6-4. お守り
―― 浩仁の出陣は、雪麗のこれまでの回帰を通して初めてのことだった。皇太后も言ったとおり、浩仁は近侍の長であり、皇帝を守るのが仕事であるからだ。
だがしかし、今回は。
「浩仁殿下はまた、皇太弟でもあらせられます」
暁龍の口車に、皇帝はあっさりと乗ってしまった。
「土真など恐るるに足りません。ここらで浩仁殿下に戦を指揮していただき、将来の皇帝としての経験と功績を積んでいただくのが賢明でしょう」
皇帝、鳳光と皇太弟、鳳浩仁 ――
母親の違う兄弟であるふたりの仲は、外部からは色々と取り沙汰されているが、現実には良好である。そう見えるよう、兄弟ともに最大限の努力を払っている。
暁龍はそこをつき、皇太弟を蕣于に送ることを進言したのだ。
なぜ、今回の回帰に限ってか、といえば。
(春霞の不正が、九狼を通して皇太弟にバレた……? そのことがまた、暁龍に伝わった…… といったところでしょうか)
雪麗の予想のとおりである。
選妃試験に派遣された際、皇太弟づきの宦官である九狼は、春霞と暁龍の不正の一部始終を目の当たりにした。
春霞が最終面接の場での書のやり直しを求められた際に、暁龍が机にこっそりと書を用意させ春霞が上からなぞって提出した、アレである。
宦官の一枚岩の結束を信用してか、暁龍は九狼に対して特別な隠しだてもしていなかった。
しかし九狼は、花街の跡取りになるには飽きたらず、自力で上まで登ってやると、自ら宝をちょん切って宮廷にやってきた猛者である。宦官のトップである暁龍に対しても 「下につくよりは追い落とそう」 と考えるのは当然のこと。
そして九狼が告げ口した結果、春霞と暁龍の不正は浩仁皇太弟の知るところとなったのだ。
―― つまり、皇太弟が皇太后に春霞の降格を進言したという噂は、事実だったのである。
それを知った暁龍は、戦にかこつけ
て皇太弟をしばらく遠隔地に送り、ほとぼりを冷ますことを画策した、というわけだ。
雪麗 9回目の回帰で浩仁の出陣という事態が初めて発生したのは、選妃にて春霞が書のやり直しを命じられたのもまた、これが初めてだったからに過ぎない。
(春霞への、ちょっとした嫌がらせのつもりでしたのに…… こんな事態を引き起こしてしまうなんて)
皇太后と皇太弟の前であるのに、つい、どんよりと落ち込んでしまいそうになった雪麗。
だがその表情を、皇太弟は誤解した。
「心配要りませんよ、苳貴妃」
優しい眼差しが己に向けられていることは、うつむいていても雪麗にはわかった。
「すぐに戻ってきますから」
わたしも参れましたらよろしいのに。
喉まで出かかった言葉を、雪麗は飲み込んだ。
大丈夫、と己に言い聞かせる。
―― これまでの回帰では常に、戦は黄鳳国の勝利、という形で終わっていたのだから。
「では、お戻りになる前までには、大経奉納を済ませられるよう、努力しますね」
「お願いしますよ。私の…… 私と蕣妃のために苳貴妃が祈ってくださるなら、まさに千人力ですからね」
「皇太弟さま、それは買いかぶりというものですよ? もちろん祈っておりますけれども」
「それなら…… お守りをいただけますか?」
「お守りですか? 明後日の未明に発たれるのでしたら、手配する時間が無いように思いますけれど……」
「いえ、そのような本格的なものでなくていいんですよ、苳貴妃」
「はあ……?」
困惑する雪麗の耳に、浩仁が素早く囁いた。
「たとえば匂い袋で。いくつか持っておられるでしょう? 最も要らないのでいいんです」
黄鳳国では、宮廷の貴人や上級女官は独自でブレンドした香木を入れた匂い袋を常に肌身離さず持っている。
妃どうしや家族どうしでは、ちょっとした贈り物としても人気があるため、確かに雪麗もいくつか持ってはいる。
しかし、要らないものでいいから、と言われても、皇太弟相手にそれはできない相談だ。いろんな意味で。
「要らないものなど、とんでもないことでございます。もちろん、《《新品を》》お贈りしましょう。勝利を象徴する香を、急ぎ調合させます」
「いえ、本当に、使い古しでも良いんですよ」
「そのようなこと…… わたしが困ってしまいます」
ここで、皇太后が話の流れを察したらしい。
「これ、浩仁」
たしなめるようでありながら、口元にはより深い笑みが刻まれている。
「雪麗さんを気に入るのはわかりますが、口説くのでしたら、双方の立場を、なんとかしてからでないと……」
「いえ、母上。そのようなことでは」
「もしあなたがたが本気なら、協力するにやぶさかではありませんよ?」
【そうだっぺ! あだすも協力するっぺ! 雪麗さんだって、浩仁さんのほうが、皇帝よりよっぽど良えっぺ?】
美雀は何も知らずに尻馬に乗って騒いでいるが、実のところ皇太后の 『協力』 は深く考えると怖すぎるのである。