7-3. 贋の恋文
「あれっ!?」
ここで、すっとんきょうな声をあげたのは、雪麗の侍女、明明である。
いつもならとっくに退がっている時刻だが、急な贈り物の調達のために残業していたのが、幸いした。
「でも私、それ、杏花に頼まれたんですよ? 司薬に行く途中ならついでに、って」
「そもそも、仙泉宮ではそのような高価な紙は使っておりません」
香寧もきっぱり断言した。
「肥えた商人たちにお金を回すよりも、貧しい者に施しを…… と、雪麗さまは日々おっしゃっておられますので」
【集字だな。下手ぐそすぎで、お話にならねえっぺ!】
美雀も、叫んだ。
『集字』 とは、贋書づくりの手法のひとつだ。複数の書の中から文字を拾って写しとり、全く違う書を作成する方法である。
春霞は、これまでの雪麗からの文を使って、この稚拙な恋文を作ったのだろう。
【いちいちは雪麗さんの手蹟のようだけんど、字のリズムもバラバラなら、つながりもなってないっぺ! 許せねえだ!】
【あだすなら、もっど上手ぐ作れんのにぃ!】 などと、地団駄踏んで悔しがる美雀。敵に回すとけっこう恐いかもしれない。
ともかくも、思いがけない援護を受けて、雪麗の気分はすっかり落ち着いた。
「にせものです。もし、わたしがこのような内容の文を送るのでしたら、簡単にはわからぬように詩に隠しますもの」
「…… まあ、そんなところだろうと思ってました。おそらくは、華桜宮の逆恨みでしょう。静観するか、皇太后さまに訴えるか……」
「静観しましょう。枝葉を斬っても、害草はまた生えてくるものですから」
「苳貴妃には、なにか、考えがあるんですね。…… では、私はこれで」
「お待ちください、皇太弟さま」
引き止めたのは、名残惜しかったからではない。
これまでの回帰では、事情を説明し早々にお引き取り願っても、結局は仙泉宮から出る浩仁の姿を春霞たちに見られ、騒がれていたからだ。
事実無根であっても、騒ぐほうはきっかけがありさえすれば、いいのである。
「今、お戻りになるほうがまずいかもしれません。罠の可能性がありますから」
「しかし、このままこちらに泊まるわけにも…… すみません」
言いながら、浩仁はまた、耳まで赤くなっている。いったい何を想像したのか。
「夜更けてお戻りになるのでも、お泊まりになるのでも…… 周囲が納得する事情があれば良いのです」
雪麗は、ふたりの侍女をふりかえった。
「明明、香寧。すみませんが、もう少し残ってくださいな?」
「はいっ!」 「かしこまりました」
雪麗は、これまで無意識のうちにも厳しい苳家の教えに従い、全てを自力で解決しようとしてきたところがあった。
それが、ここ最近、雪麗自身も気づいていないが、少しだけ周囲を頼りにするようになってきている。
何年仕えても主従の間に立ちふさがっていた壁が、くずれはじめている…… それが、侍女たちには嬉しかった。
絶対に変わらないものなんて、滅多にないのだ。
「―― では次。 『両人対酌山花開、一杯一杯復一杯』 …… 」
「はい…… あ。失礼いたしました、皇太弟殿下」
「いいえ、こちらこそ失礼しました。お詫びのしるしに、こちらの札は譲りましょう、苳貴妃さま」
「もとから雪麗さまが先でしたよ、殿下!」
不覚にも浩仁と手が重なってしまい、心臓が跳ね上がったのを悟られないよう、なるべくさりげなく手を抜く雪麗。
浩仁の物慣れた返答に、意識しているのは己だけか、と情けないようなほっとしたような気分になった。
だが、明明の容赦ないツッコミが微妙な空気を消し、仙泉宮の客間は和やかな笑い声に包まれる ――
こうこうと灯のともされた空間で、雪麗と皇太弟は、侍女たちと紙牌遊びに興じているのだ。
古今の名詩と呼ばれるもののなかから、起承転結の4句で詠まれるもののみを集めた 『絶句紙牌』 ―― 句は起承と転結の2句ずつに分けられており、読み札が起承の句、取り札が転結である。
「次です。 『江碧鳥愈白 …… 』 」
今、札を読み上げているのは、皇太弟付きの宦官、九狼。
侍従となると宦官の中でもエリートであり、容姿よく声の美しい者が選ばれる。彼の声もやや高めだが、さながら玉を転がすような硬質な輝きを帯びていた。
じゃあん、と鐘の音が聞こえたように思い、雪麗は耳を澄ませた。
―― 間違いない。
後宮と北側の外苑を隔てる玄武門の鐘楼が、時刻を知らせているのだ。
鶏鳴の鐘が鳴れば、夜が明けるまではあと数刻―― これまでの回帰の経験からいえば、春霞と暁龍も諦めている頃だろう。
「そろそろ良さそうですね。お開きにしましょう」
「えっ。まだ途中ですけど?」
「明明、ちょっと。侍女がそんな態度でどうするんですか」
「だって、香寧ねえさん」
「そうですよ、明明。夢中になるのもわかりますけれど…… もう、双六も碁も、したでしょう」
「だって、雪麗さまだって。お忘れじゃないでしょう?」
びしり、と明明が指すのは、ついたてに掛けた女官服だ。
「負けたほうがアレを着る約束…… つまり私たちがこの紙牌で勝てば、皇太弟殿下が着てくださるんですよ!?」
「こら、明明。無礼ですよ」
香寧が慌ててたしなめたが、そもそも言い出したのは、洪仁自身である。
ゲームに先立ち 「なにも賭けないのは面白くないが…… 」 という話になり、そこから 「では、負けたほうが女官の装いをする、というのはどうですか?」 ときたのだ。
―― つまり、バレてることをさりげなくバラされたのである。
なにがバレてるのかといえば、雪麗が女官姿で明明と司膳の食堂に潜り込んでいたことに、ほかならない。
雪麗、香寧、明明は主従ともに内心冷や汗をかいたものの、相手が明確に咎めてきたのでない以上は、こちらもにこやかにスルーするしかなく…… 「まあ、女官姿に? 面白いですね」 と、浩仁の提案に乗っかったのであった。
もっとも、浩仁が負けても本気で女官姿などさせるわけにはいかない。適当な理由をつけて別の罰則に切り替える所存だったのだ。
―― だが、ここにきて雪麗は、深くうなずき、ぽん、と両手を打った。
「ああ、その方法がありましたね」