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9-6. 競書③

『 煮豆持作羹

  漉豉以爲汁

  萁在釜下然

  豆在釜中泣

  本自同根生

  相煎何太急 』


 ―― 豆がらを釜の下で燃やして、潰した豆の汁で豆を煮てスープを作る。釜の中で豆は泣いている。同じ根から生まれながら、なぜお互いをこんなにも痛めつけなければならぬのか、と ――


 黄鳳の隣でせめぎあう三国の1つ、興貴国の王子が、兄弟が王権を狙い相争うさまを嘆いて作った詩である。

 『七歩の詩』 との呼称は、読んで字のごとく、七歩あゆむうちに作られた、との伝からだ。


「美雀。そなたも、苳貴妃に対する李賢妃の態度には、心を痛めているのですね」


「えっ…… あ、ああ。んだな!」


 実は雪麗の身体に入ったとたんに空腹を感じたため、この 『豆のスープ』 の詩を選んだ美雀。だが、皇太后から言われてみれば、絶対に心を痛めているほうがカッコいい。

 なので、憤然としてみせた。


「李賢妃は、ひどいっぺ!」


「なんですって!?」


「ま、実は雪麗さんも《《たいがい》》だっぺがな? けっこう意地悪しでるっぺ?」


(えええ? そうでしょうか?)


 これまで8回の回帰(ループ)のたびに罠にかけられては処刑されてきた身としては、多少の嫌がらせなど生やさしいものだとしか、雪麗には思えないのだが。


「けど、やられだらやり返すっつうのは基本だし、李賢妃に殺された身としでは、あだすは雪麗さんの味方だっぺ!」


「こっ、殺してなんかいないわよ……!」


「あのなあ、李賢妃。普通の人間は、河につき落どされたら死ぬっぺ?」


「そんなの、泳げないほうが悪いのよ! そもそも、小虹河に落ちたくらいで死ぬのがダメなんじゃない!?」


 春霞、語るに落ちるとはこのこと、第2弾。美雀が城を囲む堀に落ちて死んだことなど、知っているのは調べた者か殺した (以下略)。


 皇太后は今度こそ、長いタメイキをついた。春霞は皇太后にとってもやっかいな子ではあるが、憎んでいたわけではない。今後のことを考えると、若干、気が重かった。


「―― さて、鑑賞はすみましたね。では、挙手…… 李賢妃の書が優れていると思う者は」


 ぱらぱらと手が挙がった。

 春霞の華桜宮の侍女たちだ。彼女らは、春霞の機嫌を損ねれば、あとで盛大な八つ当たりがあることを身をもって知っている。忖度しないわけがないのだ。

 しかし、ほかに挙手するものは全くいない。春霞の若干ヘタではあるが標準的な楷書のほうが、美雀のなした書よりもよほど読みやすいにも関わらず、だ。

 それほどに、美雀の行書とも楷書ともつかない斬新な書風は、題材とも相まって、その場にいた多くの者の心を惹き付けていたのである。


 ―― ちなみに、この挙手には、皇太后と妃たちは誰も参加しないことになっている。侍女たちの公平な判断に支障をきたさないようにだ。


「楸淑妃…… 」


 春霞のすがるような目に、この妖艶な美女は、ニッコリとどちらともつかぬ微笑みを返しただけだった。


「皇太后さまぁ…… ひいきですよねぇ、これって!」


 訴えられても、ここまで公平を期している以上は、どうしようもない。


「―― さて、では、苳貴妃に宿りし幽霊、楊美雀の書を優れていると思うものは」


 春霞のにらみつけるような視線に怯えながらも、おずおずとあちこちから手が挙がる ―― その数は、春霞の書よりも断然、多かった。

 騒ぎを聞きつけて見物に来ていた僧たちまでが、挙手しているからである。


「―― 一目瞭然、というところですね」


 皇太后のひとことに、春霞は憤然と 「ひいきよ! お姉様ばっかり、ずるいわ!」 と叫んだ。

 ちらりと春霞に目をやったものの直接には声をかけず、皇太后は穏やかに言葉を続けた。


「尚寝女官・楊美雀の不審死事件の再調査と、李賢妃の不義密通の疑いについての調査を、宮正に命じましょう。調査が終了するまで、李賢妃には謹慎を命じます。以上」


「やっただ……! ざまあみろだっぺ!」


 美雀が万歳をした。


「皇太后さん…… なんと、お礼を言っだら()えだが……!」


「お礼など必要ありません。不正は当然、正されなけばなりませんから…… 宮正がきちんと仕事するよう、人をやって監視させましょう。

 楊美雀、そなたの無念が晴らされるよう、願っていますよ」


「…… はい、だっぺ! ほんとうに、ありがとうだっぺ! ……です!」


 雪麗の視界がぐるりとめぐる。

 美雀が身体から抜け、雪麗と入れ替わったのだ。


【雪麗さんも、ありがとうなぁ!】


(いいえ。美雀の力ですよ。わたしも、嬉しいです)


 美雀が嬉しそうに笑った…… が、そのとき、雪麗は異変に気づいた。


 美雀の身体が、どんどんと透けていっている。

 ―― もともと雪麗にしか見えなかった幽霊だが、雪麗からも、見えなくなろうとしているのだ。


「―― 美雀!?」


【ああ…… どうも、もう時間切れだっぺかなあ…… 雪麗さん、楽しかったっぺ】


「いえ、まだ復讐終わっていないんでしょう!?」


【もう、いいっぺよ…… あだすの書が、認められたんだ。復讐なんがより、ずっと、良かったっぺ…… 雪麗さんのおかげだなぁ……】


「美雀……! 美雀、帰ってきてください、美雀……! 」


 周囲の目も、気にならなかった。

 急にいなくなるなんてひどいですよ、と、雪麗は何度も呼びかけた。

 だが、先ほどまで幽霊がいたはずの空間はちらりとも動かず、墨のかおりも、次第に薄くなっていってしまった。




※※※※




 大経奉納後の宮廷は、にわかに慌ただしく、そして、より殺伐としてきた。ただでさえ蕣于(しゅんう)の地の戦にカタがついていないところに、宮正の調査までが入ったからだ。


 ―― だが、雪麗は、どちらかといえばのんびりした日々を送っていた。


 美雀が去ってしまったいまとなっては、雪麗にわかることなどほとんどなかったためだ。

 侍女の香寧が宮正に、遺書の贋造を春霞に頼まれた件を証言した程度である。


 宦官のトップであり皇帝の寵愛深い総監、暁龍も李賢妃との不義密通の疑いで捜査されており、おかげで皇太后と皇帝の関係、ひいては宮廷内の女官と宦官の仲までがかなり悪くなる、という前代未聞の事態に発展してはいるが ――


「とりあえず明明。今日の食堂は、水餃子(ギョーザ)だそうですね」


「はいっ。女官服のご用意も、バッチリです!」


「香寧も一緒に行きましょうか?」


「お断りさせていただきます!」


 仙泉宮は、平和であった。

 そして香寧の態度は、少々柔らかくなっていた。

 

「いえ、そのですね…… 下級女官に混じるのがどうということではなく、宮の管理責任というものがございますでしょう?」


「わかっていますよ。香寧にも、ちゃんと持ち帰ってあげますからね、水餃子(ギョーザ)


「んまあ! 雪麗さまのお手をわずらわせるなんて、とんでものうございます! 明明、わかっているでしょうね!?」


「まかせて、香寧ねえさん」


「……………… ありがとう」


 香寧の差別意識がやわらいだのは、美雀のおかげだろう。


 ―― あの鮮烈な天才児を思い出すと、雪麗はいつも気持ちが晴れやかになるのを感じた。もうこの世にはいないことは、もちろん寂しくも腹立たしくも悲しくもある。だが……


(人間どうせいつかは死ぬんですよ。泰山府(あの世)とやらで、また会うこともあるでしょう。ね、美雀)


 心のなかで話しかければ、きっと、どこかで聞いてくれているような気がするのだ。


「さあ、ではいざ。食堂へ行きましょうか、明明」


「はい!」


 ふたり連れだって立ち上がったそのとき。


「苳貴妃さま、失礼いたします」


 皇太后付きの侍女が、部屋に入ってきて挨拶をした。

 相当、急いだのだろう。肩で息などしている。


「お出かけのところをおそれいりますが、皇太后陛下が至急、清林宮に参られますように、と…… 」


 雪麗と明明、そして香寧は互いに顔を見合わせた。


 雪麗の女官服姿を見ても、眉ひとつ動かさないのにはさすが皇太后さまの侍女、とほめたいところであるが ――


 この状況では、正直なところ、いやな予感しかしない。

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