四十四
「アリーシャ!」
座っていることすらできなくなったのか。グラリと横に傾いたアリーシャを抱きとめ地面に向かうのを止める。
そこで初めてアリーシャの体がどうなっているのかを知った。
深く抉れた腹部は到底人間が健康体と呼べる状況にはない。
そこから流れる血の勢いとその結果出来上がった赤い水たまりは人の身から出たもので出来上がっていい規模ではない。
「……どうして……何を……」
山ほどの疑問がわいた。
どうしてこんな状態になっているのか。
どうしてこんな状態にも関わらず、回復魔法の一つもかけようとしないのか。並の魔法ならばともかく原初魔法に記される回復魔法なら致命傷であっても瞬時に治せるはずなのにどうしてそうしないのか。
どうしてこんなひどい状況にも関わらず、俺の事を呼びつけて紅茶なんて飲んでいるのか。
挙げだせばキリがない。
しかし、そのどれもが俺の興味に由来するものでしかなく、今するべきことがそれでないことは分かっていた。
「……待ってろ。今、シロの奴を呼んでくる。あいつの聖天魔法ならこんな傷」
「いけないわ、クロ」
だから、するべきことをしようと。しなければいけないことをしようと立ち上がろうとして、掴まれた腕に困惑した。
「……私ね、呪われてしまったらしいの」
「は?」
「魔法が使えなくなっちゃったの」
「……だったら……なおさら……っ」
アリーシャほどの魔法の使い手から魔法を奪う呪い。
悪魔は呪いの類には精通しているが、少なくとも俺にはできない。その他大勢の悪魔にもきっとできる奴はいない。
それをした奴に、できるだけの力を持った奴にたった一人だけ心当たりがあった。
でも、そんなのはどうでもいいことで。少なくとも今優先するべきはそんなことではなくて。
「いけないわ、クロ。シロは天使なのよ」
続けようとした言葉はアリーシャに薄い笑みと共に遮られた。
「でも……っ」
「天使なら、神様の意向に逆らう者を助けてはいけないわ」
「…………あいつは」
「いけないわ」
天使にも色々ある。
天使は神に絶対の忠誠を誓っている。忠誠心を植え付けられている。だから、敵対行為は絶対にしない。絶対の忠誠がある。絶対の忠誠があるからこそ、たとえ常識的に考えればどれだけおかしな命令であったとしても異論など決してなく命令を遂行する。
しかし、神に対しての明確な敵対行為、例えば神を攻撃するようなことであったり神に悪意を持つ者へ手を貸すなどではなく、神から直接その行為を禁止されていないのであれば、天使の行動は特に制限されるわけではない。
なら、何も言わなければシロはアリーシャを助けるだろう。
そのあと気付いてももう遅い。神がどういう対応を取るかは知らないが、シロ程度なら俺がどうとでもできる。というか強引でも引き込んでしまえばいい。
にもかかわらず、アリーシャは俺を止めた。
「……どうして」
「シロの居場所がなくなってしまうもの」
「……そんなの、俺にとってはどうでもいいことだ」
「……私が死んでしまうのはどうでもよくないのね」
「…………」
その言い方はないだろ。
「………………あぁ。よくない」
だから、どんな手を使っても死なせるつもりはない。
俺は案外今の環境を気に入っている。
失ってたまるか。
「……それでもいけないわ。シロの居場所を奪わないで」
「……」
お前があいつの居場所を作ればいいだろ。
今のこの環境が俺にとって悪くないように、そんな居場所を作ってやればいい。
「……シロが私を助けてくれても、神様はきっと私を見逃してはくれないわ」
「……」
俺が守ってやる。
天使でも神でも。お前を殺そうとする奴が居るなら、俺がそいつらを全員殺してやる。守り切ってやる。
「…………っ」
その言葉が出なかった。
それが不可能だということは身に染みて分かっていた。
神と自分の差も、数の暴力の前にはいくら俺が強くても天使からすら守り切れないことも。分かっていた。




