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10-2. 天誅①

「雪麗さま! 杏花を連れてきました」


 小さな滝壺の底に落ち葉のたまる、うら淋しい光景の中をぶらぶらと歩いていると、明明が駆け寄ってきた。後からついてくるのは、明明と同じ年頃の娘である。若干、ふて腐れたような顔をしているのは、本人いわく生まれつきだ。

 今回、雪麗が華桜宮に来た目的は、この杏花であった。春霞の侍女ではあるがお互いに徹底的にそりがあわず、お使いに出されているのでなければ、隠れてサボっていることが多い。

 春霞への忠誠心の無さがはっきりしているこの娘の長所は、頭が回ることと、仲が良い明明の主である雪麗の頼みを喜んで聞いてくれるところであった。

 その割に、仙泉宮に移らないかというスカウトは断られっぱなしなのだが、これは実は杏花が蕣徳妃、紅蓮に憧れているためである。

 いつか煌蘭宮に移ることを夢見て、華桜宮のしるしである青い帯の端にこっそり、赤い糸で蓮と蘭の刺繍をしてさえいるのだ。バレたらただでは済まなさそうだが、春霞はそこまで細かく周りの者を見るタイプではない。よほどのことがない限りは安全だろう。


「これは、雪麗さま。こちらまでわざわざ足をお運びいただきまして、恐縮でございます」


「お久しぶりです、杏花。春霞が荒れて、大変でしょう?」


「いつもより、ほんのちょっとひどい程度ですよ。春霞だなんて、ほんと改名すればいいのに。まず春の喜びとはかけ離れてるし、(かすみ)だなんてたおやかなものでもないでしょ。あっ、霹靂(ヘキレキ)とかどうでしょうかね?」


「わあ、ぴったり!」 「不吉すぎますよ」


 明明と雪麗が思わず吹き出したところで、杏花は語調を改めてきた。


「それで、どういったご用件でしょうか、雪麗さま?」


「皇帝に直接、この文を渡してほしいのです。総監はもちろん、他の宦官を通すことなく…… できますか?」


「おやすいご用です。今ならちょうど、御苑散策の時間ですね」


 文を懐におさめ、杏花は思い切りよく地面を蹴った。塀のそばの桜の木の枝へ、ひらりと跳ぶ。


「ちょっと行ってきます!」


 木から塀に乗り移り、そこから身軽に飛び降りる。

 ―― この身体能力なら確かに、華桜宮の暮らしは合わないだろう。いや、仙泉宮も菊芳宮も ―― むしろ、煌蘭宮でなければ、もったいないかもしれない。

 そこで雪麗はしばしば、蕣徳妃に杏花を推薦しているのだが、蕣徳妃が春霞を毛嫌いしているため、なかなか実現しないのだ。

 杏花はじめ華桜宮の侍女たちには申し訳ないが、なるべくなら関わりたくない気持ちはよくわかる。


 その後、四半刻ほどで戻ってきた杏花は、雪麗に短く 「渡してきましたよ」 と告げ、庭園の奥へと姿を消した。謝礼を渡す暇すらない。


「蕣徳妃が帰ってきたら、もう一度、杏花を推しましょう」


「うまくいくといいですね。杏花なら、絶対に気に入られると思うんです」


「ええ。けどその前に、早く戦が終わらなければ…… 」


 雪麗と明明は静かに話しつつ、華桜宮をあとにした。


 ―― 種は蒔いた。


 あとは、収穫を待つだけだ。



 しかし、雪麗には迷いもあった。

 なんとなれば、今回の人生では復讐などせず、がっつり楽しむだけ楽しもう、と決めた割には、かなり復讐っぽい流れになっているからである。


 以前、復讐に燃えた4回目と比べれば、そこまで 『やってあげましょう!』 と思っているわけではないが…… 悪意なくこのような流れに乗ってしまっているほうが、よほど悪辣な気も、しないわけではない。


(だからといって、助けてあげるほど親切にする理由もないですし…… けど復讐はもう、たくさんではありますが…… )


【復讐じゃないっぺ!】


 出口を失って、ぐるぐると渦巻く思考を遮ったのは、仙泉宮の門の前から響く懐かしい声だった。


(美雀!)


【わあい、雪麗さんに明明さん! ただいま、だっぺよ! 】


 元気いっぱいの幽霊は、はずむように雪麗と明明 (には視えていないが) に交互に抱きつき、それから、厳かに宣言した。


【雪麗さん。それ、復讐でなぐで、天誅なんだっぺ!】



※※※※



 皇帝が気まぐれで手をつけた、下級女官の子 ―― それが、光の出生だった。当時の皇后もまた、下級女官の出だったが、スタートで遅れるというのはこのように惨めなものだろうか。

 一方が、ふたりの皇子の実母として寵愛をほしいままにし権勢をふるう陰で、もう一方は 『奴婢でありながら皇帝を誘惑した身の程知らずのふしだらな女』 として(そし)られ続け、失落した女官の掃き溜めとも呼ばれる浄衣院で、見舞う者もなく病死した。

 遺された皇子は 『流忘』 つまりは 『避妊措置忘れ』 の鬼子として、処分するように上から幾度となく通達されていたが、それを憐れんだ浄衣院長の太監が密かに隠し育てたのである。

 その後、隠された皇子の存在が明らかになり、殺すか遠隔地に封じるかの議論かまびすしくなったところで、慈悲深き皇后が 『子どもに罪はない』 と周囲を諭し、皇帝の実子として鳳の姓を与えさせ、自らの住まう清林宮に迎えた。

 そのとき、光10歳。義弟にあたる浩仁は未だ生まれておらず、光は皇后に実子同然に可愛がられ、皇帝からは学友とも侍従ともなるべき宦官の少年を与えられ、やっと穏やかな時を過ごしはじめたのであった。

 9年後、この不運の第三皇子が恩を仇で返すがごとくにクーデターを起こし、実の父とふたりの兄を死に追いやると ―― このとき予想していた者は、ほとんどいなかったに違いない。



「暁龍。暁龍はあるか」


 寝付けぬままに呼んだ名に、現れたのは別の太監だった。確か伏怡(ふくい)といったか。暁龍に気に入られ、とんとん拍子に出世した若者である。


「総監さまは今夜、外廷に出ておられます」


「…… そうだったな」


「お薬でしょうか、陛下」


「いやいい、さがれ」


「では、失礼いたします。ご用の際には、いつでもお呼びください」


 太監が去ったあと、黄鳳国現皇帝 ―― 鳳光は、ふところから紙片を取り出した。

 昼下がり、御苑を散策している折に、侍女らしき者が衛兵が止める間もなく駆け寄ってきて、その手に押し込んでいったものである。

 光は、紙片に書かれた文字を見ると、狼藉者をとらえようとしていた衛兵を止めた。彼女の帯は、青 ―― 華桜宮の色となれば、心当たりは大いにあったのだ。


 月明かりの下に紙片を伸ばし、書かれた文字をじっと眺める。


 丁寧に書かれたものではない。墨の破片が残って筆が引っ掛かっているのは、墨をする際に相当力を込めて荒くしたせいだろう。

 字は、継ぎ目がだらしなく離れているくせに、気宇(きう)は驚くほど狭い。《《へん》》と《《つくり》》がほとんどくっついていて、書き手の狭量さを感じさせる。

 汪氏ふうの、雄渾の気を感じさせながらも端正な書を好む光にとっては、とても受け入れられるものではなかった。

 ―― にも関わらず、先ほどから幾度も眺めてしまっているのはその文言のせいだ。


『 宝宝想見他爸爸 』

 ―― お腹の子がお父さんに会いたがっています ――

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