表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
41/63

9-5. 競書②

 すっ、と置かれた筆先を、左側に押し出すように軸に力を込める。そのままの力で、今度は右に引く。横画だというのに斜め上に跳ね上がるような、右肩上がりの書 ―― 実はこれが、ゆっくりと慎重に運ばれた筆とは誰も思わないだろう。

 斬馬刀のごとく、太く鋭い字である。

 触れば血がしたたりそうなそれは、一般的な美しさというものからは外れて見えた。ときに歪み、ときに稚拙ですらある ―― だが。


 見る者の、胸を打つ。


 何か感想を述べようと言葉を探しながら、雪麗が言えたのは結局これだけだった。


(―― これは、興貴国の)


「んだ。 豆ス…… じゃなぐで、 『七歩の詩』 だっぺ」


 美雀は小声で雪麗に答え、それから 『はーい』 と手を挙げた。


「できたっぺ」


「まあ、遅い。遅すぎて眠くなったわよ、お姉さま」


 春霞が題材を思いついたのは美雀よりかなり後だったが、もう仕上げてしまっていたらしい。

 わざとらしく口許に手をやり、嘲笑を隠してみせている。

 どうやら、かなりの自信作のようだ。


「では、李賢妃から」


「はぁい! お願いしますぅ!」


 墨がまだ乾かないので、皇太后、楸淑妃をはじめ、侍女たちが次々と机の上の書を鑑賞していく。


 春霞の書は、若干ヘタではあるが、ごく平均的な楷書であった。狂草を装うなどして中途半端に奇をてらえば、かえって不利だと考えたのだろう。

 内容は、昨今の流行歌である。


『 打殺長鳴鷄

  弾去烏臼雀

  願得連冥不復曙

  一年常一暁 』


 この歌、もともとは、大体次のような意味だ。

 ―― 鳴き声の長い(にわとり)を打ち殺し、烏臼(ハゼ)に止まった()を弾き去れ。どうか夜よ、いつまでも続いて明けないでおくれ。1年のうち暁など《《ただの1日でたくさん》》だ ―― 


 つまりはなさぬ仲の恋人たちが 『三千世界の烏を殺し…… 』 といったノリで歌うものなのである。


 ―― 皇太后がタメイキを出る寸前で押し留めているのがよくわかる、と思ったのは、雪麗だけではないはずだった。


「李賢妃…… まず、この題材にした理由は?」


(ちまた)で流行している歌ですわ。妃たる者、民の生活もよく知っているべきじゃないですかぁ」


「―― では、これも存じていたのでしょうね。もとは花街の娼妓たちが歌い出したものだ、ということも?」


「えっ…… い、いえぇ? 知っていたような…… 知らなかったような……?」


 春霞はアホな子ではあるが、知っていたと答えても知らなかったと言ってもマズい状況であること程度は、瞬時に理解できた。反射神経はあるのだ。ただ、対応力がないだけで。

 ―― 先ほどまでの、どやぁ、と言わんばかりの得意満面は引っ込め、目を微妙にウロウロさせている。


「よぐ流行(はや)っでる歌ってのは、それだげ、たくさんの人が 『わがる』 って思ったっぺよ」


 助け舟を出したのは、意外にも美雀だった。


「誰が歌い出そうど、関係ねえっぺ?」


「そ、そうそう、そのとおりですわ! 民の心をとらえた歌なんですぅ!」


(…… 復讐するのではなかったのですか? まあ、美雀がそれで良いのでしたら、かまいませんけれど…… )


 美雀が 「ま、見てな」 と、ごく小さな声で雪麗に返事をする間にも、皇太后は次の質問を繰り出している。


「では、字を本来の歌と違えた理由は……? この 『雀』 は美雀を指すようにも思えますが」


「えっ…… どうしてわたくしがぁ、尚寝の奴婢のことなんて気に止めなくちゃならないんですかぁ?」


 語るに落ちている、春霞である。

 美雀が尚寝の下級女官であった事実など、この場できっちり記憶している者は限られているはず ―― 事情を知っていた者か、殺した者だ。


 だが皇太后はここでは敢えて(とが)めず、先へ進んだ。


「あとは 『一年()一暁』 ですが ―― これでは、意味が逆ではありませんか?」


「あっ……」


 本来は 『一年()一暁』 と書くべきであったことに、春霞はやっと気づいたのだった。

 『一年()一暁』 では、 『一年中《《いつでもずっと》》暁であればいいいのに』 というほどの意味になってしまう。


 美雀が 「な? 面白いっぺ」 と、なかなか意地悪な笑みを浮かべた。

 ―― つまり、先ほどの助け舟は、『どうせボロを出すんだから、恩を売って余計惨めにしてやろう』 といった魂胆であったのだ。人を 『尚寝の奴婢』 などとバカにしていると、思わぬしっぺ返しをくらうものである。


「この 『暁』 は、誰ぞのことを指しているのではありませんか、李賢妃」


「そ、そんなぁ…… ち、違いますよぉ…… 」


「…… まあ、良いでしょう。そちらを今、問うよりも、苳貴妃 ―― 美雀の手蹟()の確認が、先ですね」


「はい…… だっぺ」


 美雀の書をひとめ見たとたんに、皇太后は静止してしまった。見る者を斬りつけるような手蹟()に、言葉を失ってしまったらしい。

 しばらく見入ったのち、ゆるゆると口を開いた。


「そなたが、この題材を選んだのはなぜでしょう?」


「なんどなぐだっぺ!」


(やっぱり)


 そうだろうとは、雪麗も思っていた。

 だが、この返答はあまりにもひどい、と美雀も反省したらしい。うーん、と考え込んでいる。


「んだなぁ、()いで言うなら…… んだなぁ……」


 しばらく考えたのち、やっと、ぽん、と手を打った。


「きょうだいゲンカっでいっだら、やっぱりこれだっぺ?」


「なるほど…… そなたの嘆きが伝わるような書ですよ」


 皇太后が、深くうなずいた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『九生皇妃のやりなおし~復讐や寵愛は求めません~』 のタイトルでコミカライズ配信中! 原作にはないシーン多数です。違いをお楽しみください!
下記リンクからどうぞ!

Booklive!さま

ネクストf Lianさま

2024年9月1日より各電子書店さまにて発売

Amazonさま

コミックシーモアさま

ピッコマさま piccoma.com/web/product/167387
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ