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9-3. 皇貴妃と幽霊

 すぐに香寧は、我に返った。

 悲鳴を聞きつけて集まってくる人々の足音と気配がしたからである。こじれまくったプライドをずっと死守してきたキャリアは、ダテではないのだ。


「雪麗さま、申し訳のうございますが、すぐに、気を失ったふりをしてくださいませ」


 素早く雪麗に(ささや)くと、つ、と肩を押した。了解した美雀が、雪麗の身体から抜ける。ぐるり、と視界がひとめぐりする感覚。

 そのまま、雪麗は壁に頭を向けて身体を横たえ、目を閉じた。


 人のざわめきと足音が、どんどん近づいてくる。


「雪麗さま!」 


 ひときわ大きな声で駆け寄ってきたのは、明明だ。


「大丈夫ですか? 目をお開けください!」


「明明。揺すぶってはなりません。そっとして差し上げて」


「だって、香寧ねえさん……」


「大丈夫だから。気を失われているけれど、息はちゃんとあるでしょう?」


 泣きそうな明明に対し、香寧は落ち着きはらっている。


「雪麗さん……!?」


 皇太后が、急ぎ足で近寄ってきた。


「これはどういうことですか」


「申し訳ございません! お止めしようが、なかったのです!」


 香寧が土下座をし、明明がそれにならった。


「皆様がいなくなったあと、急に雪麗さまのご様子が変わられました。壁にこのような詩を書きつけ 『私は殺された女官の幽霊だ』 と言い、意識を失ったのです…… 」


 香寧の説明に、どの宮の侍女たちも、それぞれに息をのんだ。


「幽霊だなんて! 単に気がふれただけでしょうよ!」


 憎々しげに言うのは春霞。手帕(ハンカチ)をキツくにぎりしめた手が、細かく震えている。怒りのためか、それとも恐怖か……


「皇太后さま! せっかくの戦勝祈願の大経奉納で、このような騒ぎを起こすなんて言語道断ですよね? 苳貴妃には、厳重な処罰をお願いしたいわ!」


 楸淑妃がさっと横を向いて、口だけを動かした。


 ―― お・ま・え・が・い・う・な


 気づいた皇太后が、思わず吹き出しかける。笑いを噛み殺し、わざとらしくゆったりとうなずいた。


「そうですね。しかし、もう少し真相を究明したのちでなければ、対応は決めかねます。わかりましたね?」


「いいえ! こちらの落書きだけでも、苳貴妃の罪は確実ですわ! そのようにおっしゃるなんて、皇太后さまはお姉様をひいきされてるのかしら? けれど、公平に判断していただきたいところですわ!」


「ええ。もちろん、そうしましょう」


 再びうなずきながらも、皇太后はどうすればことを穏便に済ませられかを考えていた。事無かれ主義なのではない。

 はっきりいって、春霞よりは雪麗のほうを、よほど気に入っているのである。

 それにキャンキャンとよく吠える者の言いなりになって雪麗を処罰したような印象を周囲に与えるのは、避けたいところだった。

 ―― 春霞には、その辺のことが全くわかっていないのだ。


「ですが、ともかく今は ――」


「もう、我慢ならないっぺ!」


 皇太后の言葉を遮り、不意に、雪麗が動いた。


 目をぱっちりと開け、春霞をにらんでいる。その横では香寧が、顔色を変えていた ―― やっちまった。そんな気分だ。


 幽霊が乗り移った ⇒ だが書かれた詩は祝い歌 ⇒ これは戦勝を示唆(しさ)する瑞兆であり、(とが)めるには値しない ―― という論法で、うまくごまかす予定だったのに、台無しである。


「皇太后さん! なに黙っで、そこのズル女の言う《《そらごと》》さ、ハイハイ聞いでるだが!」


 それは皇太后の威厳のためだ。下々とは、同じ土俵で争わないのである。


「その女はなぁ…… 選妃試験で、袖に前もって答えさ書ぎづげで、作弊(カンニング)しでだっぺよ!」


「な……っ! 雪麗お姉様、本当に気でもふれたんじゃないの!?」


「黙れズル女め。あどなあ、書の試験では、宦官に前もって作らせだもんど、すり替えようとしでだっぺよ!」


「あれは……! あとでちゃんとやり直したわよね!?」


「それもまだ、宦官の書いだのに上から紙のせで、なぞっただけだっぺ?」


「そんなこと……!」


「まだあるっぺ! その腹の子は、皇帝さんじゃないっぺ。宦官の子だっぺなぁ……?」


「陛下を侮辱する気? 許さないわよ……!」


「侮辱しでるのはそっぢだっぺ! 許さねえのはこっぢだっぺ! よぐも、あの顔だけは絶品な宦官と《《ぐる》》になっで、あだすを小虹河へ突ぎ落どし…… 」


 たまりかねたのだろう。春霞は、わけのわからない大声を発しながら、雪麗につかみかかっていった。楸淑妃が面白そうに見守り、ほかの侍女たちはいっそう、騒然となっている。だが、春霞を止める者はいない。この身勝手な妃には、誰も関わりたくないのだ。


「おやめなさい」


 場をおさめたのは、皇太后の凛とした声だった。


「それが妃たる者の振る舞いですか」


「だってぇ、皇太后さま……」


 振り向いた春霞の手には、雪麗の長い黒髪が握られている。


「お姉様ったら、気がふれたフリをして言いたい放題じゃないですかぁ。作弊(カンニング)に不義密通に、挙げ句には女官殺しだなんて…… 」


「まあ、どれも事実だっぺがな!」


「そんな、ヒドイ……」


 両手で顔を覆い肩を震わせる春霞に、楸淑妃がまた、横を向いた。


 ―― い・ま・さ・ら・被・害・者・ぶ・って・も・ね


 淑妃の唇の動きを読んだ皇太后は、再び吹き出しかける。あわてて咳払いし、穏やかな微笑み仮面をかぶりなおした。その間わずか2秒ほど。


「では、こうしましょう ―― いえ、その前に。そなた、楊美雀というのですか」


「はいぃぃ…… だっぺ! です!」


「以前、そなたとは話したことがありますね。この大経奉納を提案してくれたのは、そなたでしょう」


「はいっ、おそれいりますだ! です!」


 楊美雀を名乗った雪麗は、土下座してペコペコと頭を下げている。その動作からしてすでに、普段の苳貴妃ではあり得なかった。


「どうして、苳貴妃に取り憑こうと?」


「それは苳貴妃があだすの名をかた …… じゃなぐで、あだすの話を聞いてくれで、もし本当ならとんでもねえ、っで、ちゃんと調べてくれだがら…… 嬉しぐって」


「お姉様、いい加減にしてよ! そうまでして、わたくしを(おとし)めたいの?」


 春霞が金切り声をあげた。が、皇太后の 「おだまりなさい」 のひとことで、仕方なく口をつぐんだ。その目は、雪麗をにらみ続けている。


「選妃の折の破体の書もそなたか?」


「は、ええど、その…… 」


「正直に答えればよいのですよ。その件で雪麗さんを処罰はしませんから」


(そうですよ、正直に答えてください! あの書は美雀さんのですから)


 雪麗が押すのは、美雀の才能に心底、惚れ込んでいるからだ。

 生前の美雀は、あくまで贋書家であり、掃除係の女官に過ぎなかった。しかし雪麗は、美雀を、才能ある書家として初めて認めてくれたのだ。

 美雀が、雪麗のそばに居続けたのは、復讐のためだけでなく、その恩返しがしたかったためもある。恩人に、迷惑をかける真似はしたくなかった。


「ほんとに…… いいっぺ?」


(もちろんです。美雀のすごさを、世に知らしめなければ……!)


「うん…… わがっだ」


 美雀はついに決意を固めた。

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