくて、緑の野が()きつくされそうよ)」


 先日の競書で春霞が書いた詞と同じ類いの ―― もともと花街の娼妓が客に聞かせたことから(ちまた)に広まった、流行歌だ。


 古典のカビが生えそうな詩は覚えられなくても、こういうものなら春霞は得意だった。たぶん生まれる場所を間違えたのだ、と思う。

 本来なら花街の登楼で、何も考えず男に向かって股開いていたほうが合っていたのだろう。


「―― 余花任郞摘、慎莫罷我櫻 (ほかの花を摘んでもいいけど、わたしの花も忘れないでよね)」


 男に向かって 『浮気しても私のことを忘れないで』 と色っぽく訴えかける歌なのだ ――


 くすり、と男が笑みを漏らした。


「かわいいことをおっしゃる。忘れるわけがないでしょう?」


「あら。けど、わたくしがひとり寂しく寝てた夜も毎晩、あなたは(ぎょく)のお花をせっせと摘んでたんでしょ、どうせ」


 春霞は拗ねてみせた。立場が危ういのだ、謹慎は必ず守れ、と男から口を酸っぱくしていわれたからしばらく大人しくしていたが、その間、彼は(ふみ)のひとつも寄越してこなかったのである。


 彼女の耳に入ってきたのは、役にも立たぬ噂ばかりだ。 『昨晩は仙薬の効果がすごくて、たくさん飲まれて大いに乱れられたそうよ』 『腹上ならぬ……(自主規制)でねえ』 ―― と、いった類いの。


(これで拗ねないほうが、女としておかしいわよ)


 いやおそらくは姉の雪麗ならば 『いいえ、たまに思い出してくださるだけでもいいのです』 などとしおらしいことを言ってみせるのだろうが、あいにく、春霞は姉ではない。


「それに、あの尚寝女官の件。

 大経奉納のとき、お姉様たちが話してるのをたまたま聞いたんだけど……

 仙泉宮はみな知ってるじゃない? なのにどうして、まだ始末できないのよ!? お姉様も、あの侍女たちも…… 」


 女には気づかれぬほどにわずかに、暁龍は眉をひそめた。

 春霞は簡単に言うが、相手は最高位の妃とその侍女である。身寄りのない下級女官と同じように、サクサクと始末が進むと思うのが、間違いなのだ。


 一番は心理的に圧迫して自殺してもらう (あるいは自殺を誰も疑わない状況を作り上げたうえで殺す) ことであり、そのための仕込みはもうすでにしてあるが、なにぶんタイミングが悪い。


 それを発動させるのは、春霞の産み月が来てからの予定なのである ――



「焦らないでください、宝春(ほうしゅん)。それに…… 」


 暁龍はなだめるように、女の胸をまさぐり、口づけした。


「私は天子の玉佩(ぎょくはい)とその(ヒモ)を掴んでおりますが、天子はそもそも、私が玉佩(ぎょくはい)を持っていることすらご存知ないのですよ?」


「やだあ、下品!」


 玉佩とは礼服の腰につけるアクセサリーだが、それが暗に何を指すかは、言わずもがなである。

 春霞は一気に機嫌を良くした。皇帝が夢中になっている男を寝取っている ―― そのことに思い当たり、プライドが満たされたのだ。


 14、5の小娘のように足をバタつかせて笑い、そのまま膝を立てて(スカート)をたくしあげた。

 白い(ふともも)があらわになる。


「ねえ? じゃあこちらでやってみせてよ? いつもどうやって玉佩を扱ってるの?」


「しかしお腹の子が……」


「この子だって、わたくしが嬉しければ嬉しいわよ」


「では、少しだけですよ?」


 柔らかな肉のついた脚の間に、宮廷一と称えられる美しい顔が沈んでいくのを、春霞は満足げに眺めた。


 そのときである。


「陛下、お待ちくださいませ!」


「なぜ待つ必要がある」


 焦った侍女の声を踏み消すように、足音を響かせて寝所に入ってきたのは、皇帝そのひとだった。

 もともと仙薬の飲みすぎで赤黒くなっていた顔色が、怒りのためか、月明かりの中でいっそう赤い。


「これはどういうことだ、暁龍」


 ひっ、と息をのみ慌てて(スカート)をおろし、身を固く縮ませた春霞に対し、暁龍は余裕であった。

 ゆっくりと女の股から顔を上げ、薄い笑いをその形の良い唇に()く。


「ご覧のとおりです、ご主人さま。李賢妃さまの命で、無聊(ぶりょう)をお慰めしておりました」


「なんだと…… かようなことが、許されると思っておるのか」


「いいえ、本来なら厳罰ものでございましょう…… ですが、賢妃さまは妊娠以来、ご主人さまのお越しを今日か明日かと一日千秋の思いで待ち続けておられたそうですよ」


「 ……! うむう……」


「そのうえに、先日から大奥さま(皇太后)よりあらぬ不義の疑いを掛けられて謹慎を申し付けられ、すっかり気鬱(きうつ)となってしまわれたそうです」


「そうであったか……」


「申し訳ありませぇん、陛下……」


 ここぞとばかりに、春霞が泣き声をあげた。


「でも、わたくし、もう耐えられそうになくってぇ…… 本当に、ごめんなさいぃ…… どうか、お許しくださいませぇ」


「ご覧のように、李賢妃はこのようにかなり情緒が不安定なありさまでございます……

 そのため、御子にも悪影響が出てしまうと宮医からも判断されましたが、陛下が後宮を毛嫌いしておられるため、代わりに私が呼ばれたのですよ」


「それは、余の不徳のいたすところであるが…… 暁龍、そなた、実家の母を見舞うと申しておったではないか」


「お忘れですか? 私の帰るべき家は、もはやこの宮廷にしかないのでございますが…… 」


 うっ、と皇帝が詰まった。

 暁龍の祖国は、黄鳳に滅ぼされ、一族で残っているのは彼ただひとりのみである。

 少年の頃より共に育ち、我が真の友、唯一の兄弟、などと呼んできた宦官の、重大な生い立ちを完全に忘れていたとあっては、いかな天子といえども、謝るよりほかなかった。


「―― すまなかった、暁龍」


「いいえ。いいのですよ、ご主人様。

 それより、このように謹慎が続いては、李賢妃があまりに気の毒です。

 しかも不義の相手が私と疑われておりまして…… そのせいで私のほうも、業務に少なからず支障をきたして困っているところでございます」


「あいわかった。いまいちど、皇太后に掛け合うこととしよう」


 論戦ではしばしば、被害者ぶった者が勝つ ―― その典型のようなやりとりだ。


 このまま、暁龍・春霞がうまく皇帝をごまかしきるかに見えた…… が、なにごとも、そう思い通りには進まないものである。


「皇帝陛下…… 」


 突如登場した彼女は、常と変わらぬ、柔らかな笑みに柔らかな口調で、ゆるゆると義理の息子を諭した。


「申し訳ないですが、その件については何度お話いただいても、答えは同じですよ?」

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