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いまさら逃げても、もう遅い。『門前払い』された次期公爵は、貧乏令嬢を逃がさない


 目の前で、知己の友が泣き崩れる。


 すべてを懸けても惜しくないほど情熱的に愛し、その想いを今宵ついに成就させた彼が、ひしと抱きしめる相手は、僕の()()()()


 ――幸せそうで、良かった。


 キール・オラロフはその様子を満足気に見つめながら、ひとり壁にもたれてワインを飲んでいると、次から次へと独身の令嬢達に囲まれる。


 昨今、『想いを込めた刺繍のハンカチを手渡すと、恋が成就する』、という噂がまことしやかに流行っており、婚約者のいない未婚のご令嬢は、想いを告げる際に『刺繍のハンカチ』を手渡すのが恒例になっているらしい。


「受け取らないのか?」


 本音で話せる数少ない友人のひとり、デズモンド公爵家の嫡男ルークが話しかけてきた。


「うん、まぁ、今はまだそんな気分じゃないかな。……ルークこそ、どうなんだ」


 ハンカチこそ受け取らないものの、言葉巧みにあしらったようで、頬を染めながら嬉しそうにルークの姿を追う令嬢達が、目に入る。


 少しはにかみ、「せっかくの想いを無下にするわけには、いかないからな」と小声で宣う色男。


「僕にも、君くらいの甲斐性があれば良かったのだが」


 ため息交じりに呟くと、「暇なら、あっちで飲み直さないか」と誘われ、上手いワインに舌鼓を打ちながらルークと歓談をしていると、また一人のご令嬢が近付いてきた。


「ん? ……ああ、アンナ嬢か。どうした? 酔っぱらっているのか?」


 泥酔しているのか、何やらフラフラと覚束ない足取りで歩く様子に、すかさずルークが声を掛ける。


 我がオラロフ公爵家のお茶会にもよく顔を出す、妹の親友、アンナ・ノラーレフ。


 黒い髪に、黒い瞳。

 少し吊りあがったアーモンド型の目は、人に懐こうとしない野生の猫のようだ。


 そんな彼女はルークからワインを受け取ると、淑女らしからぬ様子で、勢いよく喉に流し込む。


 一杯、……また一杯と酒豪さながらにアンナが杯を()していくと、後からやってきたキールの妹ステラまで、一緒に飲み始めてしまった。


「こらこら、お前達……そんなに飲むと後が辛くなるぞ?」


 お茶会でよく集まる、勝手知ったる面子である。

 気兼ねすることなく、呆れ顔で注意をしたルークを、アンナはキッと睨み付けた。


「今が辛いから飲んでいるんです! ……私の悩みなんて、将来を約束された次期公爵様方には、到底知り得ないことですよぉっ!」


 淑女の「し」の字も感じさせない勢いで、なおも飲み続けるアンナのワインを無理矢理取り上げ、キールは水を手渡した。


「ほら、アンナ嬢。それ以上飲むと、本当に明日が辛くなる」


 優しく声を掛けられ、アンナの目が一瞬じわりと潤むが、視線はなおも取り上げたワイングラスを追っている。


「何か悩みがあるなら僕が聞いてあげるから、そのくらいにしておくといい」


 諭すように告げると、アンナは水を一気飲みし、テーブルの上にグラスを置いた。


 泥酔し座った目で、じとりとキールを睨み付け……その後ゴソゴソと何かを探し始める。


 ……ん? これはまさか、ハンカチを手に告白される流れか?


「おい、お前、これ……さっき受け取らないって言ってたけど、この流れで断るのは流石に無理じゃないか?」


 小声で耳打ちするルークの余計なお世話に、僅かに頬が引き攣るのが分かる。


 知らないご令嬢ならまだしも、普段から交流がある妹ステラの親友……アンナの告白を断るのは、さすがに少し気まずい。


 探し物が見つかったのか、アンナは改まって向き直った。


「……あの、キール様」


 熱を孕んだ瞳を向けられ、さてどうしたものかと考えていると、アンナは徐にキールの胸倉を掴んで背伸びをし、自分の元へと引き寄せた。


 え? いきなり口付けをされる流れ!?


 急な展開に目を見開いて、されるがまま引き寄せられると、拳二つ分……吐息がかかる程の至近距離で動きを止め、アンナはキールの目の前に、刺繍のハンカチをぴらりと掲げた。


「お金持ちの独身男性を、紹介してくださいッ!」

「……ん?」


 意味が分からず首を捻ると、「お金持ちの独身男性を、紹介してくださいッ!」と、被せるように再度叫ぶ、若干十九歳の子爵令嬢、『アンナ・ノラーレフ』。


 隣で吹き出すルークを横目で睨み付け、まずは落ち着かせようと、胸倉を掴んだアンナの手を掴み、そっと外す。


 そのまま自分の大きな手の平で、その手を包むと、もう片方の手でポンポンと軽く叩いた。


「……紹介するのは構わないが、もう少し条件が欲しいな」


 安心させるように柔らかく微笑むと、ふえぇと子供のように顔を歪ませ、アンナはグスリと鼻を啜った。


「顔は、なんでもいいです……」

「うん、分かった」


 少し屈んでアンナの顔を覗き込み、それから? と続きを促す。


「爵位もどうでもいいです……平民でもいいです」

「? ……うん、分かった」


 仮にも子爵令嬢なのに、平民でもいいの?

 よく分からなくなり、思わずルークと視線を交わす。


「性格も、気にしません。……離婚歴があってもいいです」

「!? ……な、なるほど?」


 少し変わった趣味なのだろうか?

 妹のステラに視線を向けると、目頭をそっと押さえ、訳知り顔で頷いている。


 ……一体、なんなんだ。


「年齢ですが、上限は八十歳まで。……下限は十六歳。でも、どうにもならなければ、最悪、赤子でも構いません」


 そこまで言うと、潤んだ目を再度キールに向けてきた。


「……お金持ちの独身男性を、紹介してください」


 どうしたら良いか分からず困り果て、ルークに助けを求めると、横を向いてワインのラベルを熟読している。


 それではステラ……と視線を投げると、こちらはこちらで下を向いて爪をいじっている。


 ぐっ、こいつら……。


 役に立たない二人を睨み付け、だがよく知るアンナの迷走っぷりが流石に心配になり、「それなら僕はどう?」と、思わず口から零れてしまう。


 自分で言うのもなんだが、顔良し、性格良し、頭良し……ついでに実家は大富豪。


 スパダリを地で行く次期公爵に、今のところ死角は無い。

 ――敢えて言うなら、恋愛に奥手なことくらいか。


 どうせ婚約者どころか、恋人すらいない寂しい独り身だ。

 この機会に、女性と接する機会を増やしてみるのもいいだろう。


 そんなことを考えていると、突然の申し出に驚いたのか、アンナは口をぽかんと開けて数秒固まった後、ブンブンと大きく頭を振った。


「いえいえ結構です。……他の人を紹介してください」

「えええっ!?」


 その条件で、まさか断られるとは思わず、キールは驚きの声を上げた。


 道端で声かければ二人に一人は該当しそうな、ストライクゾーンの広さ……それなのに自分は、予選敗退どころかエントリー資格すら貰えず、『門前払い』されてしまう。


 そういえば今回の失恋もそうだった。

 何年も想いを募らせた挙げ句、その立ち位置は一貫して、『兄』のまま。


 なぜ、自分はいつも対象外にされてしまうのか。

 想う期間が長かっただけに、若干トラウマになっているのは否めない。


「ふぅん、……そう」


 急に声音が変わったキールに、アンナはぱちくりと目を丸くする。


「……じゃあ、僕が、一緒に探してあげるよ」


 なお、面白くなってきた展開に、他の二人が身を乗り出して、耳を(そばだ)てているのが鬱陶しい。


「手のかかる案件が片付いたから、三日間、休みを取ろうと思っていたところなんだ」


 だから、()()()()、君の婚約者探しに協力してあげる。


 その言葉に飛び上がって喜ぶアンナ。


「……もし駄目だったら、その時は、ごめんね?」


 すうっと目を細めて見下ろすと、キールは口元だけで、にこりと微笑んだ。



 ***



 一日目。


 こうと決めたら本気で取り組むのが、オラロフ公爵家嫡男、キール・オラロフ。


 自らが持つネットワークを駆使し、王立学園時代の友人を当たり、同年代の未婚貴族を集めてガーデンパーティーを開くと、下は男爵、上は公爵令息まで……お好みに合わせてよりどりみどり、の参加者が取り揃う。


 これで完璧と、婚約者探しの進捗を見守っていたのだが、気が付くと隣に立っていたアンナがおらず、ふと目を遣った庭園の陰で、何やら若い令嬢達に囲まれている。


 こっそりと茂みに身を隠し様子を窺うと、そのうちの一人がアンナの肩を突き、アンナはよろけて尻餅をついた。


「昨夜の夜会でも、キール様につきまとって……身の程を知りなさい」


 中心に立つ美しいご令嬢の言葉に、取巻きのご令嬢方がクスクスと嘲るように笑う。


「ノラーレフ子爵家の台所事情は存じ上げています。金満家の老人にでも、さっさと後妻に入ったらいかがでしょう」


 たくさん存じ上げておりますので紹介しましょうか? と扇で口元を隠しながら小馬鹿にしたように笑うと、「それは良い考えです」と取巻き達が合いの手を打つ。


 助けるかどうするか……だが、こういう時に男が出ると、余計に話がこじれると聞いたことがある。


 迷いながら見ていると、アンナが徐に立ち上がった。


「えええ、宜しいんですか? 紹介してくださるなんて……嬉しいです! ありがとうございます! 持つべきものは顔の広い友人ですね!」


 勢いよく令嬢の手を握り、目を輝かせながら嬉しそうに笑うアンナ。


 まさかそう来るとは思わず、令嬢達は目を丸くする。


「いつですか? いつ紹介してくださいますか?」


 なおも畳み掛けると、段々と腰が引けてきて、「そ、そのうちですわ!」と捨て台詞を吐きながら去って行った。


 ひとり残され、スカートについた草を払うと、アンナはふうと溜息をつく。


「まっ、こんなもんでしょ」


 やれやれと伸びをして歩き出したため、キールが慌てて会場に戻ると、何事もなかったかのようにアンナが歩いてくる。


 先程のご令嬢達と目が合ったのか、アンナがひらひらと手を振ると、慌てて逃げて行ってしまった。


「? キール様、どうされましたか?」


 きょとんとして、小首を傾げる姿に、思わずキールは吹き出してしまう。


「いや……()()()()()()?」

「? 何がでしょうか? ……新しい友達は出来ましたが、婚約者探しの進捗はあまり大丈夫ではありません」


 飲みの席で数人の令息から、名前が挙がるくらいには人気のあるアンナ・ノラーレフ。


 だがそのあっけらかんとした性格と、少しきつそうな顔立ちから、なかなか声を掛けられないと愚痴っていた者もいた。


「……まぁ、あと二日あるから心配しなくていい」


 これだけ独身男性を集めてもらったのに、恋が発展する気配がまったくない、とアンナはぼやく。


 実を言うとキールが隣で牽制しているからなのだが……まったく気が付かないアンナは、「それもそうですね!」と賑わう会場を見廻した。



 ***


 ……二日目。


 国内最大の商会を持つ、オラロフ公爵家。


 普段から交流がある商会長や、平民ながら成功した起業家等、様々な者が交流をはかる立食パーティーに参加する。


 折角だからとキールが手配し、外国から取り寄せた華やかなドレスに身を包むと、アンナのスタイルの良さが際立ち、会場の視線を集めた。


「キール様、なぜでしょう、なにやら見られている気がします」


 普段注目を浴びることなど滅多にないため、この状況を素直に喜ぶどころか、訝しんでいる。


「ああ……、アンナ嬢が美しいからじゃないか?」

「んなっ」


 さらりと褒めるキールに顔を赤くし、小さい声で「真顔でなんてことを言うんですか……」と返すアンナ。


 キールのもとへ挨拶に訪れた者達からも、一様に称賛され、アンナは困ったように息を吐いた。


「なぜでしょう。今日は未だかつてないくらい、褒められます」


 平素より、彼女が仲良く過ごす友人達は皆、王国屈指のご令嬢達。


 集まるとどうしても埋もれてしまいがちだが、こうして単独で立つと一際(ひときわ)美しく、見る者は目を奪われる。


 だが、妹以外の令嬢を伴ったことのないキールが親し気にエスコートしているため、恋人と間違えられたのか、声を掛ける男はいないようである。


 アンナは早々に見切りをつけ、やっぱり駄目ねと席を外し、ひとりでふらりと休憩室に行くと、十歳くらいの女の子がベソを掻いていた。


「どうしたの?」


 見ると、ジュースをこぼしてしまったのだろうか、胸元に染みが出来ている。


 ああなるほどと、部屋の外にいた給仕係に声を掛けて裁縫用具を持ってこさせると、持っていた薄ピンクのハンカチであっという間に薔薇の花を作り、コサージュ代わりに付けてあげる。


 家計を助けるため、ドレスを自分でリメイクすることもあるアンナ。


 この程度であれば、ものの五分もかからない。


「綺麗……お姉ちゃん、ありがとう」


 笑顔になった少女の頭を撫でていると、その様子を見ていた母親が頭を下げる。


 良い事をしたとホクホクしながら会場に戻ると、しばらくしてその母娘……夫だろうか、三人が、キールの隣に立つアンナの元へ、改めてお礼を述べに来た。


 その後、楽しく歓談し、「それではまた」とアンナに一礼をして去って行く。


「……貴族嫌いのノーザン一家が珍しい」


 新進気鋭、平民の起業家だが貴族嫌いのノーザンは、こういった催しには参加するものの、自分から貴族に話しかけることは滅多にないという。


「まぁそうなんですか? もしかして私、貴族令嬢に見えないのかしら」


 そんな世迷いごとを述べるアンナに、キールは「そんなわけないだろう」と呆れ顔で呟く。


 残念ながら結局二日目も、収穫は無かった。



 ***



 そして、三日目最終日。


 貴族、商人、起業家、……ときて、それでも駄目なら騎士だろう!


 そんな安直な考えかは疑問だが、キールの友人であるルーク・デズモンドの声掛けで集まったデズモンド公爵家の騎士達が、王都の居酒屋に集まっていた。


 居酒屋と言ってもオラロフ公爵家が出資する店のため、内装は品よくまとめられており、貴族御用達のリーズナブルなお店と人気を博している。


 対する女性陣は、アンナ、ルーク・デズモンドの妹ティナ、後は初めましての三名。


 キールは急な用事が入り、少し遅れてくるとのことで、アンナはルークの隣に座った。


「平民出身の騎士もいるが、みな裕福な家の出だ」


 ルークがこっそりと耳打ちすると、アンナの目がきらりと光る。


 王都の居酒屋でお酒を飲むなど生れて初めてなので、最初は戸惑っていたアンナだが、騎士らしく、無骨な男達と杯を交わすうちに酔いも回り、段々楽しくなってくる。


 だが……話は盛り上がるのだが、全然良い雰囲気にならない。


 ルークの妹ティナは、悪い虫が付かないよう兄が目を光らせている為仕方ないが、名も知らぬ三人の女性は、それぞれに騎士達と連絡先を交わしているというのに。


 これはもう自分に原因があるに違いないと、ひたすら酒を流し込み、涙目でルークに話しかけた。


「ルーク様、私はもう駄目です」


 死にそうな声に、吹き出すのを我慢した様子のルークが「どうした」と目を細める。


「あの条件でも、誰の御眼鏡にも適わないことが、本日を以てやっと分かりました……かくなる上は身売りするしか手はありません」


 とんでもない事を言い出したアンナに目を瞠り、うーんと考えた後、自分の椅子を寄せた。


「悲しい事を言うな……そんなこと、()()が許すとでも思うか?」


 そこまで言ってルークはふと顔をあげ、何かを見つけると、徐にアンナの肩に右手を回し、自分の元に引き寄せる。


「では……俺のものになるか?」


 驚いてルークを凝視するアンナの手に、ゴツゴツとした指を滑らせると、慣れない男性との接触にアンナの指先まで赤く染まる。


 王国の軍事を一手に任させる四大公爵家のひとつ、デズモンド公爵家……いずれ彼の傍らには選ばれたご令嬢が立つはずだ。


 それでも、実家を支援してくれるのであれば、少し悲しいが愛人だってかまわない。


 決心し、頷こうとしたその時、扉からキールが飛び込んできて、ルークからアンナの手を奪い取り、乱暴に引いていく。


「えっ?」


 驚いて振り返ると、怒り狂ってルークの耳を引っ張るティナと、少し痛そうに顔を歪めながら、笑顔で手を振るルークの姿。


 前を見ると、怒っているのか顔を赤くして、自分の手を引っ張るキールの姿。


「……えっ?」


 そういえばまだ、グラスにお酒が残っていたなと何故か思い出し、勿体なかったと考えていると、そのまま抱き上げられ、オラロフ公爵家の馬車に乱暴に放り投げられてしまった。



 ***



 馬車を停め、キールが待ち合わせ先の店内に目を向けた瞬間、中にいたルークとバチリと目が合った。


 気付いたルークが勝ち誇った笑みを浮かべ、アンナの肩を抱くと、酔っているのか為すがままに引き寄せられる。


 そのまま手を握り、何事(なにごと)かを囁いている。


 くそ、あいつ……。


 馬車を飛び出し店に駆け込み、アンナの手を引く。

 相当酔っているのか、ふらつく身体を抱き上げ足早に馬車へ向かうと、そのまま乗り込み扉の鍵を閉めた。


 ガタガタと音が鳴り、王都にあるノラーレフ子爵家の屋敷へと、馬車が動き出す。


 無性に腹が立ち、扉を拳で殴ると、ガァンと大きな音がした。


「何をやっているんだ君は!」


 音に驚き兎のように飛び跳ねたアンナは、キールに怒鳴られ、ひゅっと息を呑む。


「もっと自分を大切にしたらどうだ!」

「でも……」

「でもじゃない! あいつは心に決めた相手がちゃんといる。愛人にでもなるつもりか!?」


 その言葉に、こらえきれず泣きじゃくるアンナ。


「でも、誰も選んでくれなかったぁ……」


 あんなに沢山の人がいたのに。

 みんな、なんてことないように出会っていくのに、こんなに頑張っても私のことは、誰も好きになってくれない。


 怒り狂って怒鳴ったものの、声をあげて泣き出したアンナを見ていたら急に申し訳なくなり、キールは小さい子供にするようにアンナの両手を握り、一言一言ゆっくりと諭すように言葉を投げた。


「君の実家が大変なことは僕も知っている。でもね、それと君の幸せは別だろう?」


 実をいうと昨日、とんでもないお年寄りにアタックしようとしたアンナに慄いて、慌てて止めに入った一幕もあった。


 少し不器用だけれど、懐が深く、正直で面倒見の良い彼女は、貴族令嬢には珍しく、腹芸が出来ない。


 商売を扱う為、幼い頃から大人の汚い部分を、嫌と言うほど見てきたオラロフ公爵家の兄妹。

 特に妹のステラは気難しく、お茶会に呼ぶほど信頼して気を許す友人は、今ではたった四人――そのひとりが、アンナである。


「……今日、ノラーレフ子爵家に行き、事業の提携を申し出た」


 あの時の夜会と同じ。

 アンナの手を包み、ぽんぽんと落ち着かせるように叩く。


「今回のことは関係なく、前から考えていたことだ……ほら、ミリエッタ嬢の助言で製鉄事業が軌道に乗っただろう? 質も良いし大量生産も可能……うちの商会に卸してもらえれば、間違いなく黒字ラインに乗る」


 だから、家の事は心配せず、自分のことを考えていいんだよと、優しく言い聞かせる。


「沢山会ったけど、誰か気になる男性はいた?」


 ルーク以外で! との言葉に、ベソを掻きながらもアンナが笑う。


「もしいないなら……僕は、どう?」


 考えてみて、と囁くと、しばらく無言になった後、アンナはきっぱりと答えた。


「……いえいえ結構です。キール様は、無理です」

「えええっ!?」


 またしても断られるとは思わず、キールは驚きの声を上げた。


 今ならば、エントリー資格くらいはあると思っていたのに。


 無理ってなんだ。


 キールの目が据わり、苛立ったように、手を握る力を強くする。


「!? ……ちょ、ちょっと痛っ」


 ぎゅむっと握られ、少し顔を顰めて痛がるアンナをちらりと見て、溜息をひとつ。


「……そういえば、君から許可が得られれば婚約できるよう、今日君のご両親に伝えてきたんだった」

「え? はぁぁああああッ!?」


 不安定な馬車で立ち上がると、馬車がぐらりと揺れ、その隙に手を引いたキールの膝の上にぽすりと着地する。


 大好きだった初恋の人は、儚く見えて実は誰よりも強く、聡明で美しく、誰の手を借りなくてもいつの間にか自分で解決してしまうような、そんな女の子だった。


 今腕の中にいるのは、目を離すとすぐに暴走する、不器用で……けれど誰よりも思いやりに溢れた、優しい優しい女の子。


「君の希望は、お金持ちであること」


 年齢条件は有って無きが如しだから、重要なのはその一点だけ。


「んー。……そうだな、最後に君へ、()()()を紹介しよう」


 驚くアンナを腕に閉じ込め、ほのかに笑う。


「王都内に屋敷を二つ。先程のお店も含めて店舗は七つ。さらに王都郊外に、ノラーレフ領の三倍はある土地を、先日購入したばかりだ」


 この若さにも関わらず、個人で持つには桁違いの不動産に、アンナはもはや言葉も出ない。


「さらに将来はオラロフ公爵家を継ぐから、『ドラグム商会』も僕のものだな」


 澄んだエメラルドの瞳が、アンナを捉えて離さない。


「そうなったら、この国で、僕以上のお金持ちはいないよ?」


 にっこり笑うと、「……さぁ、僕は、どうかな?」と再びアンナに問いかける。


「で、でもその、やっぱり」


 真っ赤になって断ろうとしたその唇に、黙れというように指先を当てる。


 そろりとキールを見上げたアンナに、身が凍るように冷たい視線を向けた。


「確か、『……もし駄目だったら、その時は、ごめんね』って、言ったよね?」

「は、はい、何となく覚えています」


 泥酔していたので、うろ覚えだが。


「……ああ、すっかり言い忘れてた。君から許可が得られ()()()()婚約の話を進めていいって、君のご両親から許可をもらっていたんだった」


 うっかりしてたな、と平然と嘯くキール。

 ――――いまさら逃げても、もう遅い。


「んんー、折角だから君に望まれて、妻に迎えたいと思っていたんだけど」


 どうしようかな? と首を傾げると、アンナは高熱が出たんじゃないかと思うほど顔を赤らめ、キールの腕の中でわたわたと挙動不審に動き出した。


 しばらくその様子を微笑みながら見つめていたキールだったが、ふぅと息を吐き、「やっぱり僕にはこういうの向かないな」と自嘲気味に笑って向き直ると、コツンと、(ひたい)同士をくっつけた。


「……僕と家族になろう。大切にすると誓うよ」


 囁くようなその声に、目一杯に開いたアンナの目から、どこから溢れるのかと思うくらい、大量の涙がぽろぽろと零れ落ちていく。


「こ、断ったらどうするつもりなんですかぁ……」

「どうもしないよ。粛々と婚約手続きを進めて、気付いた頃には僕の妻だ」

「……なんてことするんですかぁぁぁ」


 爽やかに恐ろしい事をいうキールに、もう何が何だか分からず、ただ涙だけが溢れ出る。


「……諦めて、僕のところにおいで」

「ふぇ……わ、私なんかでいいんですか」

「うん、君がいい」

「……返品できませんよ?」

「これからたくさん愛するつもりだから、いなくなったら困ってしまうな」


 上を向いて泣きじゃくるその頭を撫でながら、優しく言葉を落とすと、アンナは腕を伸ばし、ぎゅうっとキールに抱き着いた。


「よ、よろしく、よろしくおねがいしますぅぅ……ッ!」


 泣きすぎて訳が分からくなっている可能性もあるが、ついに縦に首を振ったアンナの顔は、涙と鼻水でグシャグシャ。


 キールはポケットから布を取り出し、涙を拭くと、「ほら」と鼻をかませようと声をかけた。


「きゃああぁあ! 鼻くらい、自分でかめますっ! ……ん、あれ?」


 羞恥で耳たぶまで赤くして、鼻をかもうとその布を開くと、見覚えのある刺繍。


 泣きじゃくっていたアンナの目が、点になる。


 ――そう、金持ちを紹介しろと、キールの目の前で振った、()()ハンカチ。


「うわぁああぁん」


 色々な感情がごちゃ混ぜになり、どうしたらいいか分からなくなって、また泣き出すと、キールが笑いながら今度は自分のハンカチで顔を拭いてくれた。


「あるんじゃないですか、自分の、ちゃんとあるんじゃないですかぁっ!」


 怒って詰め寄ると、キールは恥ずかしそうに少し頬を染め、「承諾してくれたのが嬉しくて、焦って間違えてしまった……」と小さく答える。


「うわぁぁぁあ、もう! もぅもぅ、そんなに色々持ってて、さらにドジっ子って、どれだけですかあぁぁっ」

「……? ごめん、ちょっと意味が分からないけど、刺繍のハンカチは返してね」


 もうこれは僕のだから、と嬉しそうにアンナの手から奪い取り、滴りそうなほど涙を拭いて湿ったハンカチを、そのままポケットにしまい込む。


「しかも天然てぇぇえぇ……!!」

「……? 分かった分かった。いいから、そろそろ泣き止もうか」


 両手でアンナの頬を包み、ほら泣き止めと、額に唇を落とす。


「泣き止まないと、口付けできないだろう?」


 わなわなと震えるアンナを抱きしめる、ドジっ子天然……かもしれない貴公子。


 優しい口付けが、額に、頬に落ちてきて、最後にそっと、目を閉じる。


 しずかに、でもしあわせに、最後の夜は、更けていく。


 ガタリと小さく馬車が揺れ、二つの影が重なった。



 ***



(令嬢達のお茶会 in オラロフ公爵家)


「きゃあああ! おめでとうございます!!」


 飛び上がって喜ぶ親友達に、アンナは顔を綻ばせる。


「アンナ様は私のお姉様になるのですね!」


 嬉しい! 嬉しい! とはしゃぐステラに、思わずアンナも手を合わせ、「はい、そうなんです!」とぴょんぴょん飛び上がる。


 そんな二人を笑顔で見つめながら、ミリエッタがふと呟いた。


「でも、オラロフ公爵家の夫人……大変そうですね」


 その言葉に、現実へと引き戻され、アンナはギョッとする。


「ま、まあでも、ほら、ご令嬢は皆、刺繍を嗜む程度ですから! これから、これからです!」


 四大公爵を唸らせるほどの見識と、王国中の令息を虜にするその美貌で、先日ついに婚約者が決まったゴードン伯爵家のミリエッタ。


 自分で建てたフラグを瞬時に回収しようと試みるが、まったく意味を成していない。


「語学さえ出来れば何とかなります! 要は慣れ。問題ありません!」


 慌ててサポートに入ったのは、最年長のスカーレット。


 エラリア伯爵家の長女スカーレットは、ミリエッタに次ぐ王国の才媛で、女だてらに王立学園を首席で卒業している。


「そ、そうです! 私なんか何を隠そう、軍事に係ることしか分かりません!」


 畳み掛けるように自虐するのは、デズモンド公爵家のティナ。


 難しい事は分からないと本人は言うが、国際情勢と軍事は密接な関係にあり、外交官顔負けの知識を有している。


「つまりです! 気軽に私の姉になってくだされば、問題ないと、そういうことです!」


 分からないことがあれば、その時々で調べれば良いので、たいした話ではありません! と場をまとめようとするのは、ステラ・オラロフ。


 言わずと知れたキールの妹……オラロフ公爵家の長女である。


 幼い頃から商会を通じて、様々な大人と接してきた彼女は、交渉事が大の得意。

 難しいと言われる商談も、あっという間にまとめてしまう知識と交渉力は、オラロフ公爵も舌を巻くほどである。


「……あれ?」


 アンナは四人の親友を順に見廻して、まぬけな声を出した。


 才女を気取るご令嬢達はよく見かけるが、この四人……よく考えると、桁違いである。


「あ、あれぇ?」


 急に自信がなくなり、しゅんとしたアンナを、「大丈夫、私たちがサポートしますから!」と四人の親友達が慰めた。



 ***



 オラロフ公爵の執務室。


 キールとオラロフ公爵が、今日も賑やかなお茶会の様子を、二階の窓からそっと眺める。


「アンナ嬢か……、分かった」


 キールの報告に、オラロフ公爵は頷いた。


 オラロフ公爵の()()()はミリエッタだが、アンナも悪くない。

 そもそも、ステラ主催のお茶会に()()()()()()ことが、オラロフ公爵家に嫁ぐ第一関門なのである。


 お茶会の様子、各ご令嬢達の発言、生家の情報に、各々が公爵家に相応しい能力を持ちうるか。


 ……すべての内容は侍女達によって纏められ、公爵および公爵夫人へ報告書としてあげられる。


 その厳しい審査でふるいにかけられ、残った者だけが、その権利を得ることができるのだ。


 何もできないと慄くアンナ。

 幼い頃から家計を助け、ミリエッタの助言を受けて一度は子爵家を立て直した彼女は、あらゆる帳簿を読み込み、解析することが出来る上、自領に鉱物資源を多く持つため、鉱物から地層に至るまで地学に係ることはなんでもござれの学者肌。


 さらに人格も優れているとなれば、文句はない。


 そう言われ、キールは昨夜のアンナを思い出す。


 潤んだ瞳で恥ずかしそうに見つめてくる彼女を腕の中に閉じ込めて、幾度も口付けると、最後はへにゃりと力が抜けて、放心したように身体を預けてきた。


「……大事にします」


 ぽつりと呟いた自分の声の甘さに驚き、キールは口をつぐむ。


 手を離すと、あちこちに走って迷子になってしまいそうな、可愛い可愛い僕の妻。


 どこに行っても、見つけてあげる。


 ――――もう、逃がす気はない。











目を留めていただき、ありがとうございました。

[ 婚約者探しの夜会で『適当に』出会いのハンカチを渡した騎士様が、後日領地へ押しかけ求婚してきた ]の【番外編】キール × アンナです。

※物語の構成上、別建てのほうが本編が綺麗にまとまったため、短編とし別投降させていただきました。


面白かったよ!と思ってくださった方、是非ブクマ、★★★★★で応援いただると、励みになります!

他にも小説を投稿していますので、ご覧いただけますと幸いです。(下スクロールに、リンクあります)


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― 新着の感想 ―
[一言] 門前払いの理由が書かれていないようですが、結局なんだったのでしょう?
[一言] サラッと気持ちを切り替えたキールが選ばれなかった理由、わかったような…。
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