4-2. 婦 徳
おそらく雪麗の豪華な孔雀糸の衣裳について、春霞は 『似合わない』 や 『お姉さまにしては華美すぎる』 といった内容のコメントをするだろう。
ならば。
◆回答例その1 : そうですね。このように《《外面だけ》》を華やかに装うのは、わたしよりも春霞にこそ似合いますね。
◆回答例その2 : そうですね。春霞ならば、このような花鳥の柄もよく似合うでしょうけれど…… なにしろ、《《内面にも花が》》咲き乱れていますものね。
◆回答例その3 : ええ、わたしもあまり似合わないとは思うのですけれど…… あまり地味な服装をしていると、皇太后さまが 『《《最下位の賢妃ならともかく》》』 と、お叱りになるのですもの。
……等々、さまざまなイヤミを脳内に並べて、返り討ちの準備をしていた雪麗であるが、春霞の次の言葉は意外なものであった。
「お姉さま、お助けください!」
服装云々はスルーして、いきなり雪麗に取りすがってきたのだ。
さすがの春霞も、助けを求めるのに相手の衣裳を貶すのは良くない、と思ったのだろうか。それとも、無視すること自体が最大の嫌がらせと判断したのだろうか。
「どうしても、選妃試験の書の題材が決められなくて…… 学識豊かなお姉さまなら、なにかご存知でしょ? お願い、教えてちょうだい!」
春霞の台詞は、これまで8回の回帰と全く変わらなかった。
ただし、その表情はこれまでになく、嫉妬と悔しさで化け物じみてはいたが。
【賢妃の顔ぉ! こわいっぺ……!】
美雀もそうとうスッキリしたらしい。楽しそうである。
(つっかかってくれても良かったのに…… ま、今回はこの程度にしておきましょうか)
雪麗は微笑み、香寧に筆と紙を用意させた。
『 后妃若不忌妒
必有子孙保佑
必得百家福也 』
さらさらと書きつけて、春霞に示す。
「后妃たるもの、もし嫉妬せざれば、必ず子孫に恵まれ百福がくだる……」
「詩ではないのですね、お姉さま」
「ええ。これは、古の王朝の選妃の際に、椋妃が述べた言葉です。彼女はこのように婦徳をあらわし、見事、皇后の座を射止めました」
【なんで、そったな文言を教えるだが……!】
美雀がわめき、春霞の表情が明るくなった。
「ありがとう、お姉さま」
「いいのですよ。実の妹ですもの」
「けど、お姉さまがそれを書かなくてもいいのかしら? 皇后の言葉でしょ?」
「皇后の位に興味はありませんから…… 皇后には、なりたい方がなればいいのですよ」
「ほんとね?」
机の上のまだ墨が乾いていない書を、春霞はひったくるように取ると、立ち上がった。
「じゃ、失礼するわ! 行くわよ!」
「あら、もう少しゆっくり…… …… あわただしいこと」
雪麗が引き留めようとしたときには、春霞はもう、侍女を引き連れ、応接室を出ていた。戸口まで見送るつもりだろう、香寧が大急ぎで後を追いかける。
礼も何もあったものでないが、実家にいた頃の春霞は、そうした点までが可愛らしいと甘やかされていたのである。
「仕方のない子……」
軽くためいきをつく雪麗の前に、美雀がずどっ、と腰をおろした。
【さっぎのはなんだ?】
「どうかしましたか?」
【賢妃のごど、思い切り、手助けしでるでねえが!】
「ああ…… そうですね。美雀さんにもそう見えたのなら、良かったです」
【…… なにを企んだんだ?】
「大したことでは、ありませんよ?」
雪麗の口許の笑みはますます、深くなっていた。
※※※※
かくして、選妃試験当日 ――
「―― 婦道、すなわち婦人の従うべき道について解説せよ ――」
皇太后の住まう清林宮、文心殿と呼ばれる一室に、朗々とした声が響いていた。
男性としてはやや高いが、耳に心地良いその声の主は、康暁龍。この、皇帝の寵愛厚い美貌の宦官が、選妃の試験官を一任されてるのだ。
選妃に限らず、黄鳳国で国試を取り仕切るのは全て宦官の役割であり、文心殿の隅には皇太弟づきの宦官、九狼の少年らしい姿も見える。協力のために浩仁から派遣されたのだろう。
それはさておき。
暁龍が読み上げているのは、学問試験の問題 ―― 法律や古典から、良家の令嬢であれば当然に修めている、とされる範囲内で出題されるものである。
特に、毎回のように出題されるのが、ここ黄鳳国において女性の心得とされる 『婦道』 についてであった。
『 婦道に四徳あり、一に夫に従順であり貞節であること、一に万事控えめで穏やかであること、一に常に容姿を清潔に美しく保つこと、一に家事万端をよくなすこと…… 』
【ふざけんな、だっぺ】
雪麗がすらすらと試験用紙にしたためるのを、横から覗き込むのは美雀である。
彼女はこのあとの書の試験で雪麗に乗り移ることになっているため、そばで待機しているのだが、いかんせん暇であるらしい。
誰からも見えないのを良いことに、全員の答案をのぞいては、雪麗に報告してくるのだ。
―― 楸淑妃は試験の回答もそこそこに、手のひらに何か書きながら考え込んでいるそうだ。おおかた、新しい仙薬のレシピだろう。
そして蕣徳妃はまずまずの回答をしながら、それよりも紙面を割いて熱心に回答に反する持論を展開しているらしい。それもそうだろう。
―― 黄鳳国では、女性は目立つだけでも、悪女とみなされるような風潮がある。
たとえば歴代女帝は3人いたが、いずれも世を平穏に治めた有能な女性であったにも関わらず、『女禍』 と呼ばれて歴史家男性たちの非難の的となっている。彼らの間違いは、後の世に起こった災厄までをも女帝のせいにしているところだ。後世の皇帝が無能だったことには、誰もツッコまない。露骨すぎて笑えるレベルである。
『婦徳』 と呼ばれる教えはまさに、こういった風潮を表すもの。
―― だが、これまで額の呪符に縛られて、教えられたことに疑問を持つことすら許されなかった雪麗でさえ、今さらながら少々、イラッとしてしまうのだ。
妃として後宮に収まるよりも、武人であることを望む蕣徳妃なら、なおさらだろう。
【んでな、賢妃はなんど……!】
美雀は、目をギラギラさせて声をひそめた。