3-3. 炸鶏と茘枝
司膳の食堂は朝とは違う活気に満ちていた。1日の業務が終わり、開放されておしゃべりと食事に興じる女官たちのくつろいだ雰囲気を、雪麗はゆったりと味わった。
今の雪麗の役どころは、皇太弟、浩仁のリクエストに従い、苳貴妃から遣わされた女官・楊美雀 (偶然にも亡くなった女官と同姓同名) である。
侍女の香寧からは半ば怒り、半ば呆れながら反対されたが、 『皇太弟殿下がおいでくださっているのに、女官を遣わせて済ますわけにいかないでしょう?』 という謎理論で押しきったのだ。
浩仁自身が待ち合わせに下級女官専用の食堂を指定したのは、雪麗が女官に変身して遊びに行ったのがバレているからでは…… という疑いは、当然ある。
だが、それを気にして、したくなったことをしないのでは、今回の回帰のポリシーに反するではないか。
浩仁と待ち合わせしてることは、取りあえず思考から外す。考えると嬉しいとか緊張するとか、そんなことしてていいのかとの疑問がわいてくるとか ―― ともかく、気持ちが忙し過ぎてやってらんない。
今考えるべきは、明明が列にならんで取ってきてくれている炸鶏のことだけだ。
「雪麗、じゃなくて楊さん、お待たせしました! 炸鶏、山盛りですっ」
「わあっ…… ありがとう、明明」
明明が運んでくれた竹を編んだ皿からは、湯気がほわほわと立ち上っている。
ジュージューとまだ音を立てているかのような狐色の面から漂う、食欲をそそる肉の匂い。
雪麗と明明のお腹が小さく鳴って、ふたりは顔を見合わせて笑った。
「いただいちゃいましょうよ、楊さん」
「ですが…… まだ、皇太弟さまが」
「ご存知ないんですか? 食堂で一番偉いのは、天子様ではなく阿姨なんですよ」
「明明ったら、なんという恐ろしい発言を……!」
口とは裏腹に雪麗の手はもう、竹籠の上にのびていた。
「あつっ…… 」
揚げたての鶏にかぶりつき、はふはふとかみしめる。サックリとした衣の下からあふれる、熱い油と肉汁がたまらなくこうばしい。
「|明明も、どうぞ?《ふぇいふぇいほ、ほうほ?》」
「もちろん、いただきます! …… んー、美味しい! もう1個!」
【いいなあ…… ふだりども】
炸鶏を次々とほおばるふたりを、美雀は素直に羨ましがっていた。
幽霊になると、どこでも行き放題・見物し放題だし疲れないし仕事はしなくていいし…… と良いことずくめだが、ただひとつ、食べられないことだけがつらいのだ。
「そうですね……」
ひょいとつまんだ炸鶏を、美雀の口元に持っていってなんとか食べさせようと工夫しながら、雪麗は首をかしげた。
「なにか、美雀さんが食べられるような方法が、あるといいのですけれども」
「ですねえ……」
司膳への道々、雪麗から美雀の事情をあらかた聞いていた明明は、美雀に同情的である。
「でも結局のところ、美雀さんが、さっさと復讐を果たして泰山府へ行くしかないんじゃないですか?」
【だっぺ! まず復讐!】
「ですから、復讐はちょっと…… まずは小さな嫌がらせでいいでしょう? 選妃試験、頑張ってみましょうよ」
雪麗は、宮正からの帰りにした提案 ―― 選妃試験で美雀が雪麗に乗り移って書の才を発揮したのち正体を明かすこと、を、いまいち煮え切らないこの幽霊に説得したいのだ。
ちょっとした嫌がらせで溜飲を下げる …… ラクな最期ならそれでよし、と決めてしまえば、復讐なんてその程度でいい。
だが、美雀がうなずく前に、不意に雪麗の頭上から、涼やかな声がした。
「おや、選妃試験で頑張っていただけるとは嬉しいですね」
浩仁皇太弟だ。
外苑での訓練後、まっすぐこちらにきたのだろう。
下にしなやかな筋肉があるのが一目瞭然にわかる、薄い常服。首の付け根で緩く結ばれただけの髪は、やや乱れ気味である。
【近ぐで見だら…… 罪深いっぺ!】
美雀が叫んだ。
「贈り物の約束までしたのに、妃たちが試験に身が入らないのは、そなたに影響力が全くないから…… などと、皇太后からお小言をくらわずに済みそうです」
浩仁は、雪麗と明明の向かいに座った。侍従の九狼は籠を片手にさげ、立ったまま物珍しそうに見回している。
宦官は皇族とともに後宮内フリーパスの身ではあるが、生活は分けられており、女官専用の食堂に来ることはめったにないのだ。
「贈り物…… 皇太弟さまから?」
「はい。試験で1番だった妃に、望みの褒美を私から」
【書! 書がほしいっぺ! 無尽公といえば、狂草書だっぺ!】
「…… 苳貴妃さまに、申し伝えておきましょう。お昼に、仙泉宮に来てくださったのは、そのお知らせだったのですね」
「おや? 楊女官は、仙泉宮にいましたか? 顔を見た覚えがないのですが」
「 (あら、しまった) 下働きですもの。仙泉宮ではいつも、厨房のすみっこにおります」
浩仁のツッコミを、うまく切り抜けたつもりの雪麗。
であるが……
【下働きにしでは、言葉遣いがきれいすぎるっぺ】
という美雀の感想が、本人以外の全員に一致したものだった。
それはさておき。
本題は、別にある。
雪麗は周囲に聞こえないよう、声をひそめた。
「さっそくですけれど、楊美雀の遺書…… なぜ、贋作とお考えに?」
「その件は、あとで説明しましょう。まずは、その前に…… デザートはいかがです?」
浩仁に合図され、九狼は籠の中身をテーブルにあけた。
コロコロと転がるのは、固そうな赤紫の殻で覆われた木の実。
「わあっ!」
【なんだっぺ? いい香りだねえ】
明明が歓声を上げ、美雀が物珍しそうに覗きこんだ。
茘枝だ。
温かい地方でしかとれぬ果物であるため、遠く蕣南の地から船で運ばれてくる。
だが傷むのが早く、皇族でさえ滅多に口にできない高級品であった。
「このようにたくさん…… さすが皇太弟さまです」
「蕣妃からもらったのですよ。蕣南ではなく、父君がこちらの屋敷内で栽培を試みているそうなのです」
「あら…… 蕣亮君さまは、武人だけでなく農業の才もおありになったのですね」
黄鳳国の南方氏族の系列である蕣家は、苛烈で武を重んじる。宮廷にもあまり顔を出さず、ひたすら鍛練しているイメージだったが…… 実は茘枝を育てていたとは。9回目の回帰で初めて知った雪麗である。
「叛意なきアピールにしても、意外でした」
「叛意など…… 蕣家に限らず、四名家にあろうはずがありませんよ。彼らが組めば、謀叛など起こさずとも帝位は意のままですから」
「…… それもそうですね」
それよりも茘枝を、と勧められて、雪麗はふと困った。
なにしろ、下級女官に変身中である。南方出身でもない、その辺の下働きが食べ方を知っていたら、おかしいではないか。それくらい、貴重な果物なのだ。
雪麗が果実に手を伸ばさないので、明明も気づいたらしい。
ふたりは顔を見合わせた。
「あの」 「どうやって食べるんですか?」
一瞬、驚いたようにふたりを見たが、すぐに浩仁は気がついたらしい。
「食べたことがないんですね」
言うなりゴツゴツとした実を手にとり、ナイフで皮を素早くむいていく。透き通るような白い身を割り、中の種を取り出すと、明明の口元に差し出した。
「持つと手が汚れてしまいます。このままどうぞ」
「えっ、おそれおおいです……」
「早くしないと、注目の的になってしまいますよ」
いいですか、と目で尋ねたのに雪麗が軽くうなずいたのを確認して、明明はぱくりと汁のしたたる実を口にした。
「…………」
【いいなぁ。あだすも、一生に一度ぐれえ、食べでみだがったっぺ】
至福の表情の明明と羨ましそうな美雀の様子に、雪麗が目を細めていると、不意に、唇を冷たい雫が濡らした。甘い。