5-5. 最終面接④
これまで雪麗は、どの回帰であっても、結局は春霞との姉妹喧嘩にすぎぬ個人的なもの、と考えてきた。
勝っても負けても国家レベルで見れば大したことのない話、との考えに至ったからこそ、9回目は楽しく生きてラクに死ねればそれでよい、とのんきに構えていた。
だが、春霞が宦官を動かして下級女官を殺害し、また皇帝・皇太后をたばかっていたとなると…… それは話が違う。
つまり春霞はうまくやりさえすれば、雪麗の死後に宮廷を牛耳るほどの権力を持つ可能性がある、ということなのだから。
(あのようなアホな子が陰の権力者だなんて…… 全ての民に迷惑ではないですか!)
もし、額の紫水仙にまだ縛られていたのなら、宮廷を乱そうとする禍を見てみぬふりなど、雪麗には到底できなかったはずだ…… だが、しかし。
幸か不幸か、呪符はもうなく、雪麗の中では苳家の教えより李家の無責任な血筋のほうが若干、勝った。
(まあ、ですけれど。なるようにしか、なりませんよね)
8回も処刑されているうちに、雪麗には諦念とも呼ぶべきものが生まれていた。
雪麗ひとりでできることなど、たかが知れているのだ。なのに、どろどろの争いや復讐に身を投じて、なにになるというのだろう ――
面接の最後は、妃位の最も高い貴妃、雪麗だ。
学問試験は雪麗の場合、完璧が当然であり、大した話題にもならない。
だが、今回の書には、皇帝・皇太后ともに目を奪われたようだ。
「完璧な破体の書ですね。一字一字が、わずかずつ表情を変えつつ破綻なく連続している ―― 一年四季の細やかな変遷が見事に紙の上にあらわれているさまに、深い芸術性を感じます」
「季節の移り代わりが墨のみで完璧に表現されているがゆえに、それ以上の大きなものを感じるのであるな。
さながら、天地の間にある世界全てを見る心地がする」
「過分なおほめの言葉、まことに、おそれおおいことでございます」
しかし実際にこの書をなしたのは美雀である点で、ほめられても申し訳ない気がするのだが……
美雀からは休憩中に散々、 【バラしだら恨むっぺからな!】 と口止めされているため、雪麗が事実を明かすわけには、いかなかった。美雀はよほど、浩仁からの御褒美がほしいようだ。
「実に素晴らしいぞ、苳貴妃よ」
「まことに」
「―― ありがとう存じます」
かしこまる雪麗の脇では、美雀が暁龍に向かって腕を振り回している。
【ズル女ど一緒にあだすを殺した宦官、絶対にあいづだっぺ! 復讐だっぺ! まずは、あだすの遺書を偽造した奴がら、探すっぺ!】
だが雪麗は、美雀の主張を完全無視した。
雪麗が美雀のためにしてあげたいのは楽しい幽霊生活のお手伝いで、復讐では断じてないのだ。
心に決めているのはただ1つ。
(今度の人生は絶対に、楽しく生きてラクに終わってみせましょう!)
「―― 以上をもちまして、選妃を終了いたします。結果は、後程、各宮に届けさせますのでお待ちください」
暁龍が試験の終わりを告げた。
席を立った皇帝・皇太后をひざまずいて見送ったあと、妃たちも、ゆるゆると会場を出てそれぞれの宮に戻っていく。
蕣徳妃が春霞を呼び止めたのは、そのときだった。
「李賢妃。君はうまく隠したつもりかもしれないが、私たちは皆、君のしたことを知っている」
「なんのことですかぁ?」
とぼけてみせた春霞だが、蕣徳妃の眼差しの鋭さに、思わず身を震わせた。
「蕣おねえさまったら、こわい」
「君のしたことを公にして騒ぎ立てるつもりは、今のところない。興味もなければ時間の無駄でもあるからな」
「わたくしが何をしたとおっしゃるのです?」
「…… 妃位を貶める行動はつつしんでいだきたい。それだけだ」
言いたいことだけ言って、さっと離れていく姿勢の良い後ろ姿を、春霞はじっとりとにらんだ。
―― 試験で、蕣徳妃の席は春霞の背後だった。
おそらく彼女からは、春霞の行った作弊や書のすり替えといった不正が、しっかり見えていたのだろう。
いや、もしかしたら、それ以上 ―― 春霞と暁龍が、女官を殺害したことすら、勘づいているのかもしれない。
そう思わせるほどに、蕣徳妃の語気は鋭いものだったのだ。
どこまで知っているのか、春霞も気になったのだろう。
「お待ちくださいな、蕣おねえさま」
甘ったるい声で呼び止めようとした、その矢先。
小柄な人影が、蕣徳妃の前に降り立った。赤い髪を高い位置で結い上げているのは、蕣家で使っている烏だろう。
後宮は外部の者が無断で立ち入れない場所とされているが、李・蕣・楸・苳、四名家の各宮においては代々、 『烏』 と呼ばれる間諜が黙認されてきた。各地の情報が素早く宮廷に届くというメリットがあったからだ。
烏に二言三言耳打ちされた瞬間、蕣徳妃の凛々しい顔がさっと曇った。
手紙らしきものを預かった蕣徳妃は、踵を返し、雪麗に向かう。
「雪麗ねえさん。お疲れのところ申し訳ないが、ともに清林宮に戻ってほしい。皇太后さまに至急、お耳に入れなければならないことがある」
「何事でしょうか?」
問うてはみたものの、雪麗はすでに知っていた。
ただ、回帰のたびに、そうでなければいい、と願って、何も知らないふりをしてしまうのだ。
その願いがかなったことは、一度もなかったけれども。
―― 無言で示された手紙には、土真国がこの国の南西、蕣于の地の国境を侵そうとしていることが、記されていた。